-596話 北バルカシュ海戦 ③-
「そうか、それは残念だね」
と、ハイエルフの肩が下がった。
「言い方を変える...首を落とすと部屋が汚れる。それに些細なことだが、癇に障ったからという理由で...まあ確かに有能でもない将軍をむやみに首をはねる意味はない。それだけだと仔細に理由付けしておく」
鬼人の呟き。
ハイエルフの落胆はもう少しだけ深くなった。
「部屋が汚れる? なら汚せばいい。それを掃除するのが使用人たちの仕事だ! 私は、血が見たいだけなんだよ...」
と、返答された後に溜息が重なる。
ハイエルフの城主が吐いたもの。
うち一つは鬼人のものだ。
◆
エルフのみで構成された、エルフ騎兵団という随分と御大層な連中がある。
ハイエルフを城主とするバルカシュ要塞に常駐する騎士爵を持つ人々をさす。人間の貴族くらいに傲慢で、図々しく太々しい。が、様相を見る限りは真っ白な肌、銀色の髪を持ち真っ青な瞳の人間離れした容姿には圧倒される。
エルフは古くから、妖精などの超自然的な種族とされてきたきらいがある。
人間と同じ尺で測ることができない者たちだ。
ゆえに少々、物言いがいけ好かない時がある。
まあ、これも些細なことから始まった小さな相違だ。
「エルフ様方の狩りは、毎度もお奇麗でございますな」
弓で仕留めた北天兵を荷馬車で運ぶ従者たちへ、他方から派遣されてきた兵団から揶揄いの言葉が上がる。誰が発したかは分からないが、クスクスと嘲笑うような声はあちこちから聞こえていた。
これは耳障りだ。
もとより常駐している帝国兵も、顔を背けるような笑い方だ。
「誰だ?!」
エルフの甲冑は煌びやかだ。
耐久から耐性の補助魔法を注ぎ込まれた、特注の鎧だから陽の光を浴びると七色に光って見えた。
これだけ光れば当然、敵の集中砲火を食らうものだから、よほどの胆力がなければ前線に立つこともままならない。エルフ騎兵は目立つことをして、敵の注意を歩兵部隊から逸らせる働きに長け、彼らが出る戦での死傷者はもっとも少ないとされた。
が、これもどこからともなく聞こえる囁きで台無しになった。
「すまぬ」
唐突だが、どこかの地方を預かっていた兵団長が、エルフの行列に向かって頭を下げた。
騎兵団の戦果である北天の死体は、城砦の地下にある怪物のエサになる。
放逐しておくと、周辺に異臭と腐敗をまき散らすので、有効活用という名でごまかして運んでいる。
頭を下げたままの兵団長を、一瞥していくエルフらと従者があった。
「団長?!!」
彼の行為を辞めさせようとする者たちも出る。
「団長がそこまで為さらずとも」
と、言ってみたものの、この兵団長は生真面目なうえによく貧乏くじを引いてきた。
実直故に敵は少ないが、味方も少ない。
損な役回りでも“また、余計なくじを引いてしまった”と笑い飛ばす人だ。
そんな兵団長を慕う兵士は少なくない。
もっとも、彼らの部隊がエルフを揶揄った訳ではない。
「貴殿は?」
騎士団のひとりが声を掛ける。
見かねたのだろう。
少し、周りの失笑も聞こえなくもない――エルフとしては、揶揄いは妬みだと分かっているから無視している。いや、そういう器官は、人の世界に降りてきて発達したと言ってもいい。
技能としてみると、スルーというスキルであり、熟練度を高めると無音に到達した。
「オレンジブルク旅団、エルリック・ライムベルグ中将である!」
まあ、副官のひとりが直立不動となって空高くに吠え挙げたところだ。
そこまでする必要はないのだが、要するに兵士に好かれている人物なので、照れるぐらい部下が褒め称えるのである。
「ほう、皇帝陛下の縁者であるか」
皇帝直属のという聞こえの良い肩書はあっても、身内びいきを避けるために冠位と爵位を与えず、軍属にのみその身分を赦された甥御があった。その甥御というのがエルリック・ライムベルグという金髪、金色の瞳を持つ青年だ。
オレンジブルク旅団は結成された地からの名で呼ばれている。
エルフの騎士からも深々と返礼をかえして――
「申し遅れました。バルカシュ近衛騎士団、副団長のブルーノ・リウトガルトであります」
兜まで脱ぎ、頭を下げた。
「いやあ、参りました...これは、どちらも良家に御座いますね」
と、細やかな挨拶と、短い交流が交わされた。
が、エルフと人間の間には少しばかりの相違があって、彼らのような者たちの方が少数派であった。結局、エルフを嘲笑った兵士は、全治4か月の怪我を負って路地裏で発見された。
もしも、発見が遅れていれば彼らは、死んでいたかもしれないという傷でもあったようだ。
◆
「そうか、たかが兵士のひとりか、ふたりの肉袋が如何ほどの者か。死ねば地下の子羊たちが喜んで処理してくれようもの...我が要塞を恐れて北天も兵を出し渋っておるし、この際、味方の者でも構わん...ラインベルクに立ててやる義理もないしな」
ハイエルフは眉間の皺を気にしている。
鏡の前でしきりに伸ばそうと努力していた。
「そうは申されますが、その人間がまだ前線の守りに必要なのです...よ?」
鬼人も部屋の隅に立つ。
ここが彼の定位置のようだ。
「面倒な話よな?」
「いうほど、面倒でもありますまい。むしろ、城内の不協和音を大きくなさる政策の転換を求めます。敵軍の動きが見えなくなった以上は、城主殿が忌み嫌う人間と手広く情報を集めるのが肝要にござると...」
鬼人の言葉を生っ白い腕が遮った。
「己とて同胞を嗤えば何らかの手を尽くすであろう?」
「それは場合によります。まあ、いちいち手を出してたらそっちの方が面倒で叶いません」
まあ、これは甲蛾衆としての考えだ。
アリス・カフェインは、笑いたい奴は嗤わせておけばいい――そいつらはチャンスがあっても何もしない連中だから、いざというときには誰も手を貸さないいや、貸してももらえない寂しい連中さ。
ボクたちは、売れるだけの恩を売って、収穫の時期さえ逃さなければ、勝ちだ。
と、部下に教え込んでいる。
大鎌を持つ鬼人も、その考えには賛成だ。
出来れば、目の前の城主も見境なしにふらっと城下へ降りて行って、酔っぱらいの手癖が悪い兵士を殴り倒すような癇癪がなければもう少し、見込みのある人物なのだがと分析していた。
バルカシュ要塞の亀裂は、少しづつ大きくなりつつあった。




