-472話 イズーガルドの反撃 ⑰-
大漢の指図で漕ぎ出した船は、脱落と発見されることなく、西の浜付近へ上陸することが出来た。
ロングボートに詰め込まれた兵の数は、百を切っていた。
その理由は至極単純で明快だった、男たちがどんなに装備を切り詰めたとしても、そもそもガタイ=体格が普通のソレのサイズよりも大柄だったというだけの事だ。
誰かがちゃんと寸法を測れば良かったのだ。
船着き場から船出する時、桟橋の端で見送っていた乗れなかった男たちの姿は、非常に寂しく感じた。
これで、奇襲が成功しなかったときは、冥府で罵られることは確実である。
そうやって、男たちはロングボートを草地の中に引きこんでいた。
「で、どうだった?」
ふらりと、ふたりの兵が戻ってくる。
斥候にでていたと見えて、変な角度の枝やら、葉っぱをかぶっている。
「もう少し時を待った方がいい」
様子からすると、どうも半々という。
彼らが目撃したのは、軍議が物別れで終わった男の帰る姿だった。
それらを取り巻く人の垣根も、伝染したかのように憤慨し横柄に見える。
「ここまでは思惑通りに運んだとみるか、あるいは軍師の策に調子に乗って乗りすぎてしまい、強襲という絶好のチャンスを失した感じと取るべきか?」
「皆に外被を配る」
ボートに乗せていた革の包みを開いている。
斥候の話を聞いているのが、奇襲を指揮する3千人将の将軍で、黒っぽい帆布を配っているのが副長だった。
奇襲班の副長に選出されたのは、千人将の将軍である。
「これは?」
使い方を問う者が現れる。
「兵団長からの指図はもうひとつあってな、これを頭から被り腹這いになって、敵陣近くまで接近してから襲撃しろとのことだ」
実演するような形で外被をかぶって見せている。
数名が同じように周りに教授していた。
この奇襲方法は、ベテランであれば必ず知っている戦術だ。
特に、目端の利かない森や谷の深い場所で実践してきたものだ。
戦法としても、かなり地味な仕様だが効果は絶大である――帝国は、シャフティを武力で屈服させるために軍を派遣して、この地味なゲリラ戦で盤面を覆された失点があり、戦術としての実績は十二分に証明されている。
「使い方がわかったら、西の尾根に、陽が沈みかけと同時に行動を開始する!」
◆
《断片再生治療魔法!》
腕を差し出し、腹這いになっているサーシャの周りで、床や壁がひかり輝きだす。
金色の魔法円というのは珍しい。
あまりの光芒、瞼を固く閉じてもその光は脳の記憶野にまで届きそうなほど強く光っている。
床一面にとどまらず、壁や天井にまで侵食する光と魔法紋の複雑な図形――その圧倒的な情報量を魔王は目を丸くしながら、目撃していた。
「な、なにコレ?!」
高い高周波の音が響く。
――キィィィィン....
鳴りやんだ時には、マルの姿は部屋の中になかった。
転がる魔王は寝落ちしている。
メグミさんも、魔王と似た雰囲気のようだ。
サーシャはやや、うす暗い部屋の中を、這うようにして戸口へ進む。
「覚醒までちょうど、8時間半か...」
声はすぐ頭の上から聞こえた。
彼女は、頭を持ち上げようとしているが、這った姿勢では限界がある。
「すぐに動くと身体に良くない。まあ、水、水分補給しないと」
口元に、何かを放りこまれた気がする。
もぐもぐ――甘く、弾力があり、乾ききった口の中で程よく冷たい触感を感じさせた――スライム?!。
「んなもん、与えるわけないじゃん! てか、人間ってスライムは甘い食べ物とか思ってるの? あ、いや...どっかの里ではスライムの天日干しとかいう保存食作ってるんだっけ?」
声は相変わらず、サーシャの頭の上から聞こえている。
スライムを食べたのは、まだ、駆け出しだった冒険者の頃だ。
少し調子に乗りすぎて、新米冒険者同志のPTを組んだのが不幸の始まりだ。
そんな準備も練度さえ不確実なPTで、潜れるダンジョンなんてのはなかった。
自然を侮った結果、サーシャを含めばらばらに散った。
誰かが落とした盾を引き寄せ、これを構えたまま一目散に逃げた。
振り返る余裕なんてのは、彼女に残されていなかったし、仮に振り返っていたら蹂躙されているPT仲間だった肉塊を見ることになっただろう。
そうした場合の末路は想像に難くない。
筋肉は委縮して、動けなくなって――運が良ければ、街の外でカエデの葉っぱを秘部にぶらさげた痴女がひとり晒されるだけだろう。
それはとても運がいい末路だ。
デスペナは、レベルの一時的な喪失と、装備品のドロップで済んだという話だからだ。
ハイファンタジー・オンラインの最初期で、ランダムに起きていたデスペナはアバターの反転作用だといわれている。確率的に幽界の手前でとどまっているから、自分の遺体を確保したら、72時間以内に教会へ飛び込む必要があった。
まあ、もっとも、そこまでされたら確実に新しいアバターを作った方が早い。
しかし、サーシャはそこまで割り切れなかった。
だから一目散に逃げることを選択したのだ。
山や川、湿地帯、今思えばよくよく生き残ったのは強運だったと思う。
サーシャは、その時、はじめてスライムを食った。
ナマは怖いので、焼いて食った。
「なんか、怖い想像している気がする」
マルが察知する。
スライム・ロードに相手の考えを察知する能力はない。
が、与えたグミをずーっと飲み込まないで、モグモグしている雰囲気から寒気を感じたらしい。
「...っ、スライム」
「だから、スライムじゃないって!」




