-523話 復興、イズーガルド王国 ⑱-
「もう少し三兄殿に欲があれば、皇女の方を応援しても良かったと思うよ。あ、でも...妹から皇位継承権を奪うような兄は見たくはないか。...この戦争ってどうして起きてるんだっけ?」
マルは、卓上に配置した地図を見ながら、白湯を呑む。
猫舌だから、十分に冷ました頃合いで飲んでいるから、白湯というより温いお湯である。
「選択しなかった世界のイズーガルド王国は、帝国寄りの国王派と、それを否定する嫡出子との対立から始まっているって話だね。皇女にとっては、一兄ではなく彼の実子という噂があったらしいよ...」
マルからは、へえっということばが漏れていた。
イズーガルド王国の戦乱突入は、エルザンの内戦と時期が被っている。
きっかけは、やはり“反帝国同盟”だろう――皇太子がつくった地下組織の通称を“反帝国同盟”と呼んだのが始まりだ。発起人は別人なのだが、ブレーメル・イス第一帝国の傍流として、流れを汲む王族のひとつだと言えば、格の違いはあるだろう。
また、帝国皇帝がラインベルク家を出自とする者であれば、数百年ごしの呪詛返しであることも理解できる。
きっかけは単純だが、それによって巻き込まれた市民には関係の無い話だったことだ。
「伝え残ってる言い分が、こうも違うのも面白いね」
「そりゃあ、帝国の人質にされたと宣伝しないと、今までの闘争に対して、市民だけでなく海外からの同情票は買えないからね。結局はどの陣営も、やってることはセコイんだよ」
手酌で酒を舐める。
この手の情報は、メゼディエ城塞の司書室から拝借した記録で習得している。
「一兄殿は、国王派を国外に退けた後に、何者かによって暗殺されたクチだね。まあ、少なくとも甲蛾衆じゃあない。あれらがこの世界に現れたのは、5年あるいは10年くらいの頃だから、それ以前の環境変化に影響を与えられないと思う訳よ」
じゃあ、誰が? という疑問がわく。
だが、今ではない。
「バルカン半島よりも、アナトリア半島の方が、皇子派には受けが良かったみたいだな。国王派の敵対領主が、少なかったというのもある。それだけじゃなくて単純に彼の友人や知人の実家が多かったという事のようだ。実父である国王を国外追放した後は、ギルドの瓦版を詠むと早い」
「うん、押し寄せる数十万の兵団によってのみ込まれたんだよね」
マルは小刻みに頷いている。
肉を味噌で焼いてきた、キャスが口を挟んでいた。
「イズーガルド王国は、帝国による壮大な実験だったという人もいるね。でも、その実験は彼らには結果も含めて、もうどうでもよくなったと考えるのが正しい...」
「と、いうと?」
「国境にある国王夫妻と、帝国軍だけどね...あれじゃあ、帝国の“犬”だよ」
帝国の軍旗を掲げ、1万とも2万を超える精兵が張り付いている国王は、帰還者というよりも侵略者そのものである。その王の傍で優しく微笑む妃も不気味で恐ろしく映った。
だれもが、好奇心を抑えて警戒心を解かないのに対して、皇女を支持した貴族たちはすっかり元の国王派に寝返ってしまったのだ。いうなれば、やはり彼女の周りには味方が居ないという状況。
「で、この書状」
広げた地図の上に紙片が放り込まれる。
投げたのはメグミさんだ。
「最後まで助けてやるべきか...ここいらで手を引くべきか?」
「でも、今更、手を引いたとしても?」
「...帝国から睨まれているのは変わらんだろう。魔王ちゃんが砦から姿を消していた――から推測する、南洋王国の方もいよいよ危なくなった...と、見ていいのだろう」
それぞれが宙を仰ぐ。
◆
皇女の記憶の中に“国王夫妻”とのよい思い出は無い。
籠の中の鳥であったくらいの記憶だろうか――父母というイメージもなかった。ただ、二兄は三兄よりも、優しく手解きをしてくれた人であった。
一兄の実子だと考えれば、皇位継承権があるというのも納得はする。
その秘密をこっそり探してはみたものの、今まで見つけ出せた書はない。
一兄は、物心がつく前に他界していた。
母と慕っていたのは侍女であるし、彼女の記憶だけが封印されたように覚えていない。
「今更、国王いえ、元国王夫妻と手を取り合う意味があるのでしょうか?」
師匠として、ミカエルを自室に招いている。
悩みを説いているうちに相談へと変わっていた。
「――いずれにせよ、王党派という旧い連中が息を吹き返したというのは頂けない。信用できそうなのは、後見人である伯爵殿だけとなるでしょうな」
この信用できる人間の中に自分たちをカウントしていない。
コボルトのスカーやメルルなどは、獣人なのでそもそも論外であるし、ミカエルも部外者なのでわざわざ一線を引いている。
「近衛隊長は...」
「彼も、かつては王党派ですからね...信用し過ぎて寝首を欠くなんてのは御免被りたいって話です。が、皇女を害してしまうのはナンセンスですからね。...私なら無傷であなたを確保したい」
これは、本音だ。
誰によるものかは別にどうでもいい。が、およそ、国王派にとっては、皇女の存在は命綱に等しかった。仮に皇太子の娘だとしても“反帝国同盟”に対して利用価値は高く、前者でなくとも貴族連合から、有力な人物との間で既成事実が成立すれば――帝国を背景とした、自分たちに都合の良い国王が誕生することになる。
もっとも、そちらの方が本命と思えた。
ミカエルは、コボルトのスカーを貴族連合に張り付かせていた。
懸念は、先の皇女をどう扱うのかという心配性から生じていた。
「では、私はまた...籠の中の鳥に?」
寂しそうに俯く。
皇女からまた、笑顔が消えかかっている。
「三兄は、なぜあなたを伴ってアナトリア半島側へ渡らなかったのでしょうか?」
彼女は首を振り、俯く。
目線が下を向く少女は、ミカエルがはじめて謁見した時の頃と同じだ。
「わかりません――ただ、三兄上さまは、二兄上さまの居城であれば私が安んじられると思ったのかも?」
「メゼディエ城塞は、二兄殿の?!」
そこまで考えたことは無かった。
しっかりとした防塁と、近代的な築城構成は見事な仕事がされていると、感心はしていた。
これが、二兄の所領であるとすれば話が変わってくる。
「二兄上さまは、私を国外へと伯爵に託しました。その後、三兄上さまが合流されて...」