-544話 ハイフォン防衛線 ⑥-
ハイフォンとの戦争は、規模と兵力差で簡単に決するものと思われていた。
地形による環境ばかりでなく、仮に平坦でなだらかな平地だけの土地でも、相手を屈服させることは難しいという事なのかもしれない。
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文化交流、親善の都市“モンクァイ”は13日の間、両岸から掛けられた橋の袂で防塁を築城し、たて籠りながら頑強に抵抗し続けた。河川の横幅が思いのほか広かったこと、そして対岸と川の落差が大きかったことは幸運だった。
街の反対側に回り込むことができるのは、海側でしかなかったからだ。
しかし、それも“ドムダム”寺院と同名砦が陥落し、立て続けに“ラグソン”が落城してから状況は一変してしまった。様相がいとも、予想の範囲内とも言えない現実であったが、少なくとも最前線が約2週間も持ち堪えたことは、その後の王都半包囲戦に大きな影響を与えたといわれている。
防衛が難しくなったモンクァイは、抵抗14日目の朝に降伏した。
両軍の死者は軽微だが、負傷者の方がやや多い。
“南林邑”に設営された収容所施設に、ハイフォン王国人8千343名が収容された。
内、負傷者は同市内の病院に入院処置がとり払われている。
「随分と時間が掛かりましたな」
と、将軍たちは別段、楽観した雰囲気はないのだが賢者には、そういう体のやりとりを感じた。
これは、個々のとらえ方次第に過ぎない。
2週間でも今までの北天七王国の戦争様式からすれば、もっとも早い勝利である。
もっと以前の群雄割拠の時代には、芝布(字を“繁”と言ふ)という将軍が七王国以前の天下を駆けた頃があった。
賢者のように兵法を用いて、短期間で次々と城を落としていった記録がある。
その芝布の再来と、本陣中では口にする将軍もあった。
賢者自身は、史書を読むのが好きな人物だった。
魔法士がまだ未熟だったころの時代は、浮遊魔法でふらつく体感を鍛えるための目的もかねて“凧”を使ったという記述があった。標高の高い山頂から凧を上げ、魔法士の感知力を利用して、遠方から近づく敵兵の進軍方向を占ったという。
しかし、これは完全に見えているわけではなく、本当に占う程度のものだ。
要するにこの時代の兵法家も、魔法士を魔法の水晶玉のようなものとして利用していなかったというものだ。
その運用から百数十年の後、現れるのが“芝布”という将軍だ。
北天の基礎を作った黄天国の王になった人物だが、だいぶ誇張されていると、賢者は過去“月の城”のホームで仲間を前に講釈したことがある。朝とも夜とも言えぬ日々を、ただ只管に魔力の研鑽と惰眠に費やしていた魔法使いの集団が動きだしてやっていることは、グラスノザルツ帝国の猿真似である。
と、言われることを、彼らは酷く嫌うところがあった。
芝布という人物は、小さな村の小役人という身分からサクセスストーリーが始まる。
黄天国ではライトノベルの主人公でもお馴染みで、“俺Tueeee!”の無双小物語から“逆転ハーレム物語”などでも登場する。
人格が多方面に作られすぎて、どんな人物だったのかは皆目見当がつかない。
賢者曰く――こいつは、どこにでも居るような、普通の人間で相談できる仲間があっただけなんだよ――と。
感動や観劇を口にすると、安っぽく思われると思っている居たい人と同じ回答めいている。
“月の城”の仲間からも『素直じゃない』と、指摘された。
「俺を芝布と一緒にするな!!」
唐突に賢者がキレた。
彼は目の前の卓上を蹴り飛ばすと、テントの外に出ている。
月明りで辺りはうっすらと見える。
電灯なんかがなくても、十分に明るいと感じられた。
「風邪をひかれますよ?」
幕僚たちは黙々と蹴り飛ばされた書物、地図、木っ端になった湯呑み茶碗などを片している。
その中でひとり、賢者の文字通り身の周りで世話を焼いていた、若い将校が肩掛けを持って現れた。
「もっと上手く兵を動かし、配置できていれば楽に勝てたはずなんだ」
「はい、しかし閣下の采配は十分に効果的でしたよ」
「歩兵差だと俺が言うわけには行かない。初手では確かにこちらは、チートばりに敵の手の内を見ながら行動の先の先を読んで動かせていた。それを局地では...」
うつむきながら下唇を噛む。
ショールを頭から被せながら――『われらは兵法に明るいとは言えません。が、閣下が必要だというのであれば、犬馬のごとく働きましょう。われらは閣下の駒、閣下の目であり、耳であり、鼻であり...』と、言い終える前に賢者は将校の胸板に顔を埋めている。
「男同士ですることじゃないだろうけども、今は、なんとなくこうしていたい...癇癪を起して済まない」
「いえ、思い通りにいかないことは多々あります。それを黙って無かったことにできるほど、大人な者などなかなか居ませんから、多少は怒鳴ったり、喚いたり、泣いたって構いません...幕僚は、閣下の味方です。どうぞ、遠慮なくご下命をください」
若い将校は、賢者の頭を撫でている。
彼は、この陣中でだれよりも若い兵法家だ。
およそ、胸板を貸し出している将校よりも若い。
「で、どちらから始めますか?」
「海上から砲撃をくれてやれ!」
「御意」