-473話 イズーガルドの反撃 ⑱-
「今、あなたに与えたのは、未だに改良中の“ゲル”という保存食。まあ、仲間から“共食い”みたいで嫌だって言われてるけど、スライムじゃないし!! ボクたちこんなに甘くないよ、たぶん...きっと...」
サーシャの前に立っていたマルは、その場に座り込んでいる。
「水分補給と、栄養の摂取なんだけどなあ...」
トーンが下がる。
本当は自信作だ。
改良に改良を加えて、甘味料も加えた自信作だった。
これで触感がスライムみたいを脱することができれば、全軍にレシピを公開して、個人携行食として革命を起こしていたかもしれない。
それくらいの衝撃だったわけだ。
だが、現実は一番近しいものに置換して人は例える。
この世界の人々は、目についたものを何でも食べてきた人たちだ。
新米冒険者に渡される、ごく初歩から高位の冒険者になっても手放せない、ガイドブックなんてのがある。そのガイドブックで、数年ごとに改訂されるページがある“ワールドグルメ・トラベラー”人気のページである理由は、正しい魔物の喰い方を紹介しているからだ。
ガイドの食べ方で、腹を壊さずにサバイバルが続けられるという。
サーシャも駆け出しの頃、ガイドブックにお世話になった。
娼婦に身を落とした後も、ガイドブックは手放せなかった。
「...確かに触感は、スライム」
「未だ、言うか!」
正直、マルとしてもそのセリフには聞き飽きているし、腹もたてている。
「これ、魔力を?」
「水分補給と、栄養摂取だよ。回復水溶剤を原料にしているから、少量でも疲労からの回復や、倦怠感、状態異常の改善にも少し影響する筈だよ」
なるほど、よく考えられているとサーシャは感心した。
今も、這いつくばっているのは、治癒魔法による影響からだ。
術者の言葉を借りれば、副作用であるという。
「副作用は、人それぞれで違う。失っている部位を再生させる技術は、複雑な魔術式をくみ上げて行う。本当は即席では難しいものなんだよ――ボクの世界では、複雑難解な魔法術式を短縮化する研究が進んでいてね...」
眠たくなりそうな話が続く。
サーシャも、戸口まで這うのがやっとな身体になっていた。これが副作用だというのならば、絶対安静で寝転がっている方が賢明ということになる。そこへ、マルの講釈が加わると、寝落ちへ――『うん、案外、みんな素直に寝てくれた』と、しゃがみ込んでいるマルは独り言ちる。
◆
アマラス城の対岸で、釘付けにされていた軍から離脱者が出る。
盗賊上がりの反乱兵だ。
陽も落ちて、ランタンの灯りが頼りの中を、2千の兵が幕舎を後にしている。
軍師の策に乗り過ぎて、奇襲のタイミングを失ったと主張して、他の将軍たちと対立し孤立したからだ。
“疾風”の長にも悪態をついて、天幕を勢いよく飛び出したのだから、彼は居場所がなくなったと思ったのが原因だ。
「あれは、去ったか?」
恩知らずな――という意見は多く、兵の動揺より、将軍たちの不平不満の方が問題だった。
元皇子という身分の総司令官は――やっと、解き放つことが出来た――と、零した。
「随分と、優しいお言葉を掛けられますね」
“疾風”のクラン長が問う。
初老のような雰囲気があるものの、見た目の外見よりかはトーンが逞しい。
「アレは律儀だったな、彼の戦争ではない。たまたま、私が助けられる命だったに過ぎないのに、まさか、ここまで恩を尽くすとは思ってもみなかった。最後の最後でようやく...ようやくだが、私の呪縛を祓うことが出来たかな...」
微笑みの中にもの悲しさが見えた。
皇子は、腹心ともいえる兵を失った。
「そろそろ...ですかね?」
天幕の外を見る“疾風”の長。
奇襲は想定の範囲だったが、肉を切らせて骨を断つにはこちらの犠牲は、1割の献上を想定していた。そんな献策されていることを知っていたならば、盗賊上がりの頭目は、自らを囮にと買って出たに違いない。
イズーガルドで捕縛され、死刑台に上がる筈だった漢。
彼の生国ではなく、育った国でもない――恩赦によって助けただけの縁である。
◆
夜の闇がすっかり世界を覆っている。
耳を澄ませば、遠くの音も聞こえてくるほどの静けさで、元盗賊の勇者は馬を静止させた。
馬首を右へ左へと流す。
「棟梁?!」
仲間の姿を馬上から見下ろしている。
もともとは農兵だった。
だが、今は逞しさに見惚れるだけの勇者がそこにある――こいつらを連れて、俺は何がしたかったんだ?――と、問答。
「棟梁! な、なにか...来る!!」
夜目になっているとは言え、百メートルも先は薄らぼんやりとしか見えない。
ランタンの灯を差しても、およそ先を見るのは難しいだろう。
だが、指摘通りに何かが近づいている。
それは、馬の蹄の音。
それは、金属が擦り合う音。
それは、兵団の姿。




