-493話 イズーガルドの反撃 ㊳-
「なあ、カーマイケル?」
ベックの腰は思いのほか重かった。
呼び止められ、踵を返すように振り返る。
「なんだ」
「この世界の魔人ってこの程度か? もっとさあ、こう...人智の及ばない化け物っていうイメージはどこへいったんだよ?」
「どこのイメージだよ」
カーマイケルにとっても言うなれば、里帰りをしているようなものだ。
本人も深く意識しているわけではない。たまたま偶然に出自が、魔人を父祖にもっていることから、親近感というつかみどころのない感情の内で、応援したくなっている――だからとは言え、およそ自分自身が対峙した場合は、その“~たら贔屓”めいたものはどこか脇に置いて考え、行動しているだろう。
ただ、ベックのイメージは、彼の持つこれまでの体験とゲームの知識に由る。
vs魔人となれば、越え難き聳える城壁のような存在を思い浮かべていた。
目の前でエルネストが、ぶん殴って吹き飛んでいく魔人の其れではないと思いたい。
「あれだよ、あれ! どう見てもの小物じゃないか!!!」
小物と評価されるのは心外と思う気持ち半分。
確かに、冒険者と対峙して簡単に捻り潰されるのも――。
◆
頭の上にあるスライムは、パートナーの傷を癒すのが精一杯だった。
魔王軍が派遣した、魔人も決して弱い魔物ではない。
悪魔の階級というのがあれば――上から、“王”、“公爵”や“侯爵”、“伯爵”などの封建制度に倣った階級・爵位で呼ばれるなかで、1ないし5の軍団を率いる将軍クラスの魔人が、選抜されている。
例えば、エサ子こと第三席に当たるマンディアン卿は、“君主/王”であり100の軍団を率いる獣王の娘という出自になる。1個の軍団は、約1万~5万もの兵力を指揮する数の事であり、マンディアン卿以外であれば、自らの出自に属する眷族を率いている。
そうした、将軍クラスの軍属のほとんどが、腕自慢の猛者というイメージで差し支えない。
◆
「派遣兵に多数の戦死者が出ました!」
伝令~!と、走り抜けていく使い。
最前線の混乱と共に、後方の陣地を走る伝令がどんどん、多くなっている。
これらから報告を受けた魔王は、小さく丸くなるように固まっている。
派遣兵とは、魔人たちのことだ。
「このままだと...」
マルが席を立つ。
が、その袖をひっぱるものがあった――視線を落とすと、魔王ちゃん本人によるものだ。
「なに?」
「何をする気???」
言わなくてもわかっている。
だが、分かっているから問うている。
魔人200人の喪失は、魔王軍としての沽券に係わることだ。
だが、この戦いは“彼ら、人間のもの”という自身の吐いた言葉がある。
「ボクの兵を動かす」
マルの兵とは、スライムナイトたちのことだ。
魔王ちゃんが使役する目つきの悪い老眼と耳の遠い騎士らと毛色の同じ者たち。
だが、スペックは遥かに優れている強者だ。
「...っ、ダメ!」
「どうして? このままだと正面の味方の兵が左右に分断されるよ」
「でも、今、ここで助力したら――」
人間は、ボクたちを当てにすると言いたげに強く袖を引っ張った。
それでもマルは、魔王ちゃんの手をはたいている。
「当てにするなら、どんどん貸し付けを行ってやる! ボクたちはエルザン王国から来ている支援者だからね。そこの当たりはきちんと線引きさせて貰うよ」
メグミさんもすっくと立ちあがっていた。
腰に提げる刺突剣が鈍く光っている。
「...っ、それでも...」
「魔王ちゃんは、勘違いしているよ! この戦いに介入した時点でボクたちはもう、他人事ではないんだ!! この戦争はボクたちの戦争! こんなどうでもいい事で仲間が死んだんなら、仇を討ってあげないと...その死は無駄死にになるんじゃない?」
振り払ったマルの視線は、魔王に痛みを残す。
これは初めから、分かっていたことだ。
“世界”と名乗る調停機関から、派遣された使者を相手にしたときからだ。
多くの同胞の寄せる忠告を無視して始めた戦争――関わったなら、それはもう私たちの戦争だということ。
分かっていたけど、認めることが出来なかった。
魔王ちゃんの葛藤の末、彼女は頬を赤く腫らしてマル、メグミさんを見つめ直す――。
この陣屋だけの騒ぎではなく、メゼディエ城塞から出てきた軍全体でにぎやかになりつつある。
皇女とその側近らは、さらに後方に本陣を構えていて、“コメ姉妹”の動きは全く知らなかった。
「魔王ちゃんは、第一席さんとこに行ってなよ」
突き放すよう意味でもないが、マルらは陣を引き払うつもりでいた。
言われた魔王も、ちょこちょこっと兵を派遣して、高みからの見物というものではないことを知る。それだけ最前線の動向が、危ないということなのだろう。
「え? ちょ...」
「ここの天幕はそのままにしておくけど」
もぬけの空になることは必然だ。
誰もいなくなった陣屋に、魔王ひとりを残すことにやや罪悪感を抱いたくので――と、マルの配慮。彼女は、冷徹にはなれても冷酷にはなれない。
「ううん、ここはボクが守るよ。マルちゃんや、メグミお姉ちゃんが戻ってきたら、戦場荒らしのコソ泥に何もかも持ってかれないように見張らないと...」
まず、そんな事態にはならない。
彼らの周りには、自宅(陣屋を離れない)警備(貴族さまの私兵)がある。
こんな物騒なところに泥棒が来るはずもないが。
「じゃ、魔王ちゃん...よろしくね」
マルはあっさり快諾した。
マルの届く視線の先にあったメグミさんが微笑んでいたからだ。
彼女の自然体が、マルに判断の指針をこれは正しいものと導いている。
「うん」
魔王ちゃんがうなずくと同時に陣屋の入り口に人の声が聞こえた。
“緋色の冑”のグワィネズと、その騎士らが立ち寄ったところだ。
「続報だ、“貝紫色”の連中が参戦しててな、魔王軍の派遣兵を潰走させやがった!」
と、告げた。
奥から目を白黒させる魔王の姿を見て、グワィネズは口を掌で覆い隠している。
今からでは、やや遅すぎる行動だった。
「西欧で遭遇した人たちかな?」
マルは、グワィネズに問う。
「いや、直に対峙しないと分らんが、脳筋の雷帝っていうドッペルゲンガーが居ても...俺は驚かないが、いやダメだな...多分、この世界の雷帝なんだろう」
直に対峙したとしても、“あの時の”が通用するとは思えない。
“緋色”も西欧では名の知れたクランだ。
“貝紫色”とも浅からぬ仲ではあるが、やはり表面上の付き合い程度しかとっていない。
仮にパイプがあったとしても。
そのパイプは、南の島で人狼族の戦士長と子育てに励む、隠者のコネクションだ。
「グワィネズ閣下も、戦場へ?」
閣下はよせ、マルと俺の仲を隔てるような、ゴムさえないだろう――なんてセリフが聞こえたが、華麗にスルーされている。
天幕の入り口に差し掛かると、支度を終えたマルの姿を“緋色”の誰もが見ていた。
アダマンタイト鉱を形状変換で“糸”化させ、魔法の機織りを用いて反物とする。
織物生地から、陣羽織に仕上げられたローブと、胸と、腰、肩付近の腕を守るミスリル銀の豪奢すぎる軽装鎧。
マルは冑を身につけない。
理由としてはごく単純な話で、周りが見えにくいからだという。
もっとも、彼女が敵中に潜り込むことは無い。
それは、マルの姉を自称するメグミさんの仕事だ。
肩書、魔法剣士という職業は今のメグミさんの為にある。
「ああ、冒険者の相手は冒険者がつけるものだろ」