-479話 イズーガルドの反撃 ㉔-
「問題は、反乱軍だよね」
深く息を吐く。
甲冑を着込んでいるから、足取りが重いわけではない。
援軍らしい援軍の無かったイズーガルド人が、およそ決定的な勝利を味わったことのない彼らが、包囲の口をわざと緩めて、武士の情けめいた行動がとれるかが不安だった。
帝国が頑強に統治していた頃に比べれば、楽に王国領を解放できる。
ただし、残っているのは帝国の治世を受け入れた、元王国市民や軍属らである。
彼らの不満をどれだけ取り除けるのかも、今後の課題であった。
軍議が開かれている天幕にエサ子は、訪れた。
勿論、ニーズヘッグという保護者が同伴している。
「敵の雄叫びは凄かったですね」
と、反乱軍の将帥が声を掛けてきた。
まあ、エサ子にではなく長身のニーズヘッグにである。
外見こそ、働き盛りの50代といった雰囲気の騎士であるから、彼が獣王兵団の指揮官だと間違われても仕方のない事だ。が、元盗賊の棟梁である男から『そこのちっこいお嬢ちゃんが、あの兵団を率いているシェイハーン子爵様だぜ!』と、口を開いて皆を驚かせた。
棟梁も、軍師から聞かされるまで、グラニかニーズヘッグだと思っていたほどだ。
夜の闇が深かったので、エサ子の異常さに気が付かなかったというオチだ。
「反乱軍の皆さんは、どういう姿勢で臨みますか?」
子供だと侮っていたエサ子から声を掛けられた。
先ずニーズヘッグが連れて歩いていたから、そういう趣味か風習のひとつだとも思っていた。
確かに、世界は広い。
童女いや幼女を妻に迎えるという習俗などもあるだろう。
戦場に――妻に鎧を身につけさせて、横にはべる――いいご身分だと、イズーガルドの下種な貴族たちは嫉妬にかられていた。
もっとも、それらは元棟梁の下卑た笑いによって吐き捨てられている。
「どう臨むとは?」
「彼らは恐らく全軍で撃って出ます」
甲冑を傍らに抱える、少女の真剣ともとれるまっすぐな視線が痛い。
何も考えていなかったわけではない大人たちであるが、彼女前にあるとどうにも調子が狂う感じがする。いや、狂わされているのだ。
「確かに備蓄された糧秣の不安は...あるでしょうが――」
将帥らは、城をどう攻めるかに論点を置いた会議中だった。
攻める側にとっても、海に突き出た出城を攻略するために、一本しかない狭くて細長い道を使わなくてはならない。ここに完全装備の兵を送り込むとすれば、多くても600いや、シャフティ族のように500未満の兵になる。
城壁から石なり油なりをまかれれば、悪戯な消耗戦をただ繰り返すことになる――と、こういう流れを延々と続けている。
帝国の攻城砲やカタパルトなどの兵器でもあれば、幾分かマシな攻略法を検討できた。
「――いえ、あなた方が投石器を用いて城を攻撃したとしても、彼らは距離を取った包囲のすぐ外側に兵を展開するでしょう。結局、彼らは出てきます...無駄な努力か抵抗であることも承知で」
「随分、買っておいでですね?」
肩を持つと、痛くもない腹を探られるという定型。
エサ子のシャフティ族を見知ったような雰囲気に、皇子の興味が注がれる。
次に彼女は何を語るのだろうかと、いった興味である。
また、その彼女を愛おしそうに見つめている、長身の騎士についても気を向けていた。
その騎士は、煌びやかで豪奢な飾りを嫌うように、武骨でシンプルな鎧を身に着けている。
腰に帯びた長剣の柄もそうだが、エルザン王国の子爵に仕える騎士には見えない質素ぶりだ。
そうしてふと、皇子は目を皿のように、丸く大きく周りを見渡す――皇子にしては、勿体ないといった大きな身体を背もたれのある椅子に預け、ゆっくりと静かに呼吸する。目の前の人々を静かに観察し始めた。
見れば見るほど、呆れた連中だと気が付いてしまう。
《...っ、あれはガウラ男爵か、気合いだの声が出てないだのと口ばかりで、戦場の流れを全く読むことを知らぬ。いや、案外わざと読み外して叱責する相手を探しているのか?》
大きく深呼吸した。
《ジル子爵は、勇猛なのだが...うむ、あれは口を開けば“突撃”しか叫ばんな...》
《マーゼン辺境子爵も大概、俺の周りは癖がある。それ自体は悪い事ではない...だが、ここで勝ったことがあるという点においては――》
皇子の視線が、長椅子で寛いでいる元棟梁に向けられていた。
彼自身、当然、気が付いている。
が、鼻の孔に指を差し込んで、阿呆を気取っている。
「買って...ですか...」
見上げていた視線を俯かせた。
口先も尖がっているように見える。
エサ子は、熊さんの部隊が欲しかった――ただ、それだけの話である。
「で、お嬢ちゃんなら、どう対処する」
『皇子?!』
部外者に意見など――という声が飛ぶ。
第三皇子の行動を静止させようとする輩も出てきた。
これらは、王室の権威を仰々しく敬えだのいう王侯派貴族だ。
爵位も中途半端で、財の貯えもほとんどない、全く糞の役にも立たないのが王侯派だった。
皇子も重用はしていないつもりなのだ。
こういう貴族は、風向きを詠むことに長ける。
日和見の貴族たちが、皇位継承権のある妹へ流れなかったことは不思議であった。
「戦って、適当なところで逃がす」
歯切れの良い返事の見本のように、エサ子は言い放っている。
『は?!!!!』
一堂の上ずった声が戦場に響いた。
◆
「帝国のイズーガルド侵攻が、“美味しいアイスが食べたい”だっけ? そりゃ、あれでしょ...巷に流れる皇帝の遊戯だっけ、あれってホラーだよね?」
吟遊詩人が、遊び半分に垂れ流している怖い話というのがある。
怖いといっても、帝国にはふたりの皇帝があって――別段、幼くもない皇帝の唐突に思いついた言葉一つで、国が滅亡させられたり地形が変化したりするという物語があった。
勿論、国の方針が皇帝の言葉で振り回されるのであれば、ふたりの寿命を待たずに帝国は内側から崩壊するだろう――かの国が他国と(国内事情も含めた政治的理由で)休戦したという話を聞かない。
と、すれば十数年もずっと戦争続きの国体が軋みを上げないはずが無いからだ。
「だから、詳しい話は知らないって」
「そっか、じゃ外の情報を教えて」
メグミさんから解放されたサーシャは乱れた髪を櫛に通していた。
「外、というと?」
「ボクらはさ、あんまりエルザンやイズーガルド以外の他の国を知らないんだ。あっちこっち戦争中でさ――」
魔王ちゃんに聞けば?――と、言われかねない質問だったと、マルは後悔した。
が、目の前のサーシャは、マルからの言葉をキャッチすると素直に答える。
「そういう事情が...ええっとですね。極東というほど局地では無いのですが、中央の大陸の東には、北天という大帝国があります。魔法技術というより仙術とか巫術などが盛んな国家ですが」
「詳しいのかな?」
「ええ、行ったことありますからね。その国と、このイズーガルドは反帝国で同盟の契りを交わしていたと聞いています。規模は北天一国でイズーガルドに常駐していた衛星国を敵に回せるほどの強国であるという噂です」
「うーん...最後が“噂”ってのが辛いなあ。また、吟遊詩人の誇張された詩でしょ」
コメ姉妹の脱力が目に見える。
すっかりサーシャを脅してでも得ようとした情報が、紅茶とビスケット、メロンパンを分けながら砕けた女子会の体に変化していた。




