-445話 イズーガルド攻防戦 ㉝-
カソス島の北25キロメートル当たりに濃霧が発生する。
その霧から出現したのは、黒曜石艦隊の船団によく似た甲鉄の軍艦らである。
南洋王国でも、それまでに沢山建造した、戦列艦のレイジー化改修計画に基づいて、フリゲートが誕生し、再軍備計画の一翼を担っている。失敗と成功に揺れながら、魔王軍でも水軍の再整備改革を整えていった。
その成果として、輸送スクーナーの建造である。
2千人ちかい兵を輸送できる能力があった。
そして、護衛軍は振り返る――賢者はどこへ?――と。
◆
「すみません...乗る船、間違えたみたいです」
賢者が涙目となって船長室の前に立っていた。
ブーツと靴下を抱え、裸足という情けない姿の彼女に同情しない兵は居なかった。
「え?」
「...」
俯き、口を尖らせて戸口に立っている少女に、アセンディリティは苦笑交じりの微笑みを返す。
「おっちょこちょいですね...賢者さまは。まあ、そこも陛下と同じ癖でありますが。...そんなところまで模倣する必要がありません! いいですか? あなたの役目とはですね...」
アセンディリティは普段、優しい女性である。
が、おかあさんのような雰囲気もあった。
いや、彼女自身、沢山の子供を育てている、正真正銘のおかあさんだ。
二、三、小言が多くなる。
「あ、は、はい...」
「“はい”という返事は簡潔になさい!」
これも乗る船を間違えたからだが、納得はいってない。
アセンディリティは、賢者と知っていてゲストルームに通し、湯桶を寄越して足を温めるようにと促してくれたはずだと思っていた。間違って乗っていても、メゼディエ城塞まで同行すれば、結果的にはオーライの――。
「何か?」
「メゼディエ城塞へは?」
行きませんって言葉が、返ってきてもおかしくない雰囲気が確かにあった。
しかし、そうは成らなかった――アセンディリティが首を横に振って、『荷物を届けそこなったら、わたくしが魔王陛下に怒られてしまいますからね』と、呟いてくれた。
同席している船長は、失笑していたようだが。
賢者は、鼻水を流しながら感激していた。
「汚い顔になってますよ?」
「え゛?!」
◆
「魔王と我らでは先ず、10年の差があるというのか?!」
ここまで、昇華しても埋められない差を嘆くデュプレに対し、かつての約束を果たして貰った感動に打ち震えている、造船技師があった。
造船技師は、これまでも多くの艦種を帝国の空の下で作り上げた。
人間の世界では、敵なし――無敵艦隊と呼ぶに相応しいオーパーツだが、魔王軍の前では、縮まる気配さえない。
甲蛾衆が危険を冒してまで魔王の内情を探ると同時に、帝国の技術力をあっさりと奪取する魔王との諜報戦でも、その差は明らかにあった。
帝国が如何に強大であっても、人外の前では、ただの人間の国でしかないという事だ。
しかし、その魔王軍も世界に深く介入してこない。
彼らにとってのパートナーは、南洋王国だけであり、味方をするのは“反帝国”だけ。
世界を飲み込む力を持っていても、彼らにその意図が無いという矛盾があった。
「こちらの小口径が悉く弾かれる!」
デュプレは、高速の小型船団を班で分け、彼らの機動力で黒曜石の死角へ回り込ませ、8ポンド砲で強襲した。が、船体の鉄張りによって、至近距離からであっても致命的な攻撃と成らなかった。
砲丸を放り込んでいるためで、船体の丸みと速度によって威力が死んでいるものと推測できた。
代わりに、機動力を売りにする海賊らが、黒曜石の行く手を阻む小型艦叩きに終始する。
なかなか連携としては、優秀な雰囲気があった。
レイジー・フリゲートも黒曜石と打ち合っているが、首根っこに腕を回して、脇腹を殴り合っているような、ポジショニングでの砲撃戦。
魔王水軍のファイターは、兎に角、太い首を持つ巨漢だ。
同じように組んでいる筈なのに、回していたはずの腕が、挙げたままの姿勢を維持できないほどきつくなる様な対格差を感じ、ボディに打ち込んでいた拳は、相手の筋肉で逆に弾き返されるイメージに代わっていた。
32ポンド砲を打ち込むと、64ポンドの砲撃を喰らった。
後者は、魔導大砲スマッシャーと仇名される近距離の決戦兵器である。
撃ち込まれた、船体はまるで“ズッキーニを肉叩きで叩いた”ような状態になった。
「まるで、話にならん...」
アーデント号、戦線離脱。
デュプレがボートで脱出している中、他の提督たちは踵を返して逃げていく。
戦列艦が殿として、海賊船に砲撃しているようだ。
「やめろ...それは、それでは自殺行為だ...」
◆
黒曜石艦隊は、事後の小事を海賊連合に任せ、クレタ島シティア港に寄港する。
魔王軍の隠れ前線軍港が開かれており、この軍港で新しい船を建造している。
アーデント号から32ポンドを撃ち込まれた、フリゲートは浮いてるのがやっとだった。
「こりゃ、また随分と激しく持ってかれたな?!」
魚人の親方は、苦笑していた。
船体を鉄で覆ったことで、腐食の度に張り替えるという、不経済と船体の弾性が損なわれてしまっていた。例えば、フルプレートメイルで覆っていても、中身も一緒に頑丈になる訳ではないということだ。
「あいつらが、大口径の長砲で助かったよ...次弾を込めるまでに時間が係るからな。...ただな、本当に事を言えばだ、小口径なら船首の向きと速度次第で、無傷を装えるものなんだが。まさか、至近距離で20門以上の砲を、こんなに喰らったのは久しくなかったから...まさか、傾きそうになるとは思わんかったよ」
船長も自分の船の状態を見ながら、口笛を吹くしか出来ない。
顎下を撫でながら、船大工らも失笑していた――小馬鹿にしたのではなく、帝国の努力を讃えたものだ。
「親方、治るかね...コレ?」
「バカ野郎、竜骨イカレてんのに治るわけなかろうが! そこの新しい船でも持っていけ」