-593話 ヘラ島撤退戦 ⑦-
島を後にする最後の船から少年魔法士は、色鮮やかな狼煙を目撃していた。
島影からでもはっきりと見えるから、相当高くまで上ったという事だろう。
「あれは?」
「時間は稼げた故、協力者は速やかに撤収されよ...ってとこだろうな」
隣に立つのは、猟兵だ。
帝国の増援艦隊が一応間に合ってくれたおかげで、北周りから、北天の上陸部隊を洞に近づけさせることが無かった。これは脱出までの時間稼ぎに大きく貢献している。ただ、その援軍が無事に帰還できか? という次元で語り合うとすれば、難しいだろうと言わざる得ない。
事実、彼らは大艦隊ではなかった――大型戦列艦4隻(=この船の足が遅かったから、凪につかまり立ち往生した)、レイジー・フリゲートが6隻、スループ・オブ・シップが4隻という構図だった。
戦列を組んで定点による砲爆撃が、主流から外れつつある経過途中のような編成でこの海域を目指したのは全くの偶然である。たまたま稼働可能な船をとにかく、かき集めた結果がこの陣容となっている。
さて、北天の艦隊は帝国の第1級戦列艦を前にして“城”だと形容した。
中には“壁”とも思っただろうし、“怪物”とも。
そのどれもが、戦列艦に相応しい言葉だろう。
片側の砲蓋が開かれると、多数の大砲が押し出される。
ごくりとのどが鳴る。
つま先から静かに冷えを感じ始めた。
帝国が派遣したのは、艦級ラグヴェル。
同名のガレオンから発展させたやや古いタイプの戦列艦ではあったが、それでも108門という火力を有していた。もっとも、その火砲のために船自体の重量はかなり重たかった。
猟兵は、眼下の敵に狙いを定めながらも、城壁という高地より帝国増援部隊の艦隊戦にも注視していた。
◆
ラグヴェル級の2隻が爆沈していく。
小規模の爆発は、小口径の大砲に使用する火薬包に引火してのものだ。
巨大な城は、賢者の弾いたバジリスク砲の流れ弾によって、あっけない最後となった。
ヘラ島からの砲撃もそれが最後だ。
5メートルもの砲身長を持つ砲座は、上陸部隊に占拠された。
9メートルの砲は扱える老兵たちによって破壊され、沈黙している。
島のあちこちから黒い煙も上がっていた。
あれは、抗戦の証である。
島に居座ると決めた者たちの最後の咆哮であるのだ。
何気なく猟兵は遠ざかる島の影に向かって敬礼を行っていた。
いや、すべての兵士が訳もなく、額の脇に拳を握って応じている――海軍式敬礼。軍帽の唾先を摘まみながら、会釈をするという所作の名残だ。最も、これのが敬礼の略式だと知るものは少ない。
「先輩」
見上げる少年に視線を落とす。
「増援艦隊は?」
「あちらの提督次第になった...逃げる算段をどこで作るか、いや今、それを考えては遅いだろうが...」
と、再びヘラ島へ顔を上げてみた。
やはり陽が沈みかける夕闇の中で爆発が見えている。
それともう一つの発光。
そのあとに轟音――魔王水軍から砲撃が行われたものらしい。
◆
「マジックシールド!!」
間に合った船でも無傷とはいかない。
甲板に張り出した、魔法士たちの防御魔法は彼らの力量によってさまざまに効果をもたらした。
周忠江の号令は、砲撃の返礼である。が、まとまりのないわちゃわちゃとした陣形から、せいぜい数十発の砲弾しか飛んでいない。
船団は、図らずも輪形陣となっていた。
中心にあるのが賢者を座上させた旗艦ということになる。
「ぐはっ!」
射出された砲弾が数秒後に粉々に砕けて、上甲板を襲う――破砕榴弾という特殊な砲弾を使用している。水軍としては魔法使いによる行使と運用よりも早くから、対人にシフトした蹴散らし方を研究している。
これは陸上での方が先に考案された。
人は、あっけなく死ぬことよりも、なかなか死ねない方に絶望を抱く動物である。
砲弾の威力を減衰損なった魔法士は、身体の前に突き出した両腕が肘下まですっかりなくなっていることに漸く気がついて、大声で泣き叫んでいた。
この光景を脳筋“星落とし”の背中越しに見ていた“水巫女”が激高しながら言葉に成らない何かを発した。軍師は踵をかえして彼女を止める為に両肩を押さえつけた――「冷静になれ! まだ、相手の実力が分からない。今は未だイレギュラーなんだ!!!」
が、この声は彼女に届かなかった。
「全軍っ! 火炎球っっっ」
指を差して叫んでいた――撃て、黒焦げだ!――と。
――ダンッ!
踏み鳴らした音が水軍の上甲板に響く。
「よぉし、来い! 来やがれ糞人間どもがッ、水の壁!!」
前髪を掻き上げるアルトリアによる号令と、彼女は片腕をポケットに突っこんだまま前屈みに嗤ってみせた。飛来する火炎球を寸でのところで打ち返す波で攫ってしまった。
いや、魔法での攻撃を自然に防げるものではない。
その波が打ち消し効果の魔法であることは巫女でも理解した。
「うあああああああああ!!」
水神さまの召喚。
召喚魔法は、具象化するための精神力と想像力というある種のセンスを要求される。
しかも消費するマナの量さえも大きくなる。
だが、彼女の“水巫女”は何かに取り乱したような勢いで暴走していた。
「おい、煙草...」
水兵がアルトリアの口へ、しなびれた茎ワカメのようなものを加えさせ、火を灯す。
「来いよ、ド変態」
どうやら、対岸に見える船の縁に片足を掛け、ふてぶてしく嗤っている可愛い顔の女性将校に反応しているようだ。不安定な状況で呼び出された精霊もやや暴走気味に、その将校を追撃する。
小首を傾げ、デッキブラシをひっつかむと――彼女は一度、ペリーの顔色を窺った。
巨漢の提督も腰に手を当てたまま、まっすぐ対岸を見ている。
「構わん!」
ライネスの呟きが引き金だ。
向かってくる精霊をデッキブラシで横一閃とする。
ありゃ、折れた――と、アルトリアが呟き“水巫女”は、精霊と同じ方向へ吹き飛ばされた。
まあ、彼女は白目をむいて戦線離脱している。