-1.5.14話 女王と魔王-
「はじめまして、ボクは魔王軍を率いる第八代・魔王です」
賢者は、艦長室でもう一度、『魔王』であると宣言した。
まあ、艦長の目から賢者を見ると、十代の少女にしかみえない。桃色の癖毛がある短髪に、大理石のような白い肌と、ぷにっと柔らかそうな頬など、つい触ってしまいたくなる。もう自身の欲望を押し殺すだけで精いっぱいな悪い感情に悩まされている。
実は、女医も同じ悩みを持っていた。
艦長がロリコンなら、女医はシスコンだ。
実の妹にシスコンを感じるとすれば、次女の方だろう。が、賢者のは幼さが残る体型だ。
打ち明けられても、全く動じるなことはかった。
寧ろ、受け流してしまっている。
呼び出されたスライムナイトは、船員たちと船上で戦う術の修練を行っている。
スライムナイトたちの気さくな対応が敵味方の認識の壁を薄くさせていた。
「で、名のっちゃった理由は、なに?」
我に返った女医が魔王に問う。
「ボクは、南洋王国と休戦協定を結びたいんです」
◆
唐突な申し出に艦長室の空気は一変した。
魔王軍の前線が『北に移動した』という報せは冒険者ギルドのネットワークを通じて既に周知の事実となっている。市民レベルでは無く、為政者とその武官までの話であるが、各国の大規模な冒険者たちが帝国に招集された時点での異変という感覚めいたものが、各国の温度差はあっても察知していたことだ。
目の前の少女を前にその目的を聞かないままで、ハイそうですかと返事が出来ない状況だった。
「あ、ちょっと待って」
魔法のアイテムが詰まった革袋を懐から取り出した。
いつもは、クッキーとかビスケットの類が出てくる可愛らしいポーチだ。
「ちょっと魔王らしくしないと侍従長に怒られちゃう」
仕草も、口調も可愛らしい。
口を尖らせて『ちぇっ、面倒じゃん』とかぶつぶつ呟いている。
卓上に並べた魔王変装グッズの数々。
黒っぽい角みたいなカチューシャを頭に載せて、手鏡で可笑しくないかをチェックしている。
次に、ローブを広げる。黒っぽい何かの羽とゴツゴツとしたプレートメイルみたいな鱗が付いている。
これを着る為に今の服をその場で脱ぎ始める。
「うあああああ! ちょっとタンマ!」
って女医が艦長の方へ踵をかえすと、いきなりグーで殴って戦線離脱させている。
「え? なんで...」
「魔王が勝手に脱ぎだしたから、予防処置よ! 予防だから、予防」
ちょっと鼻息が荒い。
不審な視線を女医に向け、魔王はインナーをちらっと見せては隠し、見せては隠しと行動すると女医のニヤついた表情が現れては消え、現れては消えの動きを見せる。
「着替えるの止めるわ」
「な、な...なんで」
「これ、女王にとって単なるご褒美じゃん?!」
魔王に気が付かれたと崩れ落ちている。
この落胆ぶりや凄まじいもので、『あの幼児体形が拝めないなんて、私は生きる糧を失ったー』とか言ってる。生きる糧はどうでもいいが、魔王の心象はすこぶる悪くなった。
「女王とボクだけってのが危険なんだよね...たぶん」
と、気絶している艦長のちかくにしゃがみ込むと、キュアの魔法を掛けた。
彼女の掌から水属性の魔法陣が煌めき、艦長の身体にしみこんでいった。
そしてついに彼は覚醒する。
固く閉じた眼をカっと見開くと、しゃがみ込んでいる魔王の太腿が見えた。
その奥にインナーを凝視するや『幸せなり』と発して天に召されそうになる。
彼を辛うじてこっち側につなぎ留めたのは、女医の放つ怒りの鉄拳だ。
「いま、変な音が聞こえたよ!!」
「人間なんてこのくらいじゃ死なないものよ」
と、白目をむいている艦長の腹から真っ赤に染まった拳を引き抜いていた。
◆
「ま、事情ってのがあるでしょ、休戦だっけ?」
椅子に座り、三者が向き合う形で女王が話を切り出した。
若干、艦長の出血具合が気になるのは魔王だけのようで、どんどん青くなっている。
「艦長は大丈夫?」
魔王が『血になるもの食べる?』と、革のポーチから素焼きされたトカゲを差し出している。
そもそもソレを喰う文化は南洋にはない。
「い、いや結構です」
艦長は丁重にお断りしつつも『もっとまともな食い物を分けてください』と告げていた。
が、女医は差し出されたトカゲを魔王からかっさらうと、『美味しい、塩加減最高!』とか叫んでる。
「ボク達が北に陣を張り直しているのはご存知ですよね」
冒険者ギルドのネットワークで知れ渡るように仕向けたのは、魔王軍の意志であると告げる。
「敵はもともと帝国でした」
「その帝国が北部で、胡散臭い魔導実験を起こす情報を察知したので、これの排除のために全兵力を差し向けた――転進する、否、“した”理由です。そこで元々、戦域の拡大を望んでいないボク達は、話が分かりそうな勢力と休戦をして安全な背後を確保したい。まあ、そういう話にですね」
魔王が女医に視線を戻すと、瞳を輝かせる女子がそこにあった。
「女王?」
「聞いてるって、魔王が私を選んでくれたんでしょ!」
「い、いえ...合議制の結果で」
「分かってるって、そんなに謙遜しなくても上手ねえ。お姉さんにまかせなさいって」
女医は『私、こう見えても女王だから何でもできるのよ』とか盛り上がり始めている。
「で、私にした理由は?」
「帝国を頂点とした政治体制にご不満があるとの事、これを軍事的いや、ゆくゆくは本格的な同盟国として、軍事的アプローチも視野にいれて今、欲しい“力”を供与します」
魔王の手を取り女医がふたつ返事を返している。
艦長の方はもうすぐ、旅立つ雰囲気がある。
「魔王と私で世界も取りに行くわよ!」
「いや、治め切れない世界なんてどーでも」
「いいから、いいから。どーんと私に任せなさいって!!」
やっぱり人選を間違えたかもしれないと、疲れ果てた魔王は重い溜息を吐く。
ノーザンフリゲートはもう、まもなく母港に寄港する。