-615話 北バルカシュ海戦 ㉒-
「見ない顔だな?」
聖堂の周りに騎士が集まっている。
声を掛けてきた色白の騎士の袖には、異装の鎧を着込んだ人たちがあった。
「それは?」
ふたりのうちひとりが、静止する騎士を振り払って問う。
質問には質問で返す。
「北天の捕虜だ」
虜囚の数は、10と少し。
やつれた様子は、牢の中にあったからだろうから、恐らくは心労だ。
顔色はさておき、肉体的な衰えは見えない。
「散歩ですか?」
「ああ、こうやって毎日2時間じっくりと脂肪を燃やして適度に汗をかかせる。心はどうであれ、肉質のケアはできうる限り手間暇を掛けぬとな...あれらが満足せぬのだよ」
小首を傾げた。
すれ違う際に耳打ちされる――仔羊たちは、グルメでな――と。
◆
バルカシュ城塞の地下にはモンスターが住んでいる。
この場合は、城主の制するユニークスキルで飼い慣らしていると言い換えたほうが語弊がない。
黒い毛がアフロみたいに見えることから、仔羊たちと言うようになったが、結果的にはどんな成獣に育つかは未だによくわかっていない。
とある遺跡にて、冬眠していた獣を城塞の地下に移して飼うようになったのだという。
かれこれ百年も昔の話となる。
百年からずっと形が変わらないあたり、兵士たちの間では、このマリモみたいな姿が成獣ではないかと囁かれるようになる。が、城主は『エルフの世界では、百年とは10年みたいなもの! たかだか1の後ろにゼロが一つ増えようが二つ増えようが大したことはない!!!』と、一蹴してしまったと言う。
概念が違うのならそういうことなのだろう。
だが、エサは毎年恒例の北天攻めで得られる、北天兵つまりは鬼人であるから栄養は満点だ。
エサの質でどう変化するかは未知数なのだが。
“聖櫃”の騎士も見た目は人に見える。
「なるほど、近隣の村から人が消えるというのはそう言う事か」
瞼を閉じてゆっくりと息を吐く。
「そんな話があったのか」
「ケースが限定的だから、噂程度だ。事件性も低いとみなされ、地方の政庁にまでしか上がってなかった」
ここの城に来る前に、地方政庁が置かれてある町に立ち寄っていた。
別段、仕事熱心という向きはない。
冒険者ギルドに顔を出して、小遣い稼ぎができるような案件を確認するための前提行為の一つだ。その行動で、件の失踪届けの噂を耳にしたということだ。
「城主の趣味嗜好で、捕虜のみならず臣民にも手を出しているとなると...」
「いや、そういう話は導師の耳にも入りやすい筈だ。あの人のことだ、この話を聞けば自ら出張ってでも、城塞を攻めてくるに違いない。十分に警戒して迎え撃てば、」
もう一度、一瞥するように聖堂を見上げる。
この教会の中に北天の虜囚が入っていくところまでは見た。
神に祈りを捧げるものでないなら、神への生贄としての清めだと思える。
なら、ここはこの館に神は住んでいない。
「先生を敵に回して勝てる見込みはない」
「今のところな」
総長が探している遺跡が見つかれば形勢は一気に反転する。
いや、今の帝国の兵力をもってすれば、東征も容易にカタがつくだろう。
ふたりの騎士の姿を城主が見下ろしていた。
「聖櫃め、逗留していかんのか」
◆
バルカシュから発した、人狩りという騎兵は近隣の村からエサとなる人を徴発するのが仕事である。北天との戦で得られる捕虜の数は、年々少なくなっていた。
それは、帝国との戦い方を学習しているからに他ならない。
と、すると辛うじて虫の息という傷物を介抱して、エサにするというコストに見合わない状態になったため、手っ取り早く帝国臣民に手を出したということだ。
「この間は“アクタ”で漁をした故、少し遠出をする!」
網やら、竿などを担ぐ騎兵たちを前にエルフの長が宣言する。
「“ウルジ”の街はどうか?!」
人間嫌いのエルフたちにとって、家畜のブタもウシも大して違いはない。
そういう意味で街を見れば、肉袋のごとき人の群れが多く集まる地域はどこも狩場なのだ。
「“ウルジ”、如何にも」
そこまで足を延ばしていないと、納得したところだ。
もう少し先までと考えたが、寸でのところで思いとどまった。
やりすぎると、地方政庁より臣民保護の軍が編成されかねないからだ。
「...っふん。肉のせいで城主の立場を危うくするのもな」
「いやいや、ルイトガルト様の御威光の方が勝るはずだ!」
女帝ルイトガルト、ハイエルフの長老にして、グラスノザルツ大帝国の皇帝である。
即位して三代目、生まれながらの王であると自負している者だ。
こういう血統だからこそ、ハイエルフ(族)至上主義に固執している。
人の身でラインベルクも、良くやっていると評価は高い。
第一王朝からの血統という、よくわからない神秘主義で対抗しているともいわれ、魔法量や精神力の力でも拮抗しているなどと言われているふたりだ。
その実は互いに、認め合っている部分があるから両輪でいられるようだ。
ルイトガルトに政務への意欲はない。
技術革新と内政事業は、ラインベルクの方が向いているのだ。が、実際に他にやるものがいないからということらしい。
「野郎ども! “ウルジ”だ!!!」