-1.5.11話 幽霊船のはなし-
北極大陸が全人未踏だったのは100年前の話だ。
百年前、アザラシ漁で訪れた冒険者の一行はたまたま、北極大陸に上陸してしまった。
ドワーフは船室から『寒いからヤダ、出たくない』と駄々をこね、神官と魔術師は調理室に籠り、しぶしぶ戦士とエルフが上陸した。この一行のパーティ構成がひとつのブームを巻き起こし、暫くに多様な顔ぶれの冒険者一行が増えるのだが、これはまた別の話だろう。
北の寒さと雪に閉ざされた世界の死の大地――というのが通説だったが、二足歩行で薪を集めている白クマと出会ったことで生物も住める大地に改められて今日に至る。しかし、その北の大地から魔王を頂点とする最悪な軍団が南下するとは夢にも思わなかった。
海岸沿いにあった漁村は尽く占領され、10年と掛からずに北極大陸は魔王軍に掌握。
その後、20年を掛けて北西大陸が7割も占領下に入り、南側も実質的には属領扱いになっている。
中央大陸の西欧地域はかなり絶望的で周辺の諸王国が協力して魔王の侵攻を阻んでいた。
そして戦争がはじまって50年目。
各地の魔王軍に何かが起き始めている中、ノーザンフリゲートは東洋王国領に迫っていた。
結局、東洋王国からの返信は何もなかった。7年ごとにやってくる海賊の対応に追われているからという推測だけは立ったものだが、無許可で侵入してトラブルに巻き込まれるというのも避けたいという、気持ちが船の進路に伝わってなかなか前に進もうとしなかった。
「見つけて欲しかったんだけどなー」
と、賢者は女医の方を細い目でじっと見つめている。
派手な女を期待して連れて回したのに、ガサツでビッチな女に見えたのではないかとガッカリしている。
交易商人たちの前でふたつのスイカを寄せていたり、キセルの吸い口を何度も舌で舐めまわしたりしてた。
あれはアレで、普通に引く要素だと思っている。
「ビッチでも、漢好きアピールは大事だろ?!」
「あ、あれがアピール?! 奪いたい、奪って金に換えたいくらいの動機には」
「はーん、分かってねぇーなー 水夫、あたしの身体見たら火照るよな? 勃つだろぉ!?」
白衣の下の胸を自ら鷲掴みにして揉みしだいて見せている。
賢者が『な、何してるの! みっともない』と女医の掌とお尻に平手打ちをくわえた。
「水夫を勃たせてどーするの! みんなテント張ったら仕事できないじゃん」
いや、賢者みたいな普段、聖女っぽい少女が勃つとか、勃てるとか言葉にするとビッチに反応しない勅任艦長あたりが気まずそうな動きになっていたりする。
「お!? ハサミと小娘は使いようってか?」
女医のからから笑う声は、ちょっとした平和な時間の象徴だった。
海賊を惹きつけるという役は担えなかったが、まあ、これは張り詰めた空気を払拭する事くらいはできたようだ。
◆
メインマストの見張り台からランタンの合図が灯る。
水平線の彼方に発光があったからだ。
東洋王国領のちょっと奥にある島の間からのようだ。
続けて、砲撃音にも似たくぐもった轟音が響く。
賢者は自室から飛び出してきて、望遠鏡を木霊した音の方へ向けた。
この賢者の反応は熟練の水夫でも驚嘆した。
賢者自身は、メインマストの見張り員が見ている方を確認して行動し、続けさまに響いた咆哮と光を追って、風向きや発光、咆哮の間隔を手持ちの砂時計で計っただけに過ぎない。
これ自体は、然程物珍しい事ではないと思い込んでいた。
各国の水軍では、水練所――所謂、水軍大学校で士官候補生が技術を習得する学び舎だ――で教授される対象物と彼我の距離を知る術がこれにあたる。
だから、勅任艦長が船尾から賢者の仕草を見てより一層、不信に思ってしまった。
「連続の轟音だが、音が少し軽いのがあった...何かを追ってるような」
賢者は、勅任艦長に向かって声をかけたつもりでいた。
艦長はそれよりも少し離れている。
彼女の横に居たのは、女医だった。
「で、賢者は、何を追ってるか見当はついてるのだろ?」
女医の不審な視線が賢者に落とされている。
「恐らく、黒耀眼」
艦長が出航を命じたのはそのすぐ後だ。
賢者が女医を仰ぎ見たのも同じ頃だ。
「艦長! ボクは砲列甲板に降りる」
「...」
「常に船は、敵船に左舷側砲を向けておいて! 相手は、幽霊船だから」
と、賢者は船内へ続く梯子をするすると降りて行った。
世界の海には、幽霊船の伝説がそれはもう多く残されている。
その殆どが無念の死を遂げた者たちの物語が殆どであるが、ひとつだけ海の女神の呪いを受けた、化物の物語がある。
7年に一度だけ、実体化した魔物は呪いを解くために、多くの無垢の魂を女神に捧げるための狩をするという。ガレオンという帆船が海中から現れて、往来の激しい海域に出没して船を沈める。
黒い旗を掲げる海の悪魔たち――というお話だ。
その7年周期の物語は、魔王軍にも伝えられる。
話の内容は少し違うのだが――かつて、幽霊船で船団を組み世界の海を支配するという、夢想した将軍があった。彼は冒険家であり、ロマン主義者でもあったから黒い海を制覇することも考えるようになり、魔王の下を去った――女神の呪いを受け、7年ごとに魂を捧げ呪いの解放を切望するというのは似ている面だ。
賢者は、その幽霊船に対する有効な手段を知っていた。
幽霊船の呪いごと断ち切り冥府へ送る手段をだ。
女医は、否に金色に光る魔砲の横にいる賢者をみつけて。
「幽霊船、賢者は知っているんだよな?」
彼女を言葉で突き刺してみた。
「相手は、蛸髭の黒耀眼。かつては魔王の下にいた冒険家のひとり」




