-577話 ヘラ島攻防戦 ①-
“島亀”の甲羅には、魔王軍の水軍基地がある。
陸揚げされ、ドックに入る前の軍艦は、4隻前後。
島が移動する間は、陸揚げで一時避難中のが8隻ちかくある。
そのどれもが、2本以上の帝国でも、北天であっても中型以上の大きさの船ばかりあった。
すでに北天と交えた戦隊長であれば、島亀の港は襲ってはいけないと分かる。
「休戦という...?」
小舟同士が横付けで海上にある。
乗船しているのはボートの漕ぎ手と、どちらも指揮官である。
島亀の方は都市の市長であるが。
遠巻きにだが見える水面から顔をだしている小島がある。
あれが、島亀の頭である。
甲羅は常に海上に出ているので、小島のような頭は普段は海中にある。
息継ぎや、周囲の状況判断の為だけに顔を覗かせているのだ。
「気に成りますかね?」
「ええ多少は...人の身分であんなに近くで、伝説的な動く島を見たのはそうは居ないでしょうから、ええ、とても興奮しています」
戦隊長は武者震いだと言いたげに答えている。
もっとも、魔王軍と対峙する経験は誰にもない。
まして、西欧では敵対している相手であるからなおさらでもある。
それらを他所に置いてでも、今は、中立であろう魔王軍に逃げ込むほかない状況なのだ。
今から、北上して“ヘラ”監視島の防衛に回るにしても戦力差は歴然としている。
単なる魔法の一撃で、船を屠れる者があると分かっただけでも収穫であるし、その埋められない戦力差では海上支援砲撃は意味をなさない。術者が出てくれば、残った4隻でさえ簡単に海の藻屑となるだろう。
「まあ、事情は理解できました」
「では?」
「中立いや、一時休戦でしたね...都市のゲストルームを使用する許可は出しておきます。が、我が都市も軍事施設ですから、勝手に歩き回れるのは困ります。故に、見張りは立たせて貰いますのでご理解のほどをよろしくお願いします」
と、丁寧に返事が返ってきた。
島亀の顎が動いているように見えた。
「ああ、今食事中なんですよ」
市長は背中で回答する。
食事中? いったい彼らはいや、この亀は何を食べているのだろう――戦隊長は自身の座上する船に戻っている。
◆
「なんで私まで、こんな窮屈なとこに入らないと...」
樽がゴトゴト横に動いている。
それは小刻みに揺れているようだが、何となく誰かと会話しているようにも見えた。
「しぃ。聞こえるってか、聞かれるよ!!」
無邪気な子供の声。
いや、この甲高い少年風のトーンには聞き覚えがある。
「そこの樽は、そっちの荷馬車に積んでくれ」
咳き込みながら、剣士が街のギルドで雇った下働きの男たちに指図している。
まさに顎でこき使うような風景が、空気穴から覗くことが出来た。
「すいません、この武器は?」
もう一つの樽には“長槍”――手に馴染むよう丁寧にワックスを掛けて磨かれた見事な逸品も入っている。“手斧”、“小剣”、“弓”などのひと通り冒険者ならば扱えそうなものばかりである。ただ、特徴的な獲物でもないという事は誰にでも理解できる。
「一緒に同じ馬車に積んでおいてくれ」
下働きの男たちは、後から宿を出てきた男女に会釈をしてやり過ごした。
一人は、肩から腰までに伸びた黒髪の女性兵だ。
黒っぽい甲冑は、ブレストプレートに皮革の太いベルトを巻き、厚手の外套を着こなしている。
首周りのファーや肩の意匠は“黒百合”が縫い付けてあったのが目を惹いたくらいである。
女性兵士と同じく宿を後にした男性は、端正な顔立ちに細い顎が目を惹く。
切れ長の瞳と、冷徹な趣があり、左目を眼帯で覆っていた。
少し近寄りがたいという雰囲気だったので下働きの者たちも詮索することなく、仕事に戻っている。まあ、男の方は、剣士と若干いや、戦闘スタイルが似ている感じがある。
どことなくである。
彼も厚手の外套を着こんでいるが、その下にある太いベルトには長さを詰めた魔法長銃と、片刃の長剣を携えていた。他にククリナイフという、やや湾曲した刀身をもつ小型の剣である。
剣を破壊することを目的とした、ソードブレイカーのように長剣と二刀流で組み合わせれば、幅広い攻守を組み立てることが出来るとされたものだ。ただ、その単体でも暗殺などの接近戦に強いという特徴がある。
「剣士殿」
短く、黒衣の兵いや、同種の剣士が呼び止めた。
振り返った、青年の眉根がぴくりと不自然に跳ね上がっている。
「それでいいのか?」
「なにが...だ」
「いや、マスクだよ」
頬下から顎にかけるラインを指でなぞる。
剣士は大きくため息を吐くと、近くに係留してあった馬を二頭ほど荷馬車を背負わせている。
「あんたがさ、それでいいってんなら気にしないけど」
黒衣の剣士は、女性兵士の方へ視線を向けた。
「どうだろうか?」
「どうって、私はその顎のライン好きだし...なんて言うか、将軍の目って生で見ても碧みがかって綺麗だと思う。剣士君の嫉妬に付き合ってたら、時間の無駄だと思うよ?」
と、そっけない。
青年剣士に向けては、という意味でだ。
つい数か月前までは手の付けられないほど、ラブラブだった二人だった。
今では、マリッジブルー並みの雰囲気が、ふたりの間に吹きすさぶ状況だ。
「で、あるか」
「へいへい...俺の嫉妬でわるぅーございました...」
剣士は手綱を握ると、馭者台に腰を下ろしている。
「旅の目的地は?」
「そのうち決めれば良かろう」
黒衣の剣士の言葉に樽も頷いていた。