-607話 北バルカシュ海戦 ⑭-
不思議と自信ありげな表情の少年のすぐ傍に、見覚えのない少女の姿もある。
ただ何処となく影の薄さが目立つ。
「君の友人も来てくれたみたいだね?」
「あ、うん...ボクがほっとけないからだよ。だって、将来を誓い合った仲だもん」
「お、そ、それは羨ましい発言だ」
やや引いている感はある。
少年の脇で、変な声で嗤ってる少女の姿。
今、六皇子にも見えている。
「でも、君って案外、酷いことをするよね?」
「それについては、君の了解を得たと思っている。いや、だからこそ、その作戦で彼女が出てきてくれた訳だし」
少年の目的は少女の相棒である。
いや、そもそも彼女に接触し、彼女を器から引っこ抜いたのも、それが目的だからだ。
世界で最も危険な存在を、ちょっぴり怒らせるためにやった事。
「で、ボクの器どんな感じ?」
遠くを見るような仕草。
目を細めながら、精一杯背伸びをしてじぃっと西の空を見る。
「そうだなあ、野性的?」
「野生?」
目が点になった。
いや、疑わしいという風に動きが止まった。
「アバターの性質が出ちゃってるね。獣王の娘というコンセプトで開発されたのに、肉体の設定はまるでサルのようだよ。落ち着きがなくて、ああ、足で頭を掻きはじめてる...パンツも履いてないから、全部見えてるね」
六皇子は想像しないようにした。
だが、見えてるものを見えてないと言い張るのと同じように、下着も履かない娘の話を頭の外へ追いやろうとすると、自然に想像してしまっている自身に気がついてしまう。
薄い影の少女は、皇子の悶える様を見逃していなかった。
「あれ、今のボクたちの会話を聞いてた雰囲気だよね?」
「ああ、そうだね。およそボクもだけど、君の話で下の方が3Dになってるよ」
と、指を差す。
少女は身体を呼応直させ、瞳だけがゆっくりと少年の腰を捉えた。
ああ、なるほどふくらみを見ることが出来る。
「...せ、生理現象だよ、ね...うん。ボ、ボク..」
直接は見たことはない。
いや、記憶にないだけで幾らか耐性は在る筈なのに、直視できない気恥ずかしさがある。
およそ、同化した少女の心が少し残っているからだろうか。
「あ、あのそれ...窮屈じゃ」
「あ、うん。少し...ね...位置的に、なんだろう苦しい感じかな」
たぶんと、続いた。
影の薄い少女は、少年に背中を向けて――『あっち向いているから、い、位置を直したらいいと思うよ。あ、兄上も苦しい時は...そうしてたから』自分自身でも、何を言っているのか分からないようなことを口走っていた。分からないけど、分かるという変な理屈だが、そうアドバイスすることが今大切なことだと思った。
◆
西城砦の守備兵は、千人ちょっとだ。
周辺はぬかるみで、満潮に成れば湖水が、城の縦堀にまで流れ込んでくる。
毎度、水に浸る地域だから湖水が引いた後も、湖底の泥などがそのまま沈殿して腐臭と生臭さを漂わせた地域として知られる。
満潮時は湖面に浮かぶ城。
干潮時は汚泥の上に築かれた城という、二面性を持っている。
三夜城というのは、汚泥の城という悪いイメージを払拭するための宣伝だ。
実際は、築城するのに数週間もの時を費やした。
帝国が敢えて、この城を狙わないのは、地理的に狭いからだ。
湖面が引いた後のこの地域は、緩やかな斜面が現れる。
舟艇で揚陸させた後は、満潮にならないと船は、同地から離脱できないという難所として知られている。
他に場所を移しても、バルカル海北部はみな、このような場所が多い。
マングローブのような、塩水でも生きていける植物の群生地などもあって、容易に上陸地点を確保できないなどの悪所も目立った。こういう場所だからこそ、最前線基地として西城砦が築かれた訳だが、築城しようとした北天も地理的問題に悩まされた。
今は、悪臭との戦いに奔走中だ。
魔法士たちは、風属性魔法で風の通り道を作っている。
所謂、本来なら自然がその治癒能力で、アクションを起こさねばならないことだ。
「一時的に効果はあるが、日に4回もでは魔法士の方が先に参ってしまいそうだ」
愚痴るしかできない。
作ったはいいが、放置も出来ない。
守るために造ったのではなく、攻める為の橋頭保だ。
「船はあるなんて言ったら、蘇人に笑われるだろうな...その小舟で何をするんだ? ってな、いや、俺たちも正気の沙汰じゃないと思うが。だが、上の連中の考えることは分からんよ」
と、説明しているのは、新入りだとする鬼人に対してだ。
立派な角と、業物と思しき槍を持っている。
「えっと、どこの出身だっていってたかな?」
鼻が利かなくなると、声も出しにくくなって――と続く兵は、酒樽を奥の部屋から転がしてきた。
上蓋を木槌で叩き割ってから、杯を周りに配っている。
「済州島の者だ」
「へえ、済州...? ってあそこは...」
脇腹に鈍痛を覚える。
左の腹に手を当て静かに掌を返している。
ドス黒い血が手首から指の根元にまで乗っていた。
「お、おい...」
鬼人は脇差を"蜀"の兵から抜き放ち、彼を突き飛ばしたまま二人目に襲い掛かった。
周囲からも悲鳴のような声が響き渡る。
新入りだと入城した兵は100余り。
うち、広場にあったのは80名前後だった。
城の守備兵は、交代制で千人すべてが活動している訳でもない。
そんな盲点を突かれた格好である。
◆
「何事か!?」
休息中だった城主が、軽装ながら鎧に身を包んで指揮所に入る。
指揮所は既に臨戦態勢下にある。
「敵襲です」
短く切ったのは未確認でも、それが一番分かり易いからだ。
次の対処に移行しやすい。
指揮所から城壁を見る。
ふたつある櫓はすでに制圧され、兵の詰め所とは分断された形だ。真下にあった食堂の兵らが、そのまま上階の指揮所、普段なら娯楽室としての機能しかない部屋に立て籠って陣を組んでいる。
「分断されたか...」
「詰め所には200、こちらは300と言ったところ」
賊の数は不明と告げた。
城主は額に手を当てて――『完全に奇襲されとるじゃないか』――呟いていた。




