- 迷い森の賢人たち -
南ブリテン島攻防戦へ参じる騎士や傭兵たちは、大ユトランド島(地殻変動により大陸から切り離され半島から島になった。北にノース・ユトランド、中央に大ユトランド、南に小ユトランドである)の西部の都“エスビアウ”港湾都市から、帝国の名義でチャーターされた船で向かう事になる。
もっとも、この航海が無事で済んでいるのは、西欧諸国連合が魔王軍に呼応して襲撃してこないからだ。
現時点で、もっとも安全に渡航できる唯一の航路であった。
今現在で唯一のと重ねて強調しておく。
◆
「――で、この状況を報告しなかったのは...」
「ボクの判断だ。少なくとも、こちらが如何に手を緩めても戦いである以上は死傷者を伴う。細心の注意を払い、ケチを付けられないよう...それはもう努力という言葉を髪の毛の一本までいや、その先ほどにまで注意を払っても、救えない者は救えないという、ただ、それだけの事だけども...そんな不可能さえも、我々は実行してきた――」
もっと部下を労ってほしいという言葉が口まで出かかって、少年は閉口した。
目の前の少女もそれが理解できている。
彼女も言わば現場の長なのだ――対峙している鏡の中の少女は魔王ウナ・クールそのひとだ。
「分かりました...」
理解した、人間が思った以上に脆いという事だ。
南ブリテン島に上陸した兵は、第四席の魔獣兵団というキメラたちのものだ。
スバールバル多島海の勝利を経て後、魔王軍はその艦隊をアイスランドまで後退させた。
第二橋頭保である。
全艦隊のほぼすべてが係留されて、拠点化された。
出迎えたのは現地のイエティ族らであったという。
現在、友好的な形で接しているらしい。
「それで、講和は望めますか?」
魔王軍側にとって、侵攻はデメリットでしかない。
いや、占領地という認識はないが、同地からは名前のない物資や資金が提供されているので、絶望的な戦費不足というデメリットは無かった。これは、魔王軍側のいい訳で“はっきりとした大義がない”ということのようだ。
女神信仰からは「不信仰者のたわ言です」と、怒りの抗議を受けそうだ。
だが、これは全体的にそう思っていることだ。
「いや、難しいですね...ひとつ負けたから、ひとつ勝たせてみないと分からない...そんなレベルなら、南ブリテン島から撤退する手が最良です。ただし、その後も勝たせろと要求してくることは明白です!! 故にこれは単純なことではないと...」
刃を交えて理解したこと。
彼らは少し傲慢が過ぎるという事だ。
西欧諸国連合は戦を始める前から接触してきた。
それも召喚魔法という方法でだ。
当然、召喚者の命が代償になっている――狂気の沙汰とは思えない所業だが、魔王軍側としてもこの取引が人類の総意であればと、緒戦は睨み合うつもりで臨み人類側に勝ってしまったのだ。
西欧諸国側はちょっとした手違いだと言った。
そして彼らは、不必要にも魔王軍側に補給線で支援してきたわけだ。
「っ、悪魔というのが種族をささないのならば、西欧諸国ほど悪魔らしいものはない。純粋悪すぎてこちらが目をそむけたくなるが、これもビジネスだと...いいや、いいや違うな、ここで肯定しちゃあ行かんのだろう。アンフィディリテ!」
名を呼ばれた少年が、首を垂れる。
胸元に手を置き、少し腰を落とすような姿勢になった。
魔族風の礼儀作法なのだろう。
「御身の前に」
「いたずらに戦火が長引くのは本意ではない。どんな手を使ってもいいから、貴様の受け持つ島にこれ以上の動員兵が来られないよう手を打つがよい!」
「御意」
馬車に揺られながらも、さながら吟遊詩人のように男は、エルフ女の尻具合ってのを語り聞かせていた。
彼に同行しているのは老騎士と若い剣士である。
老騎士と大柄な男とは、同年代だと言うが――似ても似つかない。
大男は40の少し後半とみえるクチで働き盛り。
老騎士の方は60に手が届きそうな苦労人だ。
傍から見ても不釣り合いなのに、馬がぴたりと合っていた。
「本当に...その副団長と、その...」
「同年代さ。こいつが俺のひとついや、ふたつ先の家に住んでた頃からの知り合いでさ」
大柄の男がガラの悪い笑い方をする。
しかめっ面の老騎士は、明後日の方角を見ながら。
「ああ、お前の兄弟たちの方がずっと人間性のある徳高い連中だったのに...なんでお前に誘われたんだかなあ」
兄弟たちの話ははじめてですと、若い剣士の目が輝く。
ただ、大柄の男は逆に寂しそうな表情が印象的だ。
「上の兄はどこかの王国で騎士団長をしているが...英雄の血に目覚めることは無かったな。実直ってのが服を着て歩いてるようなもんだったから、まあ、血なんかに振り回される人生よりかはマシに生きられたんじゃないかって思うよ。あとは、弟か...あれは、な」
若い剣士は「どうしたんです?」と尋ね、
「こいつが冒険者に登録した数日後、冒険者の挑発のせいで暴れ魔獣が出てな...村を半壊させちまいやがった。その時の犠牲者に名を――」
彼が老騎士に話を終いにさせた。
やはり脳裏に弟の顔が浮かぶのだろう。
「辛気臭い話はいい、この先にエルフたちの集落がある」
俄かに老騎士の顔が曇る。
「いやいや、シモの用事で寄ろうって話じゃあない! えっと、これは情報収集だよ。...ああ、めちゃくちゃ信用がないなあ、その村にもえっとだなあ“冒険者ギルド”があってだな」
「ギルドに寄せられる情報は、値千金の価値があるというのだろう。しかし、エルフの村に“ギルド”か? あんなに人間嫌いなのに何故また、人間が運営する施設を――」
「施設こそは人間の組織のだが、運営者はエルフだ。エルフ族はまあ、いわば兵力を貸し出して生計を立てている。冒険者は個人ごとであればまあ、大したことはない。特殊な訓練でも熟してきた者と大差ないだろう。これは職業というよりカテゴリーだからな、別に特別なことじゃあない。しかし、この根無し草が徒党を組めるんだとしたら...」
大男は、冒険者制度について語り始める。
職業とする騎士や剣士は、仕官か無仕官の待遇がある。
前者は土地に縛られ、領主や主人の意向に添わなければならない。
後者は根無し草であるから素浪人、冒険者として地方を転々とする者だ。
「エルフ族だって、森という土地に縛られている。まあ、人間が勝手に定めた国境というやつの中に居れば、地代として年貢、税金だなこれを治める必要性が出る。彼らに言わせれば、先祖代々の地に動かず細々と暮らして来たのにと、憤りは当然ある。が、納税を拒むと戦争に成りかねない...そこで平和主義者の連中は、ギルド制度の活用を説いたわけさ」
「は?」
「若いねえ、まあ、傭兵として各地の紛争に介入してくれれば、地代の納税はギルドが払うという契約さ。これでギルドは各地のエルフ族いや、エルフ族と似た境遇の...亜人族と、親密な関係になっている。恐らくは地代だって、評議会の連中にとっちゃあ無かったことに出来るんだろうな」
若い剣士は、目をくるくる回している。
老騎士は、顔を覆っていた。
「そういう村に行くという事は」
「ああ、あまり歓迎はされない。だが、今、合流しようとしている俺の元メンバーを含めた仲間たちの状況を知るには最適な場所だ。その村にある情報と同じ精度となると、もう少し北に行かねばなるまいなあ。そんな時間的余裕ってのは無いんだろう?」
スローライフを満喫していた彼を探し出すに2か月を要した。
開戦してから2か月経過していたから、魔王軍の侵攻速度が以前通りであるならば、老騎士は首を振って「ああ、無いと思う」。
彼は、膝の上に拳を振り降ろして時間に憤りを見せた。
「そんなに早いのか?!」
「開戦直後から、海岸線の主要な城塞が4か所同時に陥落した。僅かに持ちこたえた砦でも3日も断たずにだぞ?! この意味、戦場にあったお前なら常識的に考えても...」
大きな手が口を覆う。
かつての大ブリテン島は南北に分断された。
小ブリテン島は北に、大ブリテン島は南と。
魔王軍は、小を無視して南に上陸し、帝国が10年かけて実効支配に至ったブリテン領に侵攻しているのだ。
この戦いに参加したのは、大柄の男の父親たちだ。
が、今でも吟遊詩人たちに歌い継がれる“剣と塩の物語”だ。
◆
一行が立ち寄ったのは、迷い森と恐れられるエルフの村だ。
冒険者でも立ち寄ることのない知られざる廃村みたいな見た目だが、彼が来訪したと聞くや村中から人々が集まってきた。
あんなに人嫌いだと言われてたエルフの人懐っこさはイメージと合致しない。
若い剣士もエルフの若い娘に言い寄られて満更でもない様子である。
「おい、あれを見ろよ...剣士のやつ、ふははは...鼻の下を伸ばしやがて」
男の差す指先の剣士は、村娘たちに転がされているところだ。
「なぜ、彼らはお前に?」
「スローライフを始める前に難儀していたところ、助けてからの付き合いさ。まあ、まだ日も浅いんでいきなり訪ねたらどういう反応を示すか、ちょっと不安だったんだが...まあなんだ。やっぱりエルフも情が深いんだよ、なんだかんだでな」
徐に、長老が男の傍に寄る。
老騎士にも一瞥は向けられた。
「魔王軍の動向なんだが?」
「良くないぞ...」
「どう」
老騎士も肘ひとつ男の傍に寄った。
「西欧諸国が介入してきたんだ。いや、表立ってではない。海賊という手段を用いて、帝国の用意した船を襲いだした。補給線は一時的に麻痺して人員はここひと月以上再動員出来ていない」
「今の兵力の総数は?」
渋られたが、
「13万を少しだろう。もっとも帝国は最終的に20万以上を動員するつもりだったが...」
「兵力ではなく、物資の確保か」
老騎士の眉根があがる。
芳しくないという話は聞いていた。
帝国の本国にも寄ってから動いたから、そのあたりの事情にもそれなりに気は配っていた。
「そうだ。今、穀物の類は南欧諸国からの供給でひとつ支えているところがある。魔王軍も長大な補給線があるように、帝国軍も各国で連合を組んでいる以上は、補給線が物理的に長大化している...まあ、そのほとんどが西欧諸国のラインに重なっているから」
西欧はだぶついた物資を高値で人類側にも魔王側にも流している。
戦争は長引いてくれるだけで、西欧に莫大な利益を生み出してくれる装置となっていた。
「ブリテンに動員される兵の数はこれで無くなるが...」
占拠した砦の一室に掲げられた欧州地図。
見てくれが悪く不格好で、なんとなくこんな感じという想像図のようなものに指を這わせる。
南ブリテン島は先の掛けた鏃のように見える。
「人間たちといい勝負をしようと思ってきたわけではないが、こうも歯ごたえの無い連中だったというのにも驚かされた。こちらは一体どれだけ手を抜けば、彼らは押し返すというのだ?! このまま歩いてるだけで...彼らを海に突き飛ばしかねないか、それが不安で仕方ない」
頭を抱え、壁に打ち付ける。
ごん、ごん、ごん...
気になった衛兵が扉をノックした。
「閣下?」
「いや、ごめん...気がめいっただけだよ...今日はもう寝るわ」
と、言葉を掛けて部屋の灯が消えた。
後日、魔王軍の歩みが7日間止む――指揮官である四席が風邪で寝込んだからだ。
その際“反撃の兆しがある場合は、押さなくてよい軽く付き合うように”と、言付けた。
が、帝国軍は仕掛けなかった。
逆に不振がって、最前線が4キロメートルも後退したという。
これが6か月で終戦となる攻防戦の実態だ。