-488話 イズーガルドの反撃 ㉝-
「おい、馬上筒を!」
アズラエルの言葉に従って、竜騎兵のひとりが魔法長銃を放って寄越した。彼は素早く鞍の上で座る向きを変え、城壁へ照準を合わした――。
《我は、永久なる神の国を否定する!》
何処からともなく、“承認”という女性の声が聞こえてくる。
《我は、御業たる救済を否定する!》
再び、“承認”という声が響く――。
《我は、安寧と秩序を否定する!》
“承認”...どこかで聞き覚えのある声のような。
副将をはじめとるする兵たちが動揺しはじめてきた。
《我は、我の神を否定する!》
これが、詠唱だと漸く気が付いた。
“承認”を得た後、マスケットの銃口から光の帯がまっすぐ、城塞に向けられた。
魔法円が数枚、その帯を中心に捉えて浮かび上がる。
《堕とせ、攻城魔法ヘブンズフォールン!!!!》
つまり、楽園堕としという超位の攻撃魔法。
詠唱時間はおよそ、詩編の読み取りから“承認”を得るタイミング次第。
早口でも、“承認”は術式のストッパー的扱いなので時短にはつながらない。
この声は、堕天使となったラージュの声だ。
撃ち放たれた光芒は、城壁とその都市を飲み込んで更にその西側の地形を変えた。
凄まじい熱量の前に痕跡さえ残らない。
「腕一本と翼の一部なら、安い代償だと思わないか?」
アズラエルの変わりようにも驚きだ。
彼のお道化た微笑みとは裏腹に、マスケットを構え支えていた腕を肩から失い、顔の一部はケロイドの様にただれ溶けている。翼の一部の表現は、副将の眼には見えなかった。
が、それと対比して、城があった地の変わりようは壮絶だ。
消し飛んだ周囲は、未だ、凄まじい熱量で溶岩のようにあちらこちらで赤黒く燃えている。
「だ、だい...」
アズラエルを気遣いつつ、何が起きたのかを整理し直している。
「ああ、心配はない。回復力には自信がある。なあにこの後は、これに拍車が掛かって次々と門戸を開いて迎え入れよう...そうすれば、俺の治癒までの時間を十二分に稼げるはずだ」
アズラエルは、微笑みひとつで誤魔化そうとしている。
だが、副将にしてみれば、そんな話ではない。
目の前から都市が消えたことが重要なのだ。
《これは...もう、》
――殺戮だ。
◆
「シャフティ族、東に撤収していきます」
森の中に配置しておいた斥候からの報告だ。
アマラスの港町に目をくれずに、温存しておいた馬にふたりで乗り、疾走していった。
ざっと数えて3万ちかい兵が、脱出できた感じのようだ。
「脱出組にも、バカな奴が居たってことだ!」
“疾風”の軍師が呟く。
最年少の魔法使いも、火炎球の詠唱の手を緩めて対応した。
彼らが、無事というもの変な話だが、逃走できるよう手心を加える。
「みんな、大体のところで分かってるんだね」
エサ子の視界にも、戦場を横切る一群の姿があった。
が、こういう状況でも、空気を読まない部隊は少なからず存在する。
“突貫からの更に特攻”か“逃げる敵は必ず仕留める”みたいな、スローガンを掲げる者が必ずひとり以上存在する。
下っ端ならば問題は無い。端から消えていく存在だが、これに部隊長だの貴族が絡むと厄介なことになる。
付き合わされる兵は悲惨だという話だ。
“王党派に盾突くとは何事か!!”と暑苦しい奴らも、この戦いですっかり姿を見なくなった。
旗頭と言うだけの身分の第三皇子さえも、身体的では平然としていても、神経的には相当すり減って疲れている状態だ。
「ボクらも、ここら辺で一気に下がろう!」
エサ子の意を得て、ニーズヘッグが吠える。
グラニは、反乱軍にも下がるよう使いに走った。
◆
「下がるだと?!」
勝っていると錯覚している連中は、徹底抗戦を主張する。
《まだ、こんな阿呆が残っていたのか》
皇子の溜息は、落胆したものだ。
「このタイミングを獣王が教えてくれたことに感謝をしろ!!」
元棟梁が吠えた。
今、反乱軍の中で一番の説得力を持っているのは、彼だ。
2千の兵は、遊撃となった彼に振り回されてボロボロだが、士気は衰えていない。
逆にもっと、それ以上に奮い起こしているような雰囲気がある。
その兵士らも――『もう、ここいらで退かないと、辛うじて支えている戦線が崩壊しかねない』と、軍議で口を挟んでいる。挟まれずにいられないほど、事態は急を有する状態だ。
「バカな、勇猛果敢な?!」
「バカはお前らだ! 勇猛果敢ってもな、狂戦士じゃないんだ。死をも恐れない連中と、心中してどうすんだバカ野郎!! こっちはな、国を取り戻すっていう目的があるんだろうが!」
三白眼で怒髪天の棟梁は、罵倒した貴族の顔面にグーの拳をめり込ませている。
何人かは、豪快に吹き飛んでいった。
「お、おい...」
軍師の手が止まる。
皇子が嗤いだしていた。
「それは、私もやってみたかったのだがな」
「ええ、だから代わりにやらせて頂きました」
「“疾風”の――獣王は?」
クラン長は、天幕越しに最前線へ気を向けている。
「殿軍を買って出てくれるでしょう...天幕の撤収とか構わず、このままで一気に下がりましょう。バルトゥーンまで下がれれば御の字ですが...」
「タイミングは、我らか」
イズーガルドの命運は間違いなく、メゼディエ城塞の皇女の方だ。
彼女が生きてさえいれば、国の復興は成し遂げられる。
だが、エサ子にはその話を伝えても、『アナトリア半島でここまで戦ってこれたのは、あなたという皇族があったからではないですか? 確かに皇位継承権は無いのでしょうけど、旗印が目の前に居ない皇女よりかは、眼前で鼓舞しているあなたの方が信頼できる。...ま、それだけでもあなたをこの死地から脱出させる価値がありそうです』と、言い放った。
見渡せば、皇子の周りの癖ある兵士、将帥らは皇子をどう逃がすかの話し合いになっていた。
「この戦いで、無駄に兵を失った失態は私にある」
「そうでもないですよ...戦わないで国土回復なんてありえないでしょう。勿論、1万数千あった総数から4、5千失ったいや、負傷させられたのは正直痛い話ですが、です。でも、シャフティ族と戦って追い詰めて、生還した訳で――箔が付きました! 閣下は俺たちにとっては王様も同然です!」
棟梁が告げて、皆が頷く。
この光景を見てグラニは微笑む――いい部隊だ――と。




