-1.5.12話 神の裁き-
「蛸髭の黒耀眼、かつて魔王の寵愛を受けた冒険家のひとり」
賢者は金色に光る魔砲の脇で、その刻まれた文字を指でなぞった。
突きつけた言葉を素直に返し、彼女は女医の方へ向き直る。
「他に何が聞きたい?」
「何を言える?」
質問を質問で返す。
賢者は鼻の下を指でこすると、
「黒耀眼は、不死者の艦隊を夢想した将軍だ。ボクの知識でも、強い呪いで縛る方法でしか不死者が海上で行動の制限を受けない術はない。まして、聖職者がほぼ常に乗っている人間方と対峙して、余りにもメリットが小さい」
「それでも、黒耀眼はより強力で強い呪いであれば、信仰系魔法そのものにも耐性を持つと信じてやまなかった。だから魔王の下を離れ、『黒い海』と呼ばれる死の海を目指し、ミイラ取りがミイラになった」
と賢者は、魔砲に腰を下ろして女医に告げる。
暫くすると、臨戦態勢ー!って声が聞こえた。
亜人の水夫が砲列甲板に降りてきて、それぞれが魔砲の傍らに寄り添って砲口を外へ押し出した。
賢者も自らが操作する、金色の魔砲を押し出して照準器から海賊船を見つめている。
◆
東洋王国のコーストガードに追われている海賊船を漸く見つける事が出来た。
海賊船は、船首楼と船尾楼を備えるわりと古めのガレオンという船種だ。
砲門は少なく、接舷して白兵に持ち込むのが得意な、かつてのスタイルのママで海を奔る。片やコーストガードの方はバークを少し強化したような高速船で執拗な追撃戦をみせている。
海賊船は時折、不自然な加速と不規則な旋回をして東洋を翻弄している。
「あれが幽霊船」
賢者と同じ砲門から女医が外の様子を伺っている。
「間違いなく。実体化してますが、物理法則にならってませんから...通常攻撃ではまったく意味をなさないでしょう」
賢者が爪を噛んだ。
甘噛みだが、親指の爪は少し形が変だ。
「人間らしい仕草だな」
女医の言葉に頬を赤らめた賢者が、
「ボクだって癖くらいは...」
「あの船を止めるためには」
と、向ける視線の先に金色に光る魔砲がある。
轟音――僚艦で挟撃するために海賊船を挟んだ瞬間、海賊船が失速してするする後退。まったくあり得ない急ブレーキに混乱する人間たち――そんな雰囲気の中で、コーストガードは片舷斉射を行い僚艦ともども豪快に吹き飛んだ。
上甲板の下から一気に上部構造物が木っ端微塵に吹き飛ばされ、生存者は絶望的だ。
ガレオン船からは一切の攻撃は為されていない、ただ不規則な動きだけで勝手に警備艦が吹き飛んだ形になっている。
「なっ! 吹き飛ばされた?!」
賢者の背中に冷たい雫が垂れていく。
「沈むか?」
女医の確認めいた言葉に対し、
「高潮を食らえばひとたまりも...」
と、賢者はぽつりとつぶやく。
非常識な海戦だが、沈みかける船の上に白い発光体がみえる。
陽炎のようにゆらっと動いて、ぱっと消える。
「あれは?」
「魂です。海賊船によって沈められると、魂魄は行き場所を見失います。そうして現世に留まった魂を呪いを解くための贄として海の魔物に捧げるのですよ」
女医は、思わず賢者に『詳しいな』と言いかけた。
だが、その言葉はぐっと堪えて呑み込んでいる。
今、その言葉は意味をなさないと気が付いたからだ。
「動きを止めるとしたら?」
「信仰系魔法でしょうね」
賢者が伝声管の蓋を跳ね上げると、
「艦長、是が非でもアレの真横に左舷を向けて並行してください」
「何をする?!」
「まあ、見ていてください」
今までにない賢者のプレッシャーを帯びた苦笑いだ。
こういう時に場をわきまえず、賢者のお腹に吸い付きたいと考えた女医だが断念した。
「タイミングによっては、最初の一撃で幽霊船の動きを止める事が出来る筈です」
◆
ノーザンフリゲートは、やや高めの波を被りながら、幽霊船の船首から迫った。
見張り台に人影はなく、上甲板にゾンビめいた動きの鈍い影が見える。600mと迫ったところで、魂を回収していたゾンビたちにノーザンフリゲートの船影を目撃され、一気に臨戦態勢と移行していく。
「何ちゅう波の高さだ!!」
女医は魔砲にしがみつきながら、吹き飛ばされないように踏ん張っていた。
一方、賢者は砲門の脇に作っておいた柱に自らの身体を固定させ、照準器からじっと海賊船を睨んでいる。
「危ないから、魔砲にはしがみつかないで」
と、注意され柱に身体を預けるよう促された。
また大きく船が沈み込む。
波のうねりが強い。
停泊していた海賊船が動き出した瞬間に、牽制の36ポンド魔砲が火を噴いた。
想定通り、実体化した船体の一部艤装を吹き飛ばすも、致命的な攻撃ではないことがよく分かる。
賢者は、口ごもりながら魔砲表面に刻まれた図形や文字、紋様を不規則になぞって読んでいく。
詠唱のショートカット・スペルマジックだと言われている魔術式紋様を丁寧に詠唱しているのは、それだけ大掛かりで制御が必要な魔法が刻まれているという事に他ならない。
その間は、反復的に左右の魔砲で36ポンド砲弾が射出され、海賊船にほぼ無数と思しき数の砲弾が叩き込まれている状態だ。
海賊側は高笑いをしつつ『学習しない連中だ』と吠えさせてもいる。
何度目かの左舷一斉射の態勢となった時、ついに賢者の予備動作が終了した。
左舷中央の砲列にひとつの魔砲。
金色に輝くそれは眩い強烈な一条の光を海賊船に突き刺した。
海賊側にはレンズで光を収束させたと思しきものと考え、恐怖を感じず小口径の砲弾をまき散らしてきてもいる。完全に小馬鹿にしているが、彼らもそろそろ接舷を考えていた。
「高次元魔術式展開!」
「神聖系超位魔法・発動っ! 神の裁き!!!!」
一条の閃光に、縦列で何十枚もの金色の魔術図面が並び海賊船を貫いている。
賢者の顔色が青みがかって今にも卒倒しそうなほど汗も流していた。
術式名を叫び終わると、魔術紋が砕け散って強烈な光が海賊船の中腹から上位構造物を消し飛ばしている。ついでにだが、空の一部に空間干渉の穴をあけるという凄まじい火力の傷跡を残し、暫くの間魔の海域などと呼ばれる原因を作っている。
ガレオン船の原型は留めていない。
上位構造物の船長室や砲列甲板なども吹き飛び、残りの構造体も光の粒に変わりながら消えかかっている。
「大丈夫か?」
金色の魔砲だったものは融解して、ドロッとした金の粘体に変わっている。
もう暫く時間を置けば冷えて固まるだろう。
「え、ええ。ちょっと魔力を使い過ぎました」
と、気力は底を尽きかけている。
「今の術は?」
「ボクの師匠の得意とした術です」
女医が賢者の腕をとって脈や胸の音などを聴いて、診察を始めている。一応、医者らしいことをしないと、仕事をしていないと怒られそうな雰囲気だったからだ。
「師匠とは」
「...うーん、凄く面白い人...でもないか有翼人というカテゴリーの方で、滅茶苦茶なユニークスキルの持ち主でした。多属性持ちというスキルで、光や闇っていう高次元から四大属性までと、まあ、凄い師匠でした」
もう賢者は、ひと眠りしたいくらい浅い呼吸を繰り返している。
「ポーションがある」
「いえ、ひと眠りすればボクくらいになると回復できます」
女医は心配そうに『だが、こんなに呼吸が乱れて』と、告げている。
「自然治癒魔法は、もう発動済みで身体ダメージは既に終えています。今は、失った魔法量の回復に努めて――」
「うあ! ね、ねるなー、起きろー」
と、賢者の身体を揺さぶって無理やり意識を覚醒させた。
「ちょ、寝かせて、お願いだから」
「ダメ、まだ聞きたいことは沢山ある!」
「...」
もの凄く不機嫌な糸目で女医を睨み、心配して砲列甲板にあった水平たちが彼女の周りに集まっていた。
が、一仕事しているおっさんたちの熱気で咽返りそうになる。
「ごめん、みんなもう少し離れてくれる?」
女医がおっさんらを遠ざけていた。