-1.5.10話 女医と賢者-
飼育部屋で鶏と賢者が格闘していた。
鶏は、回し蹴りからの変則ローキック、および左右のコンビネーションと足技を繰り出す。
一方の賢者は、爪を避けながら目下の卵に手を伸ばすタイミングを計っている。
シュッ
シャッ
ヒュッ
ビビビッ
なんて音が響き、結局、腕や顔に擦り傷をつくった賢者が鶏小屋から逃げ出してきたことで鶏が防衛戦を制したことになる。卵をひとつも取れなかった賢者は半べそをかいて、女医のもとへ行く。
シャギーの桃色の髪はボサボサ、おでこには嘴が突き刺さったあと。
お気に入りのパイレーツシャツはボロボロ、腕の引っかき傷は血が滲んで痛そうだ。
これで泣かない女の子はいないだろう。
賢者が日々、こんな戦いをしているのは自給自足からだ。
とりあえず軍艦なので仕事はきちんとやるようにと、艦長から仰せつかった。
賢者といえど、働かざるもの食うべからず――であるという。
至極全うな話だけども、女医を指して『彼女も働いてない!』と訴えたが、艦長曰く『女医は、船医という役職がある。有事も平時も医者であるから何の問題があるのか』と言われてしまった。
確かに賢者は役職でなくて、名誉名だ。
本業はヒーラーだけど、建艦以降はゲスト。
寄航後は役者めいたことをしながら情報収集しているゲストだ。
で、採卵することが日課になった。
「また、そんな傷を」
女医の好奇な視線が這ってくる。
「舐めれば治るけど、この世界の鶏ってあんなに気性が荒いのか?!」
ボロボロの服を脱がされる。
腕をあげて、腰をひねって、足上げていえ膝を腰の高さで――と、指図されるままスルスルと剥ぎ取られれ、ツルんとした幼児体系を女医に見せている。
女医は、彼女のお腹に顔を埋めて恍惚な世界に浸っていた。
「これに何の意味が」
「スキンシップ!」
「?」
「ああ。この匂い、すべすべの肌、ほんのり暖かく塩味...ああ、美味しい」
臍や、腰まわりに吸い付く痴女。
舐めまわされてることは理解できたけど、女医の腕力から逃れられず『もう、抵抗するのあきらめた』といった風になると、途端に女医も賢者を解放した。
「もっと嫌がってよ! それじゃ拘束してるこっちが濡れないじゃん!! 女の子が嫌がってる、怖がってる、半泣き、拒む仕草が燃えるのよ! 興奮するのっ、無抵抗なんて面白くもない」
と、変態を放出してきたが賢者には女医の世界観がわからない。
無表情を突き詰めると、のっぺらぼう、白紙めいて見える。
「嘘、もう、嘘でもいいから...やだー、あれぇーって言いなさいよ!!」
理不尽だ。
なぜ、他人の性癖に付き合わされなければならないのか。
放心状態――なんでボクを脱がしたんだろう?――って賢者が思考しはじめる前に船が何かにぶつかった。素っ裸で突っ立てた賢者は豪快にどっかへ飛ばされたし、女医は床上に顔面から叩きつけられた。双方かなりの出血で這い出てくる。
いや、賢者の方が重傷だろう。
上甲板では船体の状況確認を指示している。
マスト上にある見張りは、海中に黒い影があると報告した。
船医室の賢者は、部屋の角で気絶していた。
うつ伏せになり桜貝が顕になった状態でだ。
女医はそんな賢者を抱え上げると、ちょっとは頑丈な浴槽樽に放り込んでおく。
「こうやって見ると、ぶっそうな子には見えないんだけどね」
と、つぶやく。
◆
「何事か?!」
勅任艦長が叫んだ先は、マストの見張り台の水夫だ。
船は、最終寄港地に向かっていた。
東洋王国領に入る寸前に、南蛮国という小さな中立国がある。
その港には、閉鎖的な東洋王国の唯一開かれた領事館があり、そこで入国申請を行って交易することが出来る。賢者の使いはひと足早めに、その領事館へ放たれ入国手続きを行っている。
しかし、向かう前に船が得体の知れない黒いものとぶつかったようである。
船から小船を降ろし、曳航して眼下の黒い物体を引き上げることにした。
「小型のクラーケン?」
引き上げられたのは、衝撃によって脳震盪を起こし、意識が飛んでいるイカの化け物だった。
小型といっても体長はノーザンフリゲートと同程度の長さに匹敵し、重量は明らかにイカの方が重い。
根元の足しか見えず、おそらくその殆どは海中だと思われる。
「この吊ってる状態で暴れられる前に放逐するか?」
副長が艦長に問う。
艦長は横に振って、
「港まで曳航しよう。南蛮国で金に換えても良さそうだしな」
上甲板の皆が口笛を吹いている。
クラーケンを食べる気は無いが、魔物の引渡しレートは海賊拿捕よりも高い。
海の魔物の代名詞たるクラーケンは、大きさに関わらず恐らく高レートでの取引が出来るとみな思ったことだろう。
女医はそんな寸劇を階段上がったちょっと先で目撃していた。
衝突事故から3日目で目的の港に入ることが出来た。
寄航するや否や、南蛮国では少女の形をした、ローブ姿の魔法使いを捜索していると告げられる。
全員が賢者のことだと気がついた。
勅任艦長は、南蛮国の兵に捜索の理由について尋ねる。
「仔細は知らぬが。同盟国の大臣がその魔法使いに対し、至急会いたいと申しているとか」
兵士はぽつりと語った。
南洋王国籍を示す交易船旗を掲げた船だからこそ、素直に応えたようだ。
船内では今日も賢者は鶏と格闘していた。
本日2個目の卵をGetした。
が、少しでも気を緩めると、鶏の飛び蹴りをクリーンヒットで貰うことになる。
まあ、名誉の勲章という傷を増やして女医の前に現れた。
頭からつま先まで、ずぶ濡れのみすぼらしい少女が立っている。
七分丈のバミューダパンツに着替えて挑んだ戦い。
末に、失禁したかのような恥ずかしいシミで女医に会いに来たのは――
「今日の戦利品は、2個だ!」
「ようやく、鶏の動きにも慣れてきたぞ!!!」
と、賢者の微笑みは明るい。
両手に1個づつの卵を見せてカラカラと、笑った。
◆
曳航してきた小型のクラーケンは、結局、南蛮国の交易商が買い取っていった。
彼も黒いターバンを巻いている。
その夜、賢者は少年の格好で町の西手にある交易街を歩いている。
「まさか、連絡員を追い抜く船があるとは思いも寄りませんでした」
交易商が手招きをして賢者を商館に招く。
「黒耀眼は、今?」
「もうお分かりと思いますが、こちらの調査でも明らかになりましたが脱走した――」
賢者は、交易商の口を塞いで商館のロビーを覗いた。
何か気配を感じたからだ。
「その感知力があっていつまでドジっ子を演じるつもりだったんだい?」
女医がロビーの酒をラッパ飲みしている姿が飛び込んできた。
「なんで女医がここにいる」
「なんでって? 私は海賊たちに奪わせたいと思わせる商品じゃないのかい」
二本目のワインをラッパ飲みする。
豪快というか、単なる酒豪というか。
「それに賢者は、水軍に詳しすぎる」
「なるほど」
と、賢者が諦めかけたところで。
「ほら、今の表情! それじゃないんだよ、達観しないで悪足掻きしないと私が濡れないって言ってるだろ?! 分かってないねー」
って性癖を押し付けられた。
また、能面みたいな表情になる賢者。
いや、そうせざるえない。
「私交易商の...」
魚人の豪商が明るい部屋に出てくると、
「私に名乗る必要はないよ。それに、ここには居なかったで済ますし」
「この方は誰なのです」
「今は、詮索したくないなー」




