-636話 バルカシュ攻略戦 ⑥-
バルカシュ領の都、バルカシュの歴史は浅い。
とは言っても領主がハイエルフだから、入植してきて凡そ80年は経っている。
この辺りは、東征事業において最初のターゲットにされた、東の帝国のいち地域だったところだ。かつては北天七王国とも肩を並べた、巨大な版図を持つ国だったが、嫡出問題が拗れて大きく瓦解。あっという間に分裂する出来事で、周辺国としても成すすべがなかった。
帝国だったところに大小の小さな王国が誕生する。
それぞれの領主が“王”を自称したからだ。
国の衰退と勃興はまあ、どれも似たものであろう。
誰かの自称から始まる。
王国も帝国もだ。
神のいない王の国。
それぞれが正当なる後継者だと名乗り上げて紛争が始まる。
熾烈、苛烈を極める泥沼の国家総力戦。
人口も資源も使い捨てる内乱の中に、グラスノザルツは圧倒的な魔法力で殴り込み、悉くを鎮めていった。
バルカシュ領もその一つだ。
この領の都は内陸部にある。
遷都される前のことだ。
その後、増改築を重ねてバルカシュ海に浮かぶ、水上要塞が完成する。
城下町は、荘厳な佇まいを見せた。
城主曰く、故郷のハイランドを似せて作らせたと。
城下町に住む帝国市民は、わざわざ元の領地より移住させられた人々である。
突然の転移地に慣れず、市民の多くが苦しみ、そして死んだ。
今、街の規模よりも、残っている人口はわずかでしかない。
これが、この領の闇のひとつだ。
城塞の秘密通路は、城下町の最北部に建立された大聖堂にあった。
当然、帝国が城の正面に陣地を構築すれば、聖堂は補給物資であふれかえるだろう。
そういう死角をつきながら、こっそりと城主らは、ハイランドのハイガーデン城を目指せばいいのだ。馬の手配や、衣服、食料などもその補給物資を少し拝借すればよいと考えていた。
「古い地下墓地を通路に使っているのか?!」
鉄格子はやや錆びている。
これは演出であると、グラニエは説く。
その証拠に、格子扉のつがいには、油を差してあるのがわかる。
キィィィと、深いな音で鳴きそうな鉄格子はするっと開いた。
「なるほど入念に誤魔化してはいるが、手入れがいいようだな」
「少し見れば分かる。ある意味は杜撰だが、警戒心があるんだか、ないんだかの中途半端さもうかがえる。ただ、地下通路こと、秘密の脱出路として捉えたとしても...」
中に入ってしまうと、綺麗に履かせた石畳と煉瓦の地下空間に驚いた。
流石に馬で駆けたら、蹄の音が響いて耳の良い連中に感づかれるだろう。
それほどの共鳴を生み出しそうな雰囲気があった。
「城の外までは3キロ弱、広場に入るには更に2キロは進まないといけない。街中を抜けている間は、走っても問題は無いが...」
「城門からは静かにだろ?」
エサ子は鼻下を指で拭う。
見た目は少女なのに、どこか頼もしさを感じる。
これは、種族越えて、皆が思った感覚だ。
《なんだろう、この娘に賭けてみたい》
◆
「大砲を用意してきた人たちいますかー?!」
マルが大声で、超軍に話しかけている。
今一反応が薄い。
再び声を掛けようとして、六皇子に口を掌で抑え込まれた。
なんか獣臭い手である。
「敵地のど真ん中でムラっとくる愛くるしい声で囀るな」
と、叱られた。
「そんな声で鳴いたら、俺でさえ己を抑えきれん!」
彼のもう一つの腕がマルの乳房を鷲掴みする。
大きな鬼の手には申し訳ないほどのふくらみしかない。
もう少し、そう、メグミさんほどの乳房であれば、持て余す表現もあっただろう。
「いや、これはまた、かわ...」
逆手で拳を浴びた。
マル、怒りの鉄拳。
「揉むな! 変態、きぃぃぃぃ!!!」
戦場のど真ん中での出来事――兵団では、“皇子の悪い癖だな”という反応で柔らかい。
いや大らかなのだ。
戦場に張り詰めた空気は、緊張しか生まない。
緊張には、良いものと。その逆の悪いものがある。
後者のは強く張り過ぎた弓の弦のようなものだ。
たわみが無いものは強く絞ると、すぐに切れるという。
皇子の道化は、その緊張を解し、皆の顔から“ヤル気”を引き出すものだ。
鼓舞というスキルではないが、似たプラス思考へ転じさせた。
「大砲は無い」
鼻と股間を押さえながら、皇子はマルに伝えた。
「最初から、そう教えてくれれば」
ブラの位置を服の上から直している。
マルのその仕草を見ながら、手元のブラを背中に隠していた。
今朝は早かった、マルの部屋で雑魚寝していたヨネは姉のと間違えて持ち出した。
装着時に息苦しくて気がつくというオチだ。
――大は、小を包む――
「大砲、無いの?!」
「ああ、無いよ」
城攻めするのに、どうやってという話がここから始まる。
軍議では最初から城攻めまで詰めなかった。
特攻、決死隊が閂を開けてくれるものとばかり思っていたところがある。
「呆れた、西洋の対大砲戦の城塞に手ぶらで?!」
「手ぶらじゃねえよ、見ろ、この弓兵の数を!」
皇子の指し示す方向にずらっと並んだ長弓兵の数。
およそだが、長弓だけで2万以上の数のようだ。
その矢が届けば、空は黒く染まるだろう。
届けばだ。
「届けばね!」
「届くだろ、風の魔法で!」
「その風属性の魔法で防がれるのよ! あんたバカなの?!」
彼らのいる場所は、本陣だ。
20万もの軍団のど真ん中に置いた。
鬼人の将、黄天の六皇子と言い争うは、水の賢者などと呼ばれるマルである。
「じゃ、じゃあ...魔法で緒戦の音頭をだな」
「こらこら...そのオツムは載せてるだけか?! ポンコツ」
皇子の脛を小突くマル。
女を手込めにしてきた、野獣とも噂された六皇子が少女の前では子犬のように吠えるだけになっている。時々、返せぬ言葉に堪え切れず、ついマルの声に発情していた。
どうも、鬼の間ではマルの声は普段でもムラっと来るのだという。
「知るか!」
「だから、何故だよ!」
「もう、魔法使いの数は戦力の総力に繋がるの! その存在と位置は狙撃対象にされる。攻撃魔法が使えるとか、治癒魔法しか使えないとかはどうでもいい。そこに魔法使いがあるというだけで始末するという考えに至る。いや、至らせる力があるの! 分かる? 彼らが多数残っていると、けが人はすぐに戦線復帰する勝てるスジが消えないからよ」
マルの仁王立ち。
のけ反って胸を張って見せている。
こうすると、威厳が重なってかっこよく見えると、かつ同クラン長、ベック・パパが言ってた。
首を横に傾けている皇子が目の前に居る。
普段、巨漢の男がその場にしゃがみこんで、横に頭を傾けている。
「な、何?」
「いや、もうちょっと...ちょっと待てよ、そのまま」
彼は横になった。
地べたに這いつくばると、半身の魚みたいにほんの少し上目使いをみせる。
「よし! 今日は白字に薄緑の縞パン、スジをGet!」
眼福だと、言いかけたところで記憶が飛んだ。
総大将の戦線離脱である。