-241話 人妻とアズラエル ⑩-
「長老会が寄越す連中というのは、こんなにも賑やかな者ばかりかね?」
礼拝堂の扉を開けて出迎えてくれたのは、丸顔で横にピンっと張った耳を持つ修道女だった。
歳の頃は、ざっとサバをよんで30を少し過ぎたあたりに見える。
キューティクルな艶のあるライトブラウンな髪を持ち、前髪は、鏡を前に自分で切りそろえているような雰囲気があって左右非対称だ。後ろ髪は、肩に少しかかる程度にバッサリいった雰囲気で切られている。
「だ、....」
アズラエルと目があった瞬間に修道女は絶句したまま、固まってしまっている。
ジャックがふたりの間に割って入ると、彼女は慌てて息を大きく吸い込んで、吐いていた。
「ちょっ、ちょっといい? ジャック君!!」
修道女に掴まれた案内人は、礼拝堂の扉向こうに消えた。
アズラエルらは置いてけぼりにされたが、無言のまま辺りを見渡している。
「あれ、何者?! 凄い怖い人たち連れてくるとか言ってた!!?」
「わー、取り乱さないでくださいよ~ あの人たちがイリアさんを匿ってくれる兵団の方々です!」
ふたりが、神像の前でしきりに祈りを捧げている少女の背中を見た。
「?」
「えっと...」
「あの子がイリア、いいの! 外見は気にしないで」
ジャックの頭を無理やり元の位置に戻す。
修道女は、外の連中の印象を冒険者であるジャックにそっと伝えた。
「あんたみたいな鈍感な子には...分からないと思うけどね。あんたの背中にいる連中は、敵に回しちゃいけない相手だからね! くれぐれも怒らしちゃだめだからね」
「はあ、実感はないんだけど。長身で色黒なスキンヘッドのアズラエルさんは、俺の切り札を使っても倒せそうにない相手だって事は理解しているつもりですよ。うん、それぐらい俺だって高位階の冒険者だから理解できるって...心配性だなあ」
と、ジャックはカラカラと微笑んでいる。
エセクターの疑心は顔からにじみ出ていた。
「あんたって子は、本当にポジティブだね...シルフの竪琴を取りに行くと、修行も碌に終えぬ間に飛び出して行ったり、マンティコアのおしっこひっかぶって帰ってきたり...自由で何よりな事って、そこじゃない! まさか...いや、あんたの事だから...長身のアレ意外なら、イケるとか思ってるんじゃ?」
え? 何で分かったの!――以心伝心とか呟いて、ジャックがハイタッチを求めてきたので、彼の頭をスリッパで叩ききってみせた。
その乾いた音は、礼拝中のイリアを驚かせ、ついでに外の101人が臨戦態勢になるほどの乾いたいい音色だった。
「な、なんだ? 敵襲か...」
外の連中の声が扉一枚を挟んで聞こえてきた。
「っつー。し、師匠ぉ...」
涙目のジャックから遠ざける視線の先に、スリッパの踵がみえる。
よく見れば、やや尖ったヒールがついていた。
「あ...」
「いってぇーっす!!」
「神祖様?!」
礼拝を途中で切り上げた、イリアも寄ってきて3人の輪ができる。
「これ、私の弟子で山伏をしているジャック。こいつが、あんたを地上に逃がしてくれる段取りになっているのさ...外に変なのがいるけど、気にするんじゃないよ」
預けたくない感情が、やや芽生えつつはある。
久しく抱かなかった、親族の固い絆みたいなものだろうか。
イリアの目元が、ラインベルクの眼差しにやや似ている。
丸顔は、一族の遺伝である。エルフっぽいと言われて、ラインベルクに揶揄われた忘れ難い思い出が込みあがってくる。そうだ、アレにはじめて会った時は、召喚ゲートの外だ。ふわふわのちっこい姿でなら、怖がられることなく素直に召喚に応じてくれると思って待っていた。
あれから、もう何百年も経っている。
長い時間をひとり寂しく生きながらえている――また、ふたりに遭いたいな。
「私、地上へ?」
「うん。ここに長居をしても何も好転はしないからな」
イリアの不安そうな顔が印象的だ。
その表情に追い打ちが係る。
「侯爵代行がこの場を知っているとは、思いませんが?」
ジャックにしても聖地での保護はまま、アリだと思っていた。
とくに扉一枚向うにある、連中を見てからエセクターが怯える姿など初めての事だからだ。
「長老会は、すでに侯爵代行の軍門に下っている」
エセクターから衝撃的な言葉が告げられた。
ふたりは絶句してしまっている。
「長老会の穏健派から告白してきた。私も薄々、そうだろうとは思っていたし、何も驚くことはないが、長老会を当てにできない以上は、外の連中に後事を託すほかないのも事実だ。私も一緒に行ければいいのだが...」
言葉に詰まりながら、何かの気配に彼女のアンテナが反応した。
頭の上のアホ毛がまっすぐ天を貫かんと直立している。
同じようにイリアのアホ毛も直立した。
「流石は親族!!」
と、感心したジャックにふたりの鉄拳がさく裂した。
◆
「執政官殿!」
ノックの余韻も冷めぬまま、扉を開いて入出してきたのは政庁守備隊に武官として赴任している子飼いの騎士だった。彼は、ウズナラが騎士爵だった時の従者だった男だ。
「イリア伯を発見、致しました」
明るい情報と同時に、調教中のミネアに希望の光が瞳に灯ったのを侯爵は見逃していなかった。
「そうか、ようやくか...」
「すでに兵を送り、犬を放っておりますれば」
「あれが生きている事が重要だが、他は些細なこと、どうなっていようと構わぬ。俺の下にイリアを引きずり出せ! それぐらい出来るであろう?」
腰巾着の騎士は『拝命しかと承りました!』と言い残して部屋を出ている。
彼の命運は、イリアをなんとしても手に入れることだと再確認したことだ。
再び、調教へと戻るウズナラは、ミネアの瞳に彼が映り込むほど近づくと――。
「お前の母が見つかったぞ...これで親子揃って、私のものになる日も近いであろうな?」
ミネアの目の前が真っ暗になった気がした。
彼女は、心の底から『母上様、どうか、どうか無事にお逃げください』と祈ることしかできなかった。




