-559話 強襲 ドニエプル城塞 ③-
ドニエプルの都市は、正確には東西にひとつの大きな道が走っており、それらを起点に毛細血管のような路が、入り組む形でひとつに繋がっている。
しかも、どの路も石畳を履かせているという念の入りようであった。
荷馬車の轍溝が刻まれており、そのため、荷馬車の大きさや積載や運搬能力も実はかなり厳しく制限している。これは、路の幅を存分に使って左右2車線の上下交互に運用するためのものである。
東から西へ抜ける路は左側2車線を行く。
逆の2車線は、対岸の2車線とした。
これらの改革によって、道を容易に塞いでいた乱暴な業者の整理にもひと役を買うことにいたって、街中交通様式が整然としていったという。
これらのことが出来るのも実験都市であるからだと言われている。
◆
人狼たちは、いつもの会合場所をある豪商の館の中に変えた。
抱き込みに成功した、口の堅い業者のひとつである。
「で、作戦と言うのは?」
家人の者は内内の宴会であるから、使用人であろうとも勝手に敷居を跨ぐのではないと、下知しておいた。宴会で差し出される肴と酒は、各々で片づけると伝えたので、集まりの談笑も細やかであれば、酒も肴も細々としたものだった。
「金の棒で靡かぬものはない...」
「なるほど」
金で身を亡ぼすタイプと認識する。
最も、金で動かないとなると、他の手段はもっと面倒になる。それを考えれば、双方にとってもWim-Winな訳だ。あとは、帝国側の提示額を上回っていれば、後ろを刺されることもない。
「いや、その点に抜かりはない」
リーダーが商人の首に太い腕を回す。
人狼という化け物の腕だから、ペルセウスかヘラクレスのような者と大差ない。
気がつけばがっちり嵌って動けなくしてから、肩を寄せている。
「こいつとは、最終目的地まで一緒に行ってもらう」
要するに、途中で荷馬車を降りたら、真っ先に陣屋に駆け込むことが出来ないようにする配慮。
青い表情で上目使いに商人は、周りの獣たちを見ている。
彼の前で正体を晒している訳ではないが、彼の目にはまさしく狼の面をした盗賊か何かには見えていたという話だ。
「ま、流石ですな...」
と、褒める者が現れる。
◆
「一刻の猶予も無いと、焚きつけては見たものの...この町の流れはゆっくりと動いているように思う。しかし如何にゆっくりであっても、人質を取られたラージュ様方にとっては、気が気では無い筈。この数日の監視では、70と少しが全部なのか或いは未だ、何処かに分散配置されているかは判断がつかない」
と、人狼の頭目が唸る。
低いの怒鳴りだ。
長く時間を賭けると、一度外に出ているラージュらも、ドニエプルのような城塞に閉じ込められかねない。そうなった場合の優先度は、ラージュを第一位として次点にカーマイケルと続くが、その次点は魔王軍にとってはどうでもよい。
ふたりの身柄の確保だけが最重要なことだからだ。
「さて、棟梁が懸念はもっともとして――だ」
周りに目を配る。
人狼たちの黄色い目が鋭く光る。
「家屋にある住民の数に変化は?」
「いえ、今のところは何も。少なくとも、書類上、残すような下手な運用をしないでしょうから、今も変わらずに70が全部かと問われてもお答えには難しゅうござる」
一堂が唸りながら納得する。
「棟梁?」
「手配する荷馬車は、衣料品が多数だが、中身は鉛だ。...区画に入り、荷物を入れ替える。荷馬車の沈み込みに違和感を与えず出来うる限り速やかに、関所と城門番兵の詰め所を通過したい」
「それで上手くいきますか?」
衣類ってそんなに重たいのか、という話だ。
抱き込まれた商人は――。
「ふ、普段は仕立て前の状態ですから、基本的に反物...織物生地の長い一枚布を棒状にしております。絨毯のように長く大きなものもあれば、小物もございますから」
と震える声で挟み込んでくる。
荷馬車の数も3台までとした。
それ以上だと、キャラバンかサーカス団の間違いではないかと、荷台を臨検しようとする輩が出るからだという。
「ま、考えてるんですね」
「ま、まあ...な...」
棟梁の方は深く考えてなかった。
商人は、額の汗を拭っていた。
◆
陽気な研究員は、中指の爪を甘噛みしながら、遠見の鏡の前にあった。
対岸で映し出されているのは、サラトフ公国のリポフ伯だ。同じ研究をしている仲間というか、いや、ライバル関係みたいなものだろう。
「伯爵~ぅ? そちらの研究は如何ですか~ぁ? ん???」
なんとも拍子抜けた調子の掛け声である。
研究員は、ドニエプルでは単なる、いち研究員という肩書しかない。
帝国の数ある天才たちの影の中に埋もれた存在のひとりだ。
が、リポフ伯爵はだけは彼を敵視するようにとらえている。
伯爵も自他ともに認めるマッドサイエンティストであるが、およそその斜め上にドニエプルの研究員がある。
人体実験に踏み切ったのも結果さえ伴えば、御咎めは無い。
そういう類の人間である。
「いや、エルネストの躯から、多数の個体をアウトプットしたがどれも、生前の彼を彷彿とさせる個体に繋がりはしなかった。強いて言えば、肉体の再生には成功したが、器だけで中身が伴わない...そんな状態だ。君の方はどうかね?」
研究報告会みたいなものだが、明確な回答が返ってくると思っていない。
研究員の気味の悪いひきつった笑いが聞こえた。
「そうですか、そうですか!! それはまた、謎説きが楽しみな失敗でしたなあ」
期待してなかったが、嫌味な奴だと再確認する。
「ああ、ゾクゾクしますねえ~ その個体」
変態が認める変態――研究員はどこかネジの飛んだ人である。