-570話 第一次 カスピ海海戦 序章⑨-
グラスノザルツ第三帝国のカスピ海前哨基地なるものがある。
島の名は“ヘラ”。
現地では“ヘヌート”とか“ヘセハ”なんて感じで呼び名がちょっと変わる。
元は、“ファラーフ朝ドロール王国”の所有する群島のひとつを、いつもの圧力外交で叩きのめして腕力に任せて勝ち取ったものである。
帝国の言い分としては、“戦争をしない、経倭的な解決”なんて言葉を使っている。
相手国にしてみれば、確かに戦争をして国力と人的資源いやそもそも、人命を悪戯に喪失していない代わりに豊かな食料源を失ったとも言えなく無い。現実、値は流れていないが流したも同然という状況だ。
まあ、いつもの事ではあるが、帝国の非公式見解としてはこうだ――『国名が、地図の上から消えなかっただけでも、感謝して欲しいものだ』である。
もしも、この非公式見解が現地の言葉に訳されていれば、いや、考えたくもない話だ。
ヘラ島は実は、小さな島をもつ群島である。
東にひとつ。北に2つ、南は水位の変化によって現れるタイプのものがある。
これらの群島と接続した海域を領土と定めた、旧来のルールに当てはめればかなりの範囲を自国の領海だと言い張れる。まあ、グラスノザルツならば、目の前に広がる海すべてが自国のものだとも言いかねない。
それを言い出さないところに、人々のイメージとギャップがある。
◆
ヘラ島の任務は(表向き)監視である。
カスピ海の平和は。帝国が目を光らせているからだと、主張する為のものだ。
とはいえ、誰もそんなことを望んではいないし、思ってもいない。
海洋国家の殆どは、独自のルールに則して交易を行っている。
バクーを出たがトルクス=テジョン帝国と交易をしていても、咎められることはない。
まあ、どの海でも同じなのが海賊の存在だけだ。
海でも陸でも、対処は似通っている。
冒険者を雇うか、自国の国軍で排除するかの違いだけだ。
ここに帝国が絡むことはない。
では、ヘラでは何を監視しているのか。
実は、監視ではなく帝国は、新設された遠征に耐えうる水軍の強化訓練を行っているのだ。
◆
北天七王国“蜀”は、“蘇”王国の協力によりカブールから西に400キロメートルほど進んだ先に再び、島を見つけている。領有を宣言している国はあるが、人も住んでいないので“蜀”が接収してしまった。
と、いうか散々『船に乗りたくない』と、渋っていた“星落とし”の賢者が上陸してしまったことでややこしくなった。
しかも、勝手に旗まで建てたらしい。
「あれは、アホですか?!」
“少年軍師”という変な異名を得た賢者が“遠見の鏡”の向こう側で吠えていた。
彼は、新しい船が出来るまで足止めとなっている。
そういうストレスも重なった結果だった。
「ふむ...あれは、あれでいい働きをした...と、言うことにしておこう」
総帥の眼差しは別の方を見ていた。
薄暗く、淡い光が部屋の中で光っている雰囲気。
その奥にぼんやりと浮かぶ人の影があった。
「どんな効果があると言うのです? 我々にしたらここの海域は、漁師を船頭にした目隠しの盤上です。彼らが嘘をつけば、ハイフォンのような損失をはるかに超えることに成りましょう」
海賊船の急浮上で吹き飛ばされた、“蘇”軍は多くの船を失った。
誰かの失態でもない自然災害だ。
が、あれが無ければ、作戦は今も、現在進行形で動いていた可能性は高い。
「そうだね...うん。だがね...どこかでいや、どっかの国とだ。...本格的に水軍力を競う戦はしなければならない。私たちは、井の中の蛙...なのだから、ね」
口調は優しさを感じる。
鏡に反射した蝋燭の光だろうか、これの淡い暖色の光が総帥の顔を照らしていた。
穏やかそうな雰囲気がある。
その眼差しは部屋の主に向けているのだろう。
「は、はい...承知しています」
「じゃ、引き続き彼は、君に任せるから」
と、鏡の映像は消えた。
元の普通の鏡となって見える。
「少し冷めましたが...煎茶にございます」
副官の心遣いだ。
軍師の賢者に温かい飲み物が渡る。
「戦争か...ここで船を失うのは痛い。いや、これ以上は失いたくはないな...」
彼の言葉の中に“地中海へ行くまでに”が含まれる。
◆
魔王軍にも前哨と呼べる施設がある。
こちらは、移動できるものだが。
普段の位置は、アラビア海の北部からカスピ海の接続海域にある。
魔王軍の島は、島亀という巨大生物だ。
分類上では魔獣の仲間となっているが寿命は極めて長い。
ドラゴンと似た知能さえ有する。
島亀の甲羅の上に街をつくり、約7万人の亜人たちが住んでいる。
どこかの神話では、“世界”は亀の甲羅の上に載っているとされたものがある。
実は、島亀の甲羅に乗っていた者たちの言葉が、口伝の途中で変わったものだとされている。
「西欧への補給物資かい?」
船団が、島亀の街に入港してきた。
最近よく利用される、大型の輸送船が4隻ちかくあった。
「いや、これは黒曜艦隊へのものだ」
半魚人は、額の鱗を掻いていた。
「どうしたよ?」
「なんかさ、虫ついたみたいで...鱗の隙間とか痒くて」
アニサキスじゃね?という冗談が聞こえる。
半魚人たちの鼻を鳴らす笑い方を、リザードマンらは下品だと思っている。
が、その彼らも似た笑い方をしている。
「海の死神たちが働き者だから、巻き込まれるなよ」
と、声を掛けた。