-484話 イズーガルドの反撃 ㉙-
「っ、面倒な奴だなあ、冗談に決まってるだろ」
ベックは腰のポーチから、ブラシを取り出すと体毛の手入れを始めている。
「お、おまえ...」
「ブラッシングだ。見てわからんのか?」
横に流し縦にと、タワシみたいな太い毛が突き出したブラシで体毛を鋤く。
獣人だから、抜ける毛の量も半端ではない。
よく見れば蹴鞠みたいな大きさになっていた。
カーマイケルの視線はブラシに向けられている。
「...っ、ネコ科っていえば、」
「舌か? 獣人族をそこら辺の愛玩動物と一緒にするな! こう見えても、ちゃんとした社会性があって、豊かな文化を持っているんだ。いつまでも舌でブラッシングすると思うなよ!!」
ベックのセリフに頷く賛同者があった。
カーマイケルの眼下から見上げる視線を感じる――少し気を使うと、食堂のある一部に獣人族らが占領しているのが見て取れた。
人熊族とか、人犬族なんてのが、昼間から麦酒をジョッキで飲んでいた。
戦争が起きると想定された地に集まるのは、冒険者ギルドに片足を残している傭兵家業の連中だ。
市街戦になった場合、ギルドは自前の兵力で、従業員の生命と協会の財産を守ることが定められている。
そのための力が傭兵なのだ。
傭兵の賃金も破格だと聞く。
まあ、もっとも噂だと、前金で金貨200枚。
生存していた場合に金貨150枚、協会の資産が無事であれば、追加ボーナス+αという口約束だ。
しかし、これはあくまでも西欧戦線のごく一例に過ぎない。
実際のところ相場的に如何ほどかは、秘密という話だ。
「で、ここまでストーカーしてきた理由は?」
「ひとつは魔法少女の噂だ」
ベックの眉根が動く。
愛娘、マルとは随分と会っていない――クランの仲間、エサ子を助けるといってメグミさんを伴い出て行ってからだから半年以上は音信不通だった。心配で仕方なく、クランの何もかもを放り投げて、エルザン王国へ探しに行こうかと何度も思った。
が、彼にはそれができるだけの勇気がなかった。
クラン仲間の人豹族、レニーホールドは“探しに行け”と背中を押してくれていた。が、結果、ベックは帝国に徴兵されるまで、クランを守り通した訳だ。
三人が帰ってこれる家を残したいという言い訳だが。
「噂?」
「マル・コメであることは間違いない。この辺はラージュが気にかけていてな、できれば敵対しないで話ができれば――と」
ベックを誘って、食堂の奥でテーブルを挟んだ。
傭兵団からは、カーマイケル以外に馴染みのある騎士がふたりほど脇を固めている。
「しかし、お前そんなに大柄だったか?」
四人掛けの卓上が小さく見える。
いや、カーマイケルの傍まで、ふたりの騎士が寄らないと座れないほど、ベックが大柄であった。
「まあ、肉体資本の格闘家であるし、獣人っていう種族補正じゃないかな?」
腰回りも、人の2倍はありそうだ。
それらを差し引いても、上半身の肉付きと見事な逆三角形は種族だけではなさそうだ。
「食事は何を...肉でいいか?」
「キャベツは大盛で」
「ん?」
「なんだよ!」
ベックの髭がぴんっと張っている。
本気で癇に障ったらしい。
「いや、ネコ科...」
「なあ、いい加減にしろ!」
分厚いステーキとキャベツ1個が食卓に置かれた。
さすがに見せつけられた3人の食欲は沸かない。
◆
「二つ目ってのは俺だろ?」
「どこまで自意識過剰だよ」
違うのかと残念そうにトーンが下がるベック。
彼の喰いっぷりはケダモノである。
しばらくはフォークとナイフで肉を切っていたが、『気にしなくていいから』という傭兵団から告げられた途端に野生化な食べ方へと変化した。
カーマイケルの認識では“マナーを気にしなくていい”ではなく、“俺たちは食事しに来たわけではない”と告げたつもりだったことだ。
「お前たちの文化レベルはどこへ行ったんだ???」
「何?」
「――魔王軍との最前線が今、どこか知っているか?」
二つ目を切り出す。
肉汁にまみれた手でキャベツ玉を持つ獣人が目の前にいる。
「せいふぉーだぁろぉ?」
「いや、あちらは膠着していて動きがない。もっとも帝国と目と鼻の先といった立地故に、動かなくてもけん制が成立している。この点は評価できるわけだが、脅威は目の前にあるってことだ」
「目の前?」
「知っていての反応か?」
キャベツ玉がみるみる小さくなっている。
どんな菜食感だと、ベックの知人ののどが鳴った。
「キャベツ玉、頼むか?」
「いらない!」
「すいませーん! おかわり...」
ベック、2個目のキャベツ玉が来る。
『これ、甘くて』と、情報をよこしてきた。
「...この国が傭兵から、得体のしれない軍隊を組み入れている理由として、魔王軍の存在がある。そこに、俺たちの知るあの娘も...魔法少女マル・コメと、魔法剣士メグミさん(仮2)が参加しているという訳だ...心当たりがあるだろう?」
と、クラン長自らが、乗り込んできた一遍を見せる。
「それは、誰に対して脅威なんだ?」
「勿論、世界に対してだろ! マルは、彼女の放つ魔法の一撃で国が亡ぶ!!」
「俺の娘は見境なく人々を傷つけはしない!」
キャベツ玉が卓上に転がっている。
食いかけに鋭い犬歯の噛み跡が刻まれていた。
「話しにくいか?」
カーマイケルの両脇にある騎士の目が泳ぐ――近くに監視の目があることを示唆した。
馴染みのある者と会うリスクは、話過ぎる点にある。
帝国に見いだされはしたが、魂までは売っていない。
だが、クランの全員が人質にされている点は変わらない。
「お前を勧誘したかったんだが...」
「...戦争が始まったら、声を掛けてくれ」
ベックは勘定の銀貨を卓上に残すと、その場を去る。
去り際の中、ぐるりと食堂内を見渡すように席を立っていた。
《なるほど、鬼が...》