-589話 ヘラ島撤退戦 ③-
猟兵には年老いた片親がある。
男手ひとつで育ててくれた、元猟師の父親だ。
彼の腕は、200メートル先の猪の眉間を打ち抜く天賦があった。
名猟師の息子もやはり凄腕の狙撃手となる――そして、彼にも未だ会ったことのない子がある。
生まれる半年前に出征し、合わずじまいで6年も過ぎてしまった。
種だけ提供したような関係である。
女房とよべるような女でもない――祝言さえ挙げていないから、最早他人もいい処だろう。
「さて、どいつから俺の餌食に成りたい?」
と、照星をわらわらと岩肌を登る兵士に向けている。
彼らも未だ、狙われているとは微塵にも思っていな頃だ。
「ひとりで飛び出して...」
と、猟師の背中から聞き覚えのある、甲高い声が聞こえた。
振り返れば、いつかの少年の姿だ――この子は間違いなく船に乗れるリストに名を刻まれた者のはずでありながら、木箱を両腕でしっかりと囲ってのそのそ歩いてきた。
城壁の通路とはいえ、眼下の敵から完全に死角になっているわけではない。
「っ、身を引くしろ!」
とやや、おとなし気に毒吐かれて、少年は前かがみにさみし気な表情を浮かべる。
「何しに来た?!」
お前は第一に救出される者だろうと、叱咤された。
が、少年の瞳には灯がともっている。とても強い口調で吹き付けられても、消えそうな雰囲気でもなかった。
「だって、先輩のことが心配で」
すっかり少年に気に入られたようだ。
気に入られる要因はいくつかあったが、猟師がはじめて
一人前の兵士として扱ってくれたことがうれしかった、それで十分だろう。
人に好かれて嬉しくないというものは嘘である。
好意とはやや面倒だが、それだけで力が湧いてくるものである。
両氏の手の中には、愛用のマスケットがある。
錬金術師たちが改良を重ねた軍用の火縄銃ではなく、彼の一族が、かつての領主より下賜された年季の入った家宝だ。銃身の真横には真鍮の凹凸激しい板が装飾カバーが張られ、猟銃というよりそれは近代的な狙撃銃にちかい。
いや、それなのだ――真鍮の板は文字が彫り込まれてある“雷撃よ来たれ、わが敵を貫かんために”といったニュアンスの古代語が刻まれてある。それを支えるために銃身を覆うようにカバーが装着された。
マガジンは箱型スタイル。
銃弾は珍しく、銀を使う。
雷撃系魔法を打ち出すような魔法長銃ではなく、銀の弾芯を触媒とした疑似魔法兵器というところだろう。触媒の鉱石が高価すぎるので、猟師は錫鉱石で代用している。問題はないが、威力が落ちてやや困るときがある。
「これは?」
レールのような板状の上に錫弾芯を填め込んだ束を、木箱の中身を見て少年は驚いていた。
「これか...この箱型マガジンの給弾方法さ。俺の爺さんが昔の大戦の折、文献を発見して改良したものらしいのさ。こうやって一列に並んだ弾芯のレール先を箱の溝に合わせるとよ、上から弾芯をのものを押し込むだけで、簡単に10発もの弾丸をマガジンに収めることができるんだ」
と、やや自慢げに回答。
この方法を見つけた爺さんがすごく驚き、興奮し、小躍りしたことは想像に難くない。
それ以降は、まあ当たり前のように自作までして猟で使ってきたものだ。
「すごーい!!」
少年の目が輝いている。
なぜか、褒められた気分で悪い気はしない。
が、鼻頭がかゆくなるような気分になる――すまん、爺さん――と、胸中でつぶやかざる得ない。
「僕でも扱えるものなんでしょうか?」
少年の唐突な質問だ。
まあ、今はそんな雑談をしている場合ではないのだが...
「いや、銃自体はほかのマスケットよりも、銃身が短く担ぎやすい形状をしている筈だから、難しいことはないだろう。また、反動も小さいから狙いのつけ方を習得すれば...」
と、再び少年の姿に目を向ける。
もう500メートル斜面を登ってくれば、指揮官を狙撃してやろうと思える距離にまで敵が迫っている。
「ああ、お前がその気なら扱えるだろうな」
と、零す。
生き残れればと、そんな言葉が脳裏をよぎったことは否定しない。
むしろ、生き残って猟師の銃を継承してほしいと思ったほどだ。
「給弾の用意だけはしておいてくれ」
「はい」
少年は持ってきた木箱を広げて微笑みを返していた。
◆
ヘラ島の司令官は自ら、左肩に厚手の比較鎧を着こんでいる。
「司令?!」
と、伝令の目が点になっている。
彼は、はにかみ。
「何ができるかと思案したが、古巣に戻って最前線の兵を率いるのが向いていると...まあ、そう思っただけだ。気にするな!」
衣装道具の箱から、マスケットを取り出している。
彼もまた、戦列銃士隊だったということだ。
戦列銃士隊は、帝国陸軍の花形である。
槍兵と弓兵の間みたいな位置づけに置かれるが、成り立ちとしては別だ。
皇帝ラインベルクが麾下で編成させ、配備させた新部隊だが、各兵科の選抜隊という意識もあって、やや仲が悪い。そうなることは実際、皇帝ほどの人物ならば容易に理解できたはずなのに、彼は何もしなかった口だった。
結果、現場の指揮官がバランスをとって差配したり、運用したようだ。
エリート意識の高い“戦列銃士隊”は、最前線を銃を構えて先陣を切る役目が多い。
その後、銃口に剣を装着させて、長刀か、戟のような使い方で戦陣を走り回るのだから、勇猛なくして務まる道理なしという気風が生まれたわけだ。
面倒なやつが多いのも、戦列銃士隊の特徴だ。
「じゃ、いっちょ死に花でも咲かしにいくか?」