-560話 強襲 ドニエプル城塞 ④-
富裕層区画に荷馬車が横付けされる。
積み荷を降ろして、集会所へ運ばれてひっきりなしに絨毯かと見紛う長い反物が出たり入ったりを繰り返す。その営みは夜半過ぎまで係ることになる。
富裕区画の警備員は、本来は国軍ではない者たちに任せている場合が多い。
まあ、この場合は傭兵か、それ以外かで大差はないのだが。
国境なき傭兵団のクラン員が、このドニエプルにあること自体は、秘匿情報であるからドニエプル城塞の最高指揮官と、行政府の執行官にしてみればある意味、彼らが居る間は公な行動も出来ないと言うのが本音である。
公の行動というのは、まあ、動員している兵の再編成とでもいうか。
現在、東に向けて大規模な軍事行動が講じられている。
それは、軍を預かるすべての筆頭者にとって千載一遇の昇進チャンスでもある。
ドニエプル城塞の最高指揮官とて例外ではない。
ドニエプル城塞は帝国領内でも最大にして最重要な城塞都市であり、帝都に次ぐ巨大な次席の首都機能さえ有している。これを統治することは、皇帝の覚えも良いということになる訳だが、出世欲と言うのには歯止めが無い。
ここで満足すると、凋落するしかない。
いや、この地位にある人間の後ろめたさなどが、そこに影をおとしているだけだ。
さて、万事なにごとも見落としが無いよう、人狼たちはそれぞれにそれぞれが点呼を採って、積み荷を確認して、区画を立ち去る――ふと、ひとりがソラに過った不可解さを口にした“こんなに簡単でしたか?”と――。
情報を掴んできたのは、間違いなく斥候の者だ。
斥候らの身を粉にして得た情報にケチをつける訳ではないが。
「だが、確かに70というのは余りにも数が纏まり過ぎている」
少し離れた馬車の傍に棟梁がある。
行動の結果は安易であり、何か簡単すぎて肩透かしさえ喰らった気もしないでもない。
「いや、もう検証をする時間はない」
罠であれば、本物。
無ければ、無くても後日で確認するしかない――拉致に失敗となれば、少なくとも傭兵団のクラン員の全員を助けることが出来なかった事実が刻まれる。魔王軍にも迷惑をかけることになるだろう。
だから、入念に裏取りをしたのだが。
◆
「時間だ」
荷馬車が動き出す。
区画の民家には小さな光が灯され、人影めいたものがちらちらと動く。
これは、魔法というよりも法術にちかい。
もっと言えば、ゴーレムマスター、マイスターの領域であろう。
“式神”という術だ。
人形に切り揃えた紙(神)を用意して、古代語文様を書き加える。
起動式を詠みあげれば、時間内ずっと反復した動きが出来る。
実に簡単な仕掛けだが、習得は、特殊技能に特化してしまっているので難しい。
“式神”の影を目撃した兵は、その場に舌打ちを残している。
揺られる荷馬車は、夜の街を静かに進む。
いや、どんなに静かにひっそりと動いていても、夜と昼間とでは音の響き具合さえも全く違うものだ。例えば、囁き声さえも数メートル離れた相手の耳に届きそうなほど、澄んでいるときがある。馬車のゴトゴトなんて音は、少々煩いを通り過ぎている。
だから、街中を警戒している兵に何度も、呼び止められては手形とか、夜中を行動している理由などを繰り返して言い聞かせてきた。
「昼間の厳重さよりかはマシのようだが、こうも職質されるのは腰にも応えるな」
馭者台にあるのは無神経な一枚板だ。
ここに各々が敷布を置いて尻や腰を守る。
荷馬車の側の心配りではなく、馭者側の自分を守るための知恵である。
棟梁は、ひと際ふかふかの座布団を用意したが、これでも長い事座ると背骨も尻も痛くなる。
「ひと息休憩を入れよう」
まだ、街の中央区画さえ出ていない。
道なりとして怪しまれないルートというのがある。
業者の配送ルートがそれだ。
例えば、昼間の事業者は大手を振って大通りをすすむことが出来る。が、夜の業者はなるべく大きな音を立てずに静かに進むよう都市行政府から忠告という達しを得ている。だから、どうしても近道である大通りではなく、脇道みたいな業者専用ルートを通らざる得ない。
そうすると、僅か4、50分で駆け抜けられる行程の2、3倍を要して、今、中央区の東端にある訳だ。これでも大分、早く動いているから職質に立て続けにあっているという訳だ。
「申し訳ねえ旦那、ちと性急し過ぎやした」
業者が詫びに棟梁の前にある。
「いや、気にするな」
狼の耳がピクリと動く。
人狼族のすべてが空を見上げている。
厚いというほど、雲は出ていない。むしろ、朧げな光を差しかける月が見えて、薄明るい雰囲気だ。とはいえ、街灯が無ければランタンの灯火りでも、数メートル先が見えたか怪しいものだった筈だ。
「どうし...」
「静かに...」
棟梁は身を屈めるように上空を見上げている。
雲の切れ間、白い淡いところに影を見る。
◆
サイレンだ。
静まり返ったドニエプル城塞の夜を、とてつもない恐怖が襲う。
気味の悪いサイレンが、人々の心と体に恐怖を流し込むように襲ってきた。
「敵襲! 敵襲!」
と、叫ぶ兵士らがある。
城塞のいたるところのサーチライトに火が灯る。
それぞれが無造作に空を照らす。
光の柱めいた筋が、空へまっすぐ伸びていた。
「敵襲?」
棟梁は空を仰ぎ見ている。
いくつかあるライトのいずれかが、巨大な影のひとかけらを捉えていた。
「あれは...ドラゴン?!」
暫くすると、停車中の荷馬車に重武装の兵士たちが近づいてくる。
「お前たち、ここは危険だ! 都市の外へ行くのなら早く動け!!」
と、先導してくれると申し出てきた。
城塞の外へ出た後も、蜂の巣を突いたような騒ぎの中にあるようで、暗闇の向こう側を火の光のような攻撃を繰り返していた。時折、爆発が街中に見える。
「爆撃???!」
「いや、まさか...」
「しかし、これは――」