-591話 ヘラ島撤退戦 ⑤-
3隻目の船が岩場の洞に入港してきた。
出航した2隻は、魔王軍の“島亀”を目指して航海そしている。
紺碧の海に浮かぶ巨大な亀、それが“島亀”であるが彼は生き物である。
個体としての生命力は途方もなく長く、2代目の魔王の頃にスカウトされて魔王軍という、組織に参加するようになった。当時はまだ、軍と呼ぶには大層な名であったらしい。
が、3代目魔王の手によって大改修と、人材募集の結果で現在の形になったといわれている。
「それ、本当の話ですか?」
戦隊長は洞の桟橋の上で、腕を組みながら“島亀”の解説を行っていた。
「さあ、教えてくれた連中の受け売りだから、俺は知らないよ」
◆
城壁の上から精確な狙撃が上陸兵の足を、いや這いずりを止めていた。
どんな動きをしても精確に捉えられて『ぎゃあっ』なんて声を挙げて絶命していた。
別にこの斜面だけが、島に上陸できる手段ではない。
手段ではないが、今、ここが橋頭保であることは間違いない。
港湾施設を破壊したとはいえ、帝国が港に指定した場が、船着き場として理想的であることは確かである。だから、どんな状況でも上陸部隊がその港跡地に取り付ければ、大量の兵を揚陸することができるわけだ。
「港の...」
「あっちは魔王軍が見ている。俺たちは、ここを死守するんだ!」
屈んでいる体を起こさずに、少年は港側へ感知範囲を広げた。
確かに覚えのない魔力を感じる。
実際、寒気がするような雰囲気だ。
「あいつらを視ようとするなよ? リフレクトで錯乱させられるぞ」
経験はないが、そういう話を西欧戦線に行った魔法士たちから聞くことがある。
斥候兵などに多くの症状が出るというのだ。
「彼らの?」
「いや、もっと原始的なユニークスキルだろ」
構えてから、撃つまでの動作が流麗すぎて言葉を失う。
猟兵の狙撃に無駄がないが、彼自身は少々不満があるようだ。
「どうかしましたか?」
「いや、使い込みすぎたな...」
弾薬箱の中を覗き込んでいる。
残りも怪しくなっていたが、その数分を仕留めているという意味につながる。
「お前たちは、ここで何をしておるかっ!!」
司令官とその従者たちが屈みながら近寄ってきたところだ。
最初の持ち場は、もう一つ奥の城壁上で身構えていた。
が、一向に上陸兵が上がってこないから、様子を見に来たところである。
「あ、いえ...その...」
猟兵は指揮系統の違いだが、魔法士の少年にとっては上司であるから、ややこわばった表情で固まっている。
「ったく、もっと我々のことを信用してほしいものだ」
猟兵の肩を鷲掴みにつかむと――
「これは親代わりの頼みだ! そこの少年を無事に脱出させてやってほしい」
司令官の睨みがまっすぐ猟兵に向けられた。
また、従者は城壁の下へ視線を向けた。
「ここの敵兵は頭を挙げるのを怖がっていますな」
「ふん、こいつらのせいだな」
ぼつぼつと凹凸のある礫を懐から引き抜く。
「それは?」
「手で投げる爆弾だ。至極、単純なつくりであるがこのゴツゴツとした肌の破片が爆心地より遠くに広がって、爆発で死亡するよりも悲惨な、傷跡を残すのだというものだそうだ」
要するに手投げ弾のことだ。
携行式迫撃砲もつくられ、より死ににくい世界になりつつある。
「想像できませんな」
「いや、想像なんぞしない方がよいぞ」
さあ、少年を遠くへ連れて行け――と、促した。
促した理由は感知力のせいで、眼下の敵の悲鳴を心に刻まさせない為だ。
実験では、豚は破片でぐちゃぐちゃになった傷跡を抱えたまま半日、ずっと泣き叫んで死んだ。
これは戦争ではない。
これは一方的な暴力だ、これは拷問なのだ。
「...敵には...同情するが、これも仲間を逃がす為の言い訳とする! 放り込め、爆弾を...ありったけだ」
投げ込まれるパイナップル。
◆
マルの姿は、沖に浮かぶ大型船の上甲板にあった。
海風にたなびくドレスは紺色で統一されてある。
上着のジャケットは、紺色を基調としたジュストコールという、デザインを取り入れている。
白金の糸で刺繍され、首元のチーフ、腰の太いベルトは2本の小刀を提げるものだ。
下のスカートは同色だが、サイドは腰まで伸びたスリットが入っている。
これは、仕立て屋の個人的な趣味が披露されたものだ。
マルはちゃんと、レースのパンツをはいている。
見えて困るのは桜貝くらいなものだ。
「でも、なんかスース―する...」
短パンか、或いはカボチャパンツがよかったかもと反省している。
これでお腹を壊したら身もふたもない。
「ふーん、下着も新調したんだ」
マルの背後からスカートを捲るのは、メグミさんである。
ま、彼女しかそういうことをする命知らずはいない。
マルはお尻を両手で覆いながらぴょんぴょん跳ね逃げた。
「ちょ、なに捲ってん...」
「妹のは隅々にチェックしないと...匂いとか」
「匂い? 匂いぃ!?」
「本当は、味も...」
「あ、味ぃ????」
腕を組み、マルは自らに問いかけるように――ボクって味、味があるのかな?――と、考える。
視界の端で腹を抱えるメグミさんの姿が見えなくもない。
おそらくからかってのことだろう。
でも、姉は変態である。
マル自身の知らないところで、実は本当に味があるのかもしれない。
「ふふふ、マルちゃんはね...」
声を挙げて遮った。