-617話 北バルカシュ海戦 ㉔-
塩湖内の浮島に移動する際は、船が用いられる。
陸からはもう少し北側へ“セレクトス”から、大小さまざまな島に渡る橋を通る必要がある。
しかし、これではバルカシュ海の外縁をしばらく走り通さないといけない。
人狩りと呼ばれていることを甘んじて受けている騎士団は、“アクタ”の港町から1本マストの商船を用意すると、“ウルジ”を目指した。
1本マストの船には、漕ぎ手と乗務員で既に20人。
客人として騎士団が乗り込むには、とても1隻では足りずに5隻と船団を組む格好となった。それぞれに10人垂らず、馬10頭という配分だ。
およそ帰りになると、狩りの成果で倍の船は必要になるだろう。
帝国領内での三等臣民の扱いは、辛うじて奴隷ではないというだけで、大した違いはないとされている。帝国本土へ近くなれば同じ三等でも、さらに立場が激変する。しかし、外側に住む人々は自らの手で自分たちを守る権利くらいしかない。
城主の行いも帝国という組織のルール上かなりグレーであった。
奴隷だからと言って、化け物の餌にしても良いとは、皇帝でも認めてはいないからだ。
城主を公に避難すると、城主自らがふんどしで顔を隠して、罵った相手を殴り殺しに行く奇怪な行動が散見される。これは、甲蛾衆から派遣された軍監の眼を瞑るところにある。
しかし、ずっと報告しない訳にもいかず、仔羊の餌が足りなければ、領内の肉袋を与えてきたという件は、既にアリス・カフェインの知るところとなっている。
そして、皇帝ラインベルクもだ。
それでも、未だに城主になんら咎めは無いのは、城主がもう一人の皇帝の遠縁に当り、そして、ハイエルフという純血種だからだ――と、いう見方がある。
◆
“聖櫃”のふたりも“ウルジ”に向かっていた。
“アクタ”で2本マストの漁船をチャーターすると、船賃に金貨を振舞って、移動している。こちらとしては、そうそうのんびりして居られないという事情もあった。
彼らには目的がある。
皇帝からの依頼事でもあるし、総長からのもある。
彼らは暇人を装っていた。
旅行だと嘯いてもいた。
そのどれも、これも人に会うためだ――彼ら“聖櫃の騎士団”が導師と仰ぐ人物にだ。
◆
行政庁の執務室では、同盟の話が仮契約されたところだ。
マルの思惑通りに宝石貝と穀物の取引は、搾取されている人々には好意的に受け入れられた。いや、特に対等な立場という言葉が功を奏したとみるべきだろう。
バルカシュ海の地域は、かつて貧しい王国がひしめき合っていた。
その時代から、領主たちによる搾取が連綿と続き、人々は歯を食いしばって生き抜いてきた歴史がある。それはこの渇いた大地に流れた血が証明している。
「では、合意の証としての契約金です」
マルに渡された革袋を妹のヨネが紐解く。
宝石貝だ――ザインの街で出土した石英を触媒にして、二枚貝を加工した人工宝石貝といったものが机上に広げられた。天然の宝石貝は、宝石という鉱石の内側に貝が、閉じ込められているものを指している。
琥珀の中の虫のようなものだ。
数が少なく、貴重である。
貴重であるが、実際に本物を目にすることは無い。
幻の王国が、交易品として地下世界で流通させているのも、人工宝石貝だからだ。
歴史的に貴重ということであって、数が無いから交易品たりえない。
後は、値崩れしないよう管理しながら流通させればいい。
ま、もともとの産出国にとっては、傍迷惑なライバルが現れたことになる。
「商談は成立」
と、一段落したところで、街中が騒がしくなる。
“人狩りが来たぞー!!”
なんて、声が通りに響いた。
市長の顔色がみるみるうちに青ざめていった。
「人狩りとは?」
今まで押し黙っていたハティが、硬直している市長に問う。
彼の眼と耳には、肉袋が縮み上がって、早鐘をうつ鼓動を捉えていた。
「その呼び名通りの野蛮な連中です」
黒衣の騎士は、各地で人々を苦しめる厄介ごとを解決してきた実績がある。
冒険者ギルドの評判よりも、旅商たちによって評価されている。
「帝国領のど真ん中で、公然と臣民を狩るものなのか?!」
市長らは“我らは帝国の民ではない”と言い放つ。
帝国の勢力圏下にあって、帝国の城、兵士が闊歩する基にあっても、市長らは首を横に振った『我らは一度も帝国の民として扱われたことは無い。いや、今現在も敵国の民なのです』と、訴えている。
「実に解せないが、我が国の大事な同盟国だ。今、ここで盟約を果たせなかったら...私は後に後悔するかもしれない」
六皇子は、椅子の背に立てかけておいた剣を、腰に提げ直した。
柄を掴み握り具合を確かめている。
エサ子担いでいた戦斧を両手で掴んでいる。
「ふっ、皆も臨戦態勢が整ったといったところか...」
少年は、剣士と槍使いに預けることとした。
彼が『ボクは?!』と声を挙げる前に、剣士の胸にゲンコツを当てた皇子から託された。
「って、事でよろしく」
剣士は、はにかみながら少年に微笑んでいる。
「この人大丈夫ですか?」
槍使いの方が力量が上とみて、問うていた。