-520話 復興、イズーガルド王国 ⑮-
その日、エディル市ならびにエディル藩国は、イズーガルド王国の軍門に下った。
藩国の治世は、僅か20年足らずの短い国史であった。
正式な調印式などの儀式は、もう少し後になりそうであるが、同市の固く閉ざされた城門は確かに開かれた。
エディル市にたなびく王家の旗に市民が沸いたことも確かである。
その旗の中にエルザン王国・シェイハーン子爵軍もあった。
ふたつの国の争乱を鎮めた“獣王”の旗は、吟遊詩人を通して各国に歌い継がれる。
冒険者ギルドとしても、見過ごせない対象となった。
これまでは、いち地域のもめ事を収めた程度の勢力という認識であった。
いや、内心は帝国に弓引く第二の存在という形で警戒はしていた。
冒険者ギルドは、そのまま、帝国の治世を広める為の評議員に直結し、世界を平らげることを目的とする。
ギルドに掲げられる“世界平和”というスローガンだが、あれは“帝国の治世下で実現される世界平和”という意味だ。
帝国失くして、ギルドの繁栄もない――そんな考えの老獪たちが牛耳った組織なのだ。
◆
第三皇子とエサ子らが通されたのは、藩王不在の謁見の間だ。
玉座を薦められた皇子は、その厚意をやんわりと辞退した。
「為政者であれば、征服欲があるものでは?」
と、つい大臣は口を滑らした。
皇子は苦笑を浮かべて――
「私は未だ未熟ゆえ、その境地は単なる驕りでしかないでしょう。しかも、この戦いにおいては私の、いえ実のところ何もしていないというのがありまして。担がれてきただけの者にその椅子は重たい。まあ、それだけです」
後頭部を掻きながら、はにかんでいた。
高貴な者という雰囲気が削げ落ちて、なんとも近寄り易い柔らかなオーラを感じる。
「そのように分析されるのであれば...」
大臣もこれ以上に勧めることはなく、別室へ通す。
謁見の間は、ものものしい雰囲気だったからだ。
国の重要人物と円卓を囲む会議室へ。
「降伏をこうも容易く聞き届けて頂き、誠に感謝のしようもありません。が、調印式は改めて別日に行うとして、何か閣下から条件などありましょうや?」
「と、言われますと?」
皇子は何も考えていなかった。
もとより、藩王家もイズーガルド王家の一員である。
藩王が一時的に軍門に下り、一切合切の争乱を鎮めてしまえば、皇女の下にある伯爵らと協議の上で王家の帰属も考えていたくらいだ。だから、王の不在は少し寂しい気持ちになっていただけだ。
「我らは罪人でござる」
大臣は首を垂れ、机上で平伏する。
「ですが同じイズーガルド人でもありますよ?」
「それでは示しがつなかいって、言ってるのでしょう」
エサ子は口を挟む。
ニーズヘッグの静止を振り切ってだ。
「この際、罪人をつくりましょう。帝国のせいだと言うのは無しにして、市民も納得する形で裁けばいい...まあ、戦争犯罪っていう裁判が望ましいのでは?」
エサ子はニートである。
中学に行ったのは1年と半年程度だ。
あとは、拗れに拗れ返したついでにキノコが生えるまで、ネットゲームに依存した子である。
そんな子から裁判ってのが出る――不思議な話。
◆
薬師は身支度を整えている。
死霊騎士の半数が、サイクロプスのサンドバックにされたのを目撃しての事だ。
「おい!」
「長い間、お世話に...」
手荷物が少なくて良かったと思うのはこういう時だ。
戦況が悪くなったら、逃げる。
帝国の賢者曰く“状況を詠む能力の無駄使いも止めなさい”と“悪あがきというのは決して、わるい事ではありません。時には、逃げ道を捨てて前に向かって走らねばならない事もあるのです”と、人生の先輩から有難い金言を貰っている。
だが、薬師はその言葉を水に流してきた。
まあ所謂、馬の耳に念仏というタイプの残念な人である。
「お前が召喚びだした兵士は戦っているぞ?!」
「申し訳ありませんが、そろそろ帰る時間でして」
「門限でもあるようなことをしれっと!!」
薬師はひとつ首を下げると――『この戦いはさあ、どちらにとっても貧乏くじでさあ...上司に恵まれなかったと思って』――言葉を詰まらせつつ、彼はボロボロと涙を流す。
「ごめん、俺、まだ死にたくないんで」
と、言い残すと逃走した。
それを見送る形となった将帥の気持ちは複雑である。
「バカ野郎、死にたくないのは俺も同じだっつう」
振り返ると、銃士隊は全滅している。
戦の趨勢は決しているが、死霊騎士が僅かに残っていた。
《死霊騎士、俺の周りに集まれ!!》
将帥は、ありったけの声で号令をかける。
本来は術者の為に動く騎士がのそのそと、集まりだす。
「楯を構えろ、方陣だ! 分からなくてもいいが、両隣の仲間を意識して楯で互いの身を守れ!!」
即席とはいえ、立派な方陣が完成する。
「ったく、何がバカレベルだ...ちゃんと伝えれば兵士になるじゃねえか」
確かにちゃんと言葉にして、やり方を説けば死霊騎士もりっぱな兵士になった。
これは術者である、薬師の知識の問題だ。
先にも述べたように、彼には軍役の経験も知識さえもない――いや、彼が所属する“聖櫃の騎士団”はかつて、軍属だった。
だが、薬師だけは機会を上手く利用しなかっただけなのだ。
賢者はそのことについても、嘆いている。
巨楯を掲げ、亀甲よろしく守りを固めた方陣を前に、魔王軍のアロガンスさえその緻密な出来栄えを感心していた。
「うむ、見事である」
即席と誰が思うだろうか。
将帥は、形をつくらせた後、内側から楯の構えの極意を懇切丁寧に伝えた。
脇が甘いとされれば、すぐさまその弱点を塞ぎさらに強固に作り変える。
まさに完璧と言えるまで練り上げた。
方陣は攻略の難しい防御系集団陣形だ。
例えば、丸楯みたいなスキの多いシールドでこれをつくった場合、弱点は腰より下への攻撃だ。
騎馬でロープや鎖を引き回して、陣形の足を掬えば簡単に崩すことが出来た。
しかし、巨楯になるともともと、身体を覆い隠すほどに大きなシールドであるから、箱型、あるいは円陣を組むようにして鎖などでも効果がない。
むしろ中身がゴーレムみたいな力自慢でであるなら、鎖を軸に引っ張る騎馬に身の危険が迫る。
「感心してるだけ?」
メグミさんもアロガンスと同じ戦場に立っていた。
やや変な、返り血みたいなのを浴びている。
「そ、それは?」
肉片めいたものを耳脇に束ねた髪の中から摘まみ上げ、一瞥すると『歯かな?』なんて呟きながら捨てていた。
「ああ、そこに人の形をした人形があったから、ちょっとね」
粉々に吹き飛ばしている。
銃士隊の誰かだ――残っているのは、脛から下の部位だけである。
およそ、見た目人間の女性に見えた、メグミさんに一騎打ちを仕掛けた成れの果てだろう。
《...っ、化け物がっ!!!》
楯の隙間から対峙するメグミさんは、指を弾きながら――ぱちん、ぱちん...ぱちんっ――変なリズムを取り始める。
「お互い様でしょ、化け物はさ...」
俊足、いやスキル縮地。
瞬きの一瞬で数十メートルを跳躍する技術のことだ。
将帥の目から、メグミさんが消えた瞬間である。




