-507話 復興、イズーガルド王国 ②-
「エサちゃん、全力でエディル藩の東から攻勢を掛けて陽動しちゃってよ」
気絶寸前のエサ子にマルの声が鋭く刺さる。
お仕事の話である。
目端に涙を浮かべ、背筋の脂汗と首まで熱く息遣いも荒い少女が、虚ろな瞳を鏡に向けている。
「お仕事?」
「うん、お仕事」
相変わらずくせ毛しか見えない。
が、マルの自信に満ちた微笑みが見えそうだ。
仮にメグミさんに服を剥ぎ取られ、乳房を揉まれていてもマルならば、自信に満ちた微笑みを浮かべながらエサ子を見つめていたに違いない。
「全軍とは言ったけど、この成果でいいこと半分、わるい事半分だったようだけど?」
マルのトーンが変わっていることは分かっている。
懐疑的なのだ。
エサ子の兵団に、よからぬひびが入っているのではないかと。
「やや気になることはあるけど。ボクの膝元で叛旗を翻すことは無いと思う」
「それは自信?」
「いや、なんだろう。うん自信かもね...獣王、百の軍団を束ねてたボクと“大怪獣決戦”をしたがる配下はいない。マルちゃんとこのスライムナイトも、もうボクと拳で語り合いたいとか...思わないでしょ?」
涙目だった少女からは想像もつかない強い瞳力を感じる。
マルが見ている鏡の端には、スライムたちがある。
騎士の姿が疲れたので、沐浴していた者たちだ――当然、エサ子の声が聞こえたので集まってきた。
「いや、そうでもないよ。うちの騎士は戦闘狂ばっかでさ...お姉ちゃんとも戦いたがってるし、エサちゃんともリベンジしたいって雰囲気」
分からなくもない――みたいな呟きがある。
暫くは、ふたりのひきつった微笑みが部屋を満たした。
◆
エディル藩の軍は、全軍の3分の1を前哨戦を含め投入した。
現在のこの兵が喪失されると、いよいよ国家総力戦という消耗戦争へ突入することになる。
帝国からの銃士隊を借用するにあたり、前金として国の金庫は空に近い。
もう、王の資産で軍備を固めなくてはならない状況だ。
「逃げ道が無いと? そういう事か...」
藩王不在においては、国務大臣が国政の代行者となる。
藩王の子息らは未成年であるから、猶更に大臣の責は大きくなる。
その国務大臣の前には、前哨戦で生き残った貴族と、元将軍らが詰め寄っていた。
「...だが、俄かには信じ難い。帝国の精鋭である兵をもってしても...か?」
銃士隊は、帝国の精兵であると王から聞かされている。
藩王の言葉だけを鵜呑みにしたわけではないが、事実、西欧戦線では成果を出したと報告に上がったもので、その情報を信じた。
また、帝国から派遣された薬師の試射に突き合わされた歩兵たちが、歓喜に沸いたのも確認している。
僅か数十メートルの距離ではあったが、鉄製の胴鎧を貫通した威力は凄まじいと感じたものだ。
「それは、対人であればです」
「いや、帝国は魔王軍と対峙している唯一の人を統べる国家だ。その国が精鋭と呼ぶのであれば」
埒が明かないと、将軍は瞼を閉じた。
彼は失った右腕を大臣の前に晒す。
「これを見よ、若造!」
大臣と将軍とは20いや30は離れている。
老獪は戦場で散ってもいいと思った。
しかし、彼を逃がすために部下は自らの身体を盾にして風除けになった。
その結果が、腕だけで済んだことだ。
「凍傷ですか?」
「ああ。切り落とさねば、俺は今、お前と話す機会は訪れなかっただろう」
「と、いいますと?」
凍傷によるスリップダメージは、対象者の生命力を毎秒1%、約5分間喪失させる。
生命を維持させるには、回復し続けなければならない。
或いは、傷を負った部位を切り落とす。
「これが魔法の力だ! そして我らが敵に回した、魔法使いの残した爪痕だ!!」
前哨戦で向かわせた3万以上の兵は、その魔法だけで喪失した訳ではない。
が、狙撃でもしなければ後方で待機していた、支援部隊にまで類が及んでいたかもしれない。
「これでも状況が掴めんか...」
“呆れた奴だ”と呟きそうになった。
「事情は分かりますが、私にどうしろと? 陛下は既に出立しましたが、私の諫言では火に油を注ぐものでしかありません。たとえ耳をお傾けに成られたとしても、降伏は先ずあり得ないかと」
「それは説得のアプローチ違いだ。このままでは、どちらかに蹂躙されるぞ?!」
「商人たちが話をしていたので、様子を伺っておりましたところ...王都の城に“イズーガルド王家”の紋がたなびいたとの話に御座います」
元近衛兵の貴族が首を垂れている。
彼は、王の御前で諫言を説いていた者だ。
最後は、爵位もはく奪されてしまった身分であるが、将軍に引きずられてこの場にある。
「メゼディエ城塞のバケモンが先か、王家の軍が先かって話だ。藩王を今すぐ帰参させろよ! でないと...」
市内に銅鑼の音が鳴る。
急を告げる早鐘の銅鑼である。
エディル藩国の王都までには、防衛とする砦型都市が3つあった。
それぞれに1万に匹敵する常備兵があり、堅牢とは言い難いが、昔ながらの城壁をもつタイプのだ。物見やぐらからは『煙が見えます!』という声が木霊する。
東の空に立ち上がる黒煙は、狼煙ではなく大火の痕跡。
「やられた...か」
将軍も含め、部屋に詰めていた誰彼もが窓の外へ身を乗り出していた。




