-631話 バルカシュ攻略戦 ①-
「城主の首と城の一つ程度では、この帝国は揺るがん!」
問答相手の初老は言い放つ。
まあ、自信あり気な物言いは、帝国関係者であれば総じて思っている事であろう。
西へ進むごとに厚みが増す防御陣地の話である。
帝国が東に向かって歩みだしたのは10年や20年の話ではない。
ラインベルクの父の代や祖父の代からであるから、帝国の拡大路線というのは女帝ルイトガルトの治世数百年単位のものだ。気の遠くなるような根気と、破綻的な内政政策によって支えられた戦争の歴史。
帝国の歴史そのものだ。
ラインベルクが皇帝になって改革しなかったら、あと百年も戦争が続かなかったともいわれている。
いや、結果的に彼は、無駄なことをしたのかもしれない。
「両面戦争どころか、全面戦争の最中だ。ここいらで一つでもいい、どこかの勢力と短期の休戦が結べれば、ひとつに集中できる...その上で本当に首一つ、城一つくらいでは“帝国は揺るがない”と、言えるだろう」
問答相手に突き付けた。
ボセロク侯爵の禿げた頭がきらりと光る。
「まいったな...そんな相手がいるかね? いや、いると思うかね...」
相手は、バイコーヌ城のアエラス伯爵という優男だ。
長身で面長な外見的特徴を持つ。
端正で、美しい金髪という別の側面もあるが、やっぱり優男なのにどうしてか馬面もとい、面長のソレが気になるという御仁である。アエラス伯の女性人気は、国内でも相当なものだが、浮いた話が聞こえてこないのもまた、なにによるものか不明な点だ。
「で、ボセロク侯爵閣下は、どんな指令を受けました?」
「いや、貴殿と変わらんだろう。あの気に食わぬ城主には、一兵たりとも送らんという話さ。既にルイトガルト陛下が下した裁可によって、投下された兵には申し訳が無い...」
深く首を下げ、手を合わせている。
これは深謝だ。
「帝国の貴重な人的資源の無駄遣い。帝国の屋台骨を支える彼らの尊き命をもって、今世の戦争を終わらせると...陛下は仰せになった。儂もラインベルク陛下に賭けてみたくなったのよ」
再び禿げ頭が光る。
面長の伯爵はほくそ笑みながら。
「侯爵は、そういう若者が好きですからね...己を暴君と偽り続けるあの方に尽くすとは」
「貴殿は嫌いか?」
口角を上げ微笑む。
「いえ、むしろ逆です。私もどうしてか、ああいう器用にみえて不器用な方が大好きでたまりません。性癖と言うのもあるんでしょうが、健気ですよね...ある意味」
俯いて、微笑む。
視線を上げれば、目の前に禿げたおっさんが居る。
バルカシュ要塞へ向かうはずだった兵団を自国へ誘導するために赴いた、バイコーヌ領の貴族それがアエラス伯だった。彼らは、自国内に逗留させた後、数日の猶予で皇帝府の命によって解散を言い渡さられる手筈になっている。
これは、計画的な叛意である。
「では、計画的に」
「武運を祈る、アエラス伯」
◆
バルカシュ要塞は塩湖から見た場合の姿と、内陸から見た表情で若干の差異がある。印象としては、どちらにも警戒しているように見える構えを示していた。
ただ、城主が変わり者という点を考慮に入れると、景色が違って見える。
彼は単に、庭を弄っていたら城が改築されていったと告げた――その言質の裏を取る前に、縁者ルイトガルト帝は領主の疑いを反故にした。
無視である。
皇帝府の追及を受けなくなった城主は、古代遺跡の調査や発掘にも興味を示して好き放題へと拡大していく。
これがついぞ100年ほどの周辺史である。
「城塞の最大兵力は12万2千人。内、エルフ出身の騎兵は、千にも満たない」
軍議という名に変わった、女子会である。
ヨネがお菓子を作った。
マルは、パンを買ってきた。
メグミさんがお茶を淹れた。
槍使いとエサ子は、召喚び出された客である。
そこへ、六皇子と少年、ハティや聖櫃の騎士もぞろぞろと集まった訳だ。
最早、迷惑である。
「攻めるなら、足場のしっかりとした陸地が望ましいね。鬼人の方たちも好みがあるんだろうし」
マルは、書き出された城の絵図を眺めている。
角堡、いわゆる突き出した城塞の台場のことだ。
この台場には、大砲や銃座などが置かれ、それ一つが城の持つ防御陣地であるという。
角堡がいくつもある星型を、稜堡式要塞と呼ぶのである。
「最外縁部の角堡は6角あるが、真正面に回り込めない理由がある。帝国領である為、これ以上危険を冒せないという点だ!」
六皇子の指は、塩湖を左手に置いた布陣を指していた。
「ここだ、ここからでしか軍を展開出来ない」
「でも、其処だと要塞の水軍から攻撃されない? 相手は難攻不落を気取ってるんだし?」
エサ子は、上目使いに男衆へ問う。
誰とは特定しない雰囲気だった。
「いや、出てきてくれるなら最上だよ」
体術得意とした騎士、グラニエだ。
聖櫃からの助っ人たちは、マルの前だから余り目立たない動きだった。
意見も極力、差し挟まないようにしている節もある。
「と、言うと?」
マルのツッコミ。
「...っ、...」
「正直に言えば楽になるよ」
マルの瞳が紅く光る。
騎士二人にしか見えない光だ。
グラニエは重い口を開かざる得ない状況になった。
《ああ、失敗した...なんで、あんなとこで発言しちまったんだよ、俺...》




