-481話 イズーガルドの反撃 ㉖-
「皇子より急ぎの使いが来られました」
と、兵が告げると近衛の静止を振りほどくようにして、“疾風”の軍師が飛び込んできた。
彼自身で何かをすることは珍しい。
「少し乱暴な方のようだ」
不機嫌だと態度で示す、ニーズヘッグへ一瞥したが。
彼の視線は、天幕の奥深い先、厚手の色鮮やかな絨毯の上で寝転がっている少女に向けていた。
「戦場のど真ん中で、寛いで居られる胆力は、流石に豪胆だと認めている...が、その力を貸していただきたい。まさか、あれほどまでに鮮やかにデビューしておいて、このまま帰還されるおつもりか?」
彼は、彼女らが力を持て余しているだろうと思って、催促しに来た。
出来れば挑発のひとつでも、売りつけておいて買わせる自信もあった。しかし、エサ子は甲冑を脱ぎ、台座にしまい込んで無関心を決め込んでいた。少なくともふた刻も前の武人ではない。
もっとも、これは王侯派が原因をつくった結果である。
「御冗談も、そこまで来ると――」
「あなたを遠ざけたジル子爵は戦死された」
軍師の報せを得るより以前に知っている。
知っていたが、あえて行動しない選択肢をとっていた。
その気まずいやり取りの均衡を破るのが『閣下、歩兵部隊が到着しました!』という報告だった。重い腰ならぬ寝転がっていた彼女は、飛び跳ねるように起き上がると、戦斧を担いで天幕の外へ出た。
「脱落した者は?!」
エサ子が兵に問う。
「シスター・エセクター卿が率いる1万、無事に到着とのことです」
兵士の胸を小突き『お前もボクの天幕で休んでいけ!』と声を掛けると、その足でエセクター女史を出迎えに行く。
使者として立った軍師も彼女の背を追った。
◆
千人は、楔のような陣形となってただ只管に前にでた。
突き出される槍の穂先を丸楯で受け止め、押し流すを繰り返しながら前に出る。
槍のリーチが無くなると、兵の頭上から覆いかぶさるように斧を振り上げていた。
これは、ちょっとしたリズムを踏むような感じだった。
丸楯を構えて、半歩前へ進む。
槍の先を楯の曲面で当てて、受け流す。当てて、受け流すを繰り返す、単純な作業だがこの作業の前にチキンレースが待っている。
長く伸びたリーチのある武器に身を晒すことだ。
それだけではなく、頭上から降り注ぐかもしれない、長弓の矢の雨だ。
「進めぇ! 銅鑼の音に合わせて...半歩ぉぉぉぉ!!」
「半歩ぉぉぉぉ!!」
小高い丘の上に置いた本陣を捨てて、皇子らはいつの間にか降りていた。
原因としては、獣王兵団との連絡が取れる位置にまで後退したかったからだ。
穴倉から穴倉を通って、街道整備や輸送路の警備に当たっていた、敵兵から勝ち掠め盗っていた反乱軍は、この野戦が初めての本格的な合戦という場であった。
だから、高台を制していた意味も分からず、軍師の下へ駆け寄ってきたのだ。
「敵の奴らは、高台を放棄したようですな?」
シャフティの一番槍を得た老将は、直上に当たる将軍に声を掛けている。
厚手の毛皮には5本の矢が刺さり、左の頬から口端にかけては金属で抉られた様な傷跡が生々しい。
時々、口腔から舌を覗かせて口端の傷を舐めている。
話すときも『ひゅぅーっ』と、いった風が漏れるような音が耳障りに聞こえた。
「分断されると思ったのだろう」
将帥の視線の先には、砂浜に組まれた天幕群がある。
小高い丘を取れば、戦場の大半を見渡すことが出来るだろう――そうなれば、エサ子らが陣地を構築している砂浜を一望することが出来て、ちょっかいを出すときにでも、盤面を俯瞰しながら策を練ることが出来る。
結局は、情報が重要なのだ。
「化かし合いは、閣下の勝ちですな――」
老将のお気楽ともいえる高笑いは、周りの兵士を鼓舞できている。
「化かし合い...と、」
続々と城から兵があふれ出ている。
もはや、その湧き口をふさぐことはできない尋常ならざる数となっていた。その一方で、放置された、陣地未構築途上で終わっている丘を目指す一群がある。
『先陣、先陣、我が斧の餌食と成れ!!』なんて叫んでいた500人の生き残りたちだ。
老将もそのひとりだが、兵団長の傍で朱槍ならぬ使い込まれた、手斧を授与する栄誉の為に離れて行動していた。
その生き残りが盛大に爆ぜて散った。
魔術的なトラップではなく、“疾風”にある機工士が仕掛けて回っている、地雷という爆発物だ。取り扱いが難しく暴発しやすいというのが難点らしく、機工士の研修を受けているにも関わらず、反乱軍も自らのトラップに係り盛大な爆死を遂げていた。
《登るなあ!!》
爆発による衝撃は大砲とは比較にならないほど小さかった。
が、兵団長は咄嗟に叫んでいた。
しかし、その声は爆発音によってかき消されてしまった。
◆
イズーガルドの地で、今、残っている敵は王国を裏切った元国王軍である。
バルカン半島・メゼディエ城塞より真北に位置する、国王の実弟が統治する国“エディル藩”。
同名の都市と、陸上兵力30万の兵を持つ地は、イズーガルドの要であった。
しかし、藩王は兄に背を向けたのだ。
アナトリア半島では、エスケシェル藩と、イスミラ藩が寝返っている。
どちらも帝国との接点はない。
それでも、かの藩王は国を裏切って己の信念さえも偽った。
どこかへ去ることも出来ない彼らは、反乱軍が来ることを待ち望んでいた。
同じく死を賜るのならば、戦場で果てることの望む――と。




