-614話 北バルカシュ海戦 ㉑-
「現実的なのは、迂回コースによる陸戦」
少年は、周辺地図を広げて指を塩湖外縁をなぞって見せた。
確かに現実的でかつ定石だ。
しかし、問題は大いにある――そこはもう、帝国領だということだ。
「橋頭保はその都度、作って進む」
少年の指は、“セレクトス”の街に置かれている。
しかも、二度この地点を叩いていた。
「そこを落とすのか?」
「うん。隕石や地殻変動の影響によって、古代にあった周辺の湖水はバルカシュ海に併呑され今、巨大な塩湖が形成されている。でも、“セレクトス”は唯一、そんな変化に取り残された島の上にある街。周囲の島々とも橋で繋がっているから、ここを落とせれば相当ショートカットできるよ」
帝国領を右端に捉えながら、海上要塞を目指さなくて良いという話だ。
そして恐らくは――。
「決戦地は“アイギス”城か」
復活した六皇子が呟いた。
ショートカットが成功したとしても、行軍距離は長い。
やや無謀にも思える。
「超軍としてもこのまま手ぶらで帰れまい?」
こういうやり取りを六皇子自身が遣りたいわけではない。
そもそも、帝国領への侵攻事態に無理がある。
バルカシュ海は東西で数千キロメートルにも及ぶ三日月型の塩湖だ。
当然、北天七王国が西進を本気で考えるならば、選択肢に上る鍋蓋の要地である。
南北では最大500キロメートルもあった。
最早、海である。
「いや、しかし...」
何か成果を持ち帰らねば箔がつかないのも道理だ。
だが、このまま無駄にいや、むやみに帝国領へ入り込んでタダで済むものかと、うすら寒い気配を感じ取ったところだ。
まあ、マルらが将軍たちの首筋に、冷気を当てて遊んでいたのは伏せておこう。
◆
バルカシュ城塞ではこちらも、連日に渡って軍議が開かれていた。
西城砦を湖底に沈めた“星落とし”の衝撃は、各方面に影響があった。
特に帝国本国から召還された“聖櫃の騎士団”などは、呼ばれた理由に疑問を持たなかった。
呼ばれた騎士は、ふたり。
“聖櫃”側としては、暇だったからだ。
「これは待たせてしまったかな?」
城主が半ば裸体のような、姿で玉座の脇に立っている。
「いえ、呼ばれた...」
城主の前だが、彼らは立礼で応じていた。
当の本人の表情が変化しても、ふたりは別の方角へそれぞれ頭を振っていた。
「そなたならば、魔法少女と名乗る者を知っているのだろう?」
ひと時の間があった。
情報で言えば、甲蛾衆に頼れと思わざる得ない。
暇を持て余していたから遣わされた騎士が納得したような色を見せる。
「なぜ、我らに?」
“聖櫃”は、帝国から信用を得るために皇帝には、包み隠さず自分たちの立場を話している。
そのうえで地位と権限を得ていた。
だが、皇帝がハイエルフとはいえ、一介の城主に話すとも思えない。
ふと、過るのが甲蛾衆だった――あのイカレた棟梁のか――。
「知らぬ仲ではありませんが、何か?」
「単刀直入に問う――あれは敵か?」
まっすぐな質問だ。
彼らの知る人物が件の者であるとするならば、人類の敵である。
帝国の敵に収まるほどの器でもない。
そもそもサイズが違うのだ。
「どうでしょうか...我らの師であれば、躊躇なく人は湯呑に付着する水垢のごとし」
そんな水垢と協力して事業を進めているのだから、情けない話だ。
「水垢?!」
ハイエルフの中にも原理主義者はいる。
人間の排除に、並々ならぬ意欲を向けるものも少なくはない。
それでも水垢とまで思っているのはいないだろう。
「では、我らエルフ、ハイエルフは?」
「亜人程度ではないですかね? いえ、あくまでも我らの知る者であればという条件が付きます。お尋ねの人物がそうであるという確証はございません」
言い終えると、ふたりは部屋をでた。
城塞の高い天井に視線を向ける。
「たく...無駄に金を掛けてやがる」
天井画だ。
この世界の神話を調べたことはないが、世界の成り立ちを吟遊詩人の詩に合わせて、口伝されてきたものを色彩豊かな壁画にして描かれている――あの碧は、エメラルドを砕いて使用しているようだ。
「確か、城内には聖堂があったな」
馬を厩舎につなぐ際、それらしい館の屋根が見えた。
「ここの神には縁はないが、祈って罰が当たることもないだろう」
と、ふたりは雑談を交えながら聖堂を目指す。
辿り着けば、大理石つくりの荘厳な館があった。
「... ...」
「ここまで来ると、神の気配さえないな」
館の石はすべて大理石だ。
窓は宝石を散らしたステンドガラスで、装飾に金箔を吹かせていた。
ここまでくる...
「悪趣味極まりない」
「...なんだろうな、聖堂に入った方が天罰を食らう気がしてならない」
屋根の瓦も金なのか無駄に陽の光をはじき返している。
「見ない顔だな?」
色白の端正面立ちをした騎士が問うてきた。
城塞に詰める兵であることはなんとなく理解できた。
鎧の紋章は、城主の物のようだ。