-529話 反帝国同盟 ④-
国を救うことの難しさはいろいろだ。
帝国を退けた要因としては、イズーガルドの抵抗が功を奏したわけではない。
いや、まったくの無駄というのでもないが、これがきっかけではない。
北天という極東の大帝国――魔術の大家のような趣のある国のようだが、詳しくは伝わってきていない未知の国である。が、これまでグラスノザルツとは春と秋の口に数度、矛を交える程度の対戦国でしかなかった。これが覇権戦争よろしく西進を行ったことで、イズーガルドで燻っていた百万の兵団をかの地から、東に差し向けたわけである。
東へ差し向けた。
当りとして聞こえは、帝国の内側に向けた宣伝文句の受け売りだ。
実情としては、目的が滞った百万の将兵をどういう理由で、国元に送り返すかの口実を探していた。と、いうのもイズーガルドでは地上戦が殆ど生じなかったのに、将兵だけはどんどん投入されてしまった訳だ。
占領したと、宣言するのは簡単だったが、抵抗勢力がゲリラ化したことで安易に“終息”なんて言葉は使えず、かといって紛争中とか、交戦中ともいえない曖昧の中で支配してしまったのが、彼らの泥沼化であった。
“北天が西進を開始!”
という一報は渡りに船となった。
これで、帝国皇帝ことハイエルフの王は、ひと息つくことが出来たと零している。
衛星国のいくつかは、彼女を支持する貴族や分家の者たちが参加していたからだ。
「ラインベルク公は、悪戯が過ぎたようですね」
ハイエルフの王からすれば、30手前のラインベルク公は鼻を垂らした餓鬼のような存在だ。
反対に彼の目に映る王は、外見だけ若さを保っている老人のようなものだ。
互いに見下していた。
「悪戯? まあ、何も得られなかったと言いたいのならば、そう思っているがよい」
ハイエルフは種としても、もう数が少なくなってしまっている。
近年では、新生児さえ生まれていない。
寿命が長く、丈夫で貴重な古代種である。
個体として認識できる数は、百と数十しか生きていない。
非常に偏った考え方をしていて、種が滅びるのならそれは“世界”がそう望んでいるからだという持論を持っている。いくつかの世代で、ハイエルフの男女が他の種と交わって、純血を棄てると決まって攻撃的になった。
その姿をハイエルフ王の傍で見てきた。
それは、ヒステリーを拗らせた老婆のようだったと回顧する。
「人の分際で偉そうに」
「その人が支えなければ、帝国の未来など五百年も前に新しい何かが興っておるわ! 戯けが!!」
互いに一瞥して、互いに別々のサイドへ視線を飛ばしている。
この様子だけなら、仲の良さそうな男女に見えただろう。
◆
藩国首都だった、エディル市に入った元国王軍は市内に築かれたバリケードを突き崩しながら行軍している。彼らにしてみれば、市民に歓迎されて然るべきという、自分勝手な妄想がある。
その妄想の痛覚は死ぬほど痛いをレベル10とするならば、国王夫妻のはレベル7か8といった当たりだ。
市民は決して歓迎はしない。
少なくとも藩国として約20年の歴史を育んだ。
市民にも昔を懐かしむ人々はいる――自分たちのルーツは、イズーガルド人だと胸を張って言える親世代だ。
年齢的には50代とか40代あたりであろうか。
子の世代でも、およそ二層に分かれる。
辛うじてイズーガルド人の記憶の子供と、エディル人だと最初から胸を張れる子供たちだ。
その世代の多くの目に藩国王夫妻と、皇子たちは憧れと羨望のロイヤルファミリーだった。
エディル王家を縛り首とし、城壁から吊るしたイズーガルド国王らは市民にとって紛れもなく“敵”となっている。
だから、どう天地が動いたとしても、彼らを歓迎することはあり得ない話なのだ。
「無駄な抵抗を」
と、零した騎士の行軍に石が投げ込まれる。
投石を行ったのは、路地裏にあった酔っぱらいだ――家屋の影から、様子を伺っていた市民の眼にも酔っぱらいが映っている――“このオジサン、やっちまったな”と、皆が皆、心の中で呟いている。
「まてまて、相手はただの酔っぱらいであろう?」
国王は神輿のうえから、その漢を一瞥している。
親指と、人差し指を指先でこすり合わせてみせた。
「何かないか?」
「と?」
「全く気の利かぬ連中よ...金だ、金。もう、この際は銀でも銅でも構わぬぞ? 何かないのか...」
やや不機嫌なもの言いへと態度を豹変させ始めている。
この気性の荒さがこの王の弱点であった。
「銀貨でしたら、こちらに」
騎士の懐から革袋が出てくる。
取り出した銀貨は彼のカネであったが、王はそれを奪うと酔っぱらいの漢に放って寄越した。
「は、路地裏から出てくるでない。地に手足を付けた獣がいつまでも余の目を汚すな! そのカネをもって遊ぶなり、酒でも飲んで消えるが良い」
石畳の路に堕ちた銀貨は、高く鳴いた。
酔っぱらいの目の前を何気なく二、三と弾んだのちに彼の手の中に納まった。
「さあ、もっと奥へ」
と、騎士は不用意にも馬首を横に振らせ、路地裏の漢を追いたてんが為に近づいた。
「銀貨か...これが、お前の命の値であるか」
上から下へ流れる水の如く、暗闇から這い出た影とともに騎士の冑がぽーんっと飛んでいた。
そこへ血の雨が降る。




