-565話 第一次 カスピ海海戦 序章④-
「見た、報告書であるがな」
興味深いという言葉の他に、罪深いとも発した。
マルは科学者としてなら、後者の言葉を切り取って良かった。が、彼女の耳に残ったのは、罪深い方だった。
「あれは、複製だというのだ。――端的に言えば、治癒魔法の拡大解釈だな。恐らくは理論上いや、想像上と言うか...まあ、そういうものだろう。傷の具合によって治癒、回復魔法は傷を負った肉体の方を優先する」
「はい。高威力の魔法で焼却されない限りは、対象者は常に個人です。物ではありえません...」
支援魔法と呼ばれる、衛生兵の矜持のひとつだ。
助ける相手が肉片ではないという。
「あれは、肉片の記憶から再生されたものであるらしい」
罪深いの意味がマルを襲う。
滅多に吐き気を感じることはない。が、彼女はよろめきながら船の縁へ。
虹色のエサを魚に与えている。
◆
「大丈夫かね?」
ニミッツは心配そうにマルの細い肩に触手を掛けた。
ぷちぷちと吸盤がタンクトップの彼女の肌に吸い付く。
マルは、南国気分の出で立ちだ――シャギーの髪足が触れるかどうかの襟の無いシャツを着る。胸元には“ARTS”という、青いろの文字がプリントされている。裾は短く臍が見えており、ショートパンツのようなスカートを履いていて、足元はサンダル姿だった。
その彼女の露出する肌の小麦色は、元気な女の子然としている。
見た目だけだ。
「君は、案外と繊細な子なのだな?」
ニミッツ提督の素直な感想だった。
世紀のマッドサイエンティストなんて呼び名が、魔王軍の中で定着しつつある。
これは、ゴーレムでドラゴンを蘇らせたからである。
他では、蜘蛛型機動砲台のゴーレムとか、人型歩行スタイルのまで作っているからだ。特にゴーレムという分野においてまさしく、彼女は狂気の科学者なのだ。
繊細だといわれるのは、この際、不本意ながら心地よさがある。
マルは微笑むのがやっとな、雰囲気の中にあった。
「保護者に来てもらうかね?」
「いえ、ひとりで...」
ふらついた。
船員の半魚人が支えてくれなければ、顔面から上甲板に突っ伏すところだった。
◆
カブールの港町を占領する――ここまでは、絵図通りの目論見である。
西進には必要不可欠な航路の確保だ。
問題は、この後にある。
「クリスタルによる、転移用の召喚門はポータル化しないと意味がない。例えば、カシミール地域のような、強引な山越え後の兵員輸送は、その後のポータル構築が出来て成し遂げられた功績のひとつだ。ま、それで倒れた魔法士の数も効率という点では、実に非生産的だと俺は思っている」
支援工兵を率いて、携帯電話の中継局でも設置するように、マナ増幅器を占領地内に建設してきた賢者の注釈だ。総帥も出席する御前会議というのが、北天以外の国で開かれるのは異例である。
ま、黄天が寝返らないように、数人の実力者を残してきてはいる。
「だから、先ずは俺がなひとつ挨拶代わりにだな」
「お前の頭は筋肉で出来ているのか?! 他人の話を聞け!」
あからさまに不穏な空気に成る。
脳筋だと吹っ掛けられた、筋肉自慢も趣味のひとつのような賢者が目を細めながら睨んでいる。
「誰が脳筋だ?! このモヤシが」
「お前だよ、プロテインバカが!!」
言い合っているのも、見事な筋肉を持つ。
こちらは必要最低限な筋肉だが、脚力では見た目に劣らず俊敏そうである。
同じように睨み返していた。
「まあ、待て。興奮するなお前たち...口論詩を囀るのは結構だ。まあ、大いにやれともいえるが。当面の目標だ! 兵を送るのは陸路か海路かに限られるという訳か?」
「いえ、僅かな数であれば空路も検討の余地があります」
“月の城”ではプロフェッサーで通るゴーレムマスターのひとりだ。
結局は、このゴーレムでグランド、冠位を得るには至らなかった。が、マルの後を追従している一人ではある。古代語や、古代語を略式化したという紋様術の解読が出来ずに、難儀しているところだ。
この辺りは帝国の“聖櫃”と同じレベルと言える。
「空路か...」
「ええ、総帥。まだ、理論の段階ですが仕組みは理解できています」
「...」
「フライによる浮遊魔法で、箱舟を浮かします。これを風属性魔法によるなんらかの魔法を組み合わせれば、空輸が可能だと思われるのです...」
総帥は瞼を閉じて、話に耳を傾けていた。
彼の話が終わったあとも思案していたが、周りが不安視出している。
もっとも、プロフェッサーに対して、他の賢者が『やはり無難なのは、海路しかない!』とほだしたことだ。
「ふん、面白いじゃないか。なんらかのが少し心もとない。突っ込んだ話、帆船そのものを浮かせないものか? 帆布に風を受けて前にすすむものが帆船であるならば、風属性魔法による風力の操作で、船員を輸送できれば...面白いと思うぞ」
という意見は、プロフェッサーの沈みかけていた心に光をもたらした。
まあ、周りの意見というのも雰囲気に流されやすいもので、総帥の言葉を受けると手のひらを返して迎合した。
そのコロコロと猫の目が変わる場を、総帥は楽しんでいた。