-232話 人妻とアズラエル ①-
「まさか、朝ご飯までご一緒できるとは」
子爵の副官が寝間着の浴衣姿で、詰め所の食堂にあった。
誰かが招いたわけではない、ふらっと副官が食堂手前まで来たところで、街から支援しに来ているおばちゃんが『見ない顔だけど、あんたもこの警備の関係者かい?』と尋ねたところ、何の躊躇もなく副官は『勿論、つい最近、ここに到着したんですけどね...関係者で間違いありませんよ』なんて返答したものだから、本来は、銀貨28枚の紅鮭の海苔とおかか定食Bセットという、エサ子ら兵団の定番料理にありつけていた。
「あ、あんた...ちゃっかりしてるな」
フレズベルグは、呆けた表情で問うている。
副官は逆に相当、明るい笑みを浮かべて――『この定食のスープですか?! 最高に旨い、美味だ!!』絶賛している余裕さえあった。ニーズヘッグが倉庫から、ひと仕事を終えて戻ってきたころも副官は上機嫌に他の兵団員と親交を温めている最中だった。
「これは、なかなかに手強いな...」
ニーズヘッグの手のひらには、金貨が握られていた。
◆
あっちこっち怪我だらけの女剣士は、詰め所の脱衣所前で立ったまま不動になっている。
正直に言えば、ひとりで衣類が脱げるほど腕が上がらず、難儀していた。
そこへ洗顔の為に、エサ子が如何にもまだ眠そうな表情のまま現れる。
口端から右頬のふっくらとした、辺りに掛け布団などの跡が残るほど涎を注いだらしく、くっきりと模様と白く毛場だったものがついていた。本人は、相当カビカビしていて気持ち悪いはずなのに、眠気の方が強いらしく何度も目をこすっている。
「あ...」
「え?」
声を掛けられた序に、細い目と眉間に皺を寄せながら傷だらけの客人を覗き込んでいる。
「だめだ、見えにくい」
朝が弱い意外に視力が低い。
エサ子、実はメガネっ娘なのだ。
アバター設定時に余計な一文が追加されていて、これらのデメリットが審査員を“キュン”っとさせた理由だと、以前何かの公式フォーラムで話題になったことがある。当時は、小学生だったエサ子の自虐ネタが、普段の生活にも、やや支障が出ることがある。
全く見えないわけではない。
調整すれば、いわゆるメガネを掛ければ“妹属性”と同時に“メガネ幼女”という、種族特性みたいなのが発動される。普段はグレーゾーンの魅力補正値が入って、ステータスアップするという話のようだ。
現状のエサ子は、暗黒騎士という職業にスキルが特化している。
ステアップ次第では転職も考えられるため、彼女は敢えてアイテムの使用を拒んでいる節があった。
さて、エサ子は女剣士の導きのまま、衣類を脱がす手伝いをしていた。
「す、すみません...お風呂に入りたいがため、こんな事まで...」
「ううん、助け合うっていい事なんだよ!」
頬を赤らめて、エサ子は年相応の微笑みを浮かべている。
女剣士のハートは、すっかり鷲掴みされた。
「あ、あの...できれば、い、一緒に...」
「ああ! そうだね。体を洗うのも難儀だもんね...うん、いいよ」
パジャマをその場で脱ぎ始めた。
脱ぎ方は女子中学生よりも、幼児のような、だらしのない脱ぎっぷりで放っていく。
しかし、その背中には多くの傷跡が残っていた。
鞭で打ち据えたものや、何かの熱した棒による焼き印のもの、それは脇腹にまで及ぶ悍ましさ。
太腿や臀部にも、大小の切り傷がうっすらと見えていた。
女剣士の絶句は言わずもがな。
「...っ、ご、ごめんなさい...」
「?」
涙を流しながら座り込む、女剣士の急変を不思議に思ったエサ子だったが、ややお道化て彼女の手を引いて風呂の奥へ導いている。
「街を一歩出れば、危ない事なんていくらでもある。悪い事ばかりじゃないし、良いことばかりでもない...生きることは辛くて苦しくて、怖い。あなたの腕の傷、脇腹から胸にかかる腫れは、強く圧迫されたもの。多分、鎧を着ていたことが幸いして生きて居られてる...ジャイアントに握られたんでしょ?」
「!!」
「獣王の娘を侮らないで」
エサ子の微笑みは癒しだった。
「ボクの持ってる回復水剤を使って治癒させてあげる」
「え、で...でも」
「これも何かの縁。それに、ボクに涙を流してくれた人を、このままで居させたくない...これは、ボクの我儘。だから、怪我を治して元気になってね」
ボロボロの身体をもつ女剣士が、精一杯の力でエサ子を抱きしめている――そんなちょっとした、朝の入浴風景に剣士の“お宝”に立腹している、槍使い(女の子)もタオルを肩にかけてドカドカ騒々しく入場してきた。エサ子と女剣士のふたりと目が合う気まづさに遭遇。
「あれ? セ...」
「してないから! 姉上、何もしてないから!!」
エサ子の全否定が風呂場に木霊していた。
◆
「まあ、以上で...我らとしては手打ち。いや、この際ですね、関係性の改善したいと考えています」
副官は、食後の煎茶を啜っている。
煎れたのはモーリアンだ。
食堂で2週間もおばちゃんの手ほどきを受ければ、料理下手の女子でさえ、茶を煎れることくらいは可能になると証明したことになる。モーリアンの女子力アップ急務だった。
槍使い(女の子)に料理センスを問うと、食材が毒素検出される産業廃棄物に変化していた。
エサ子曰く――『ガイガーカウンターまで唸りだす、放射能汚染物質の可能性もある』と言って、お仕置きを甘んじて受けた事もあった。
街のおばちゃんが支援に来てくれるのは、そう遠くない未来で契約が切れてしまう。
契約更新は先に断られてしまったのも、モーリアン卿を女の子扱いせざる得ない事情の一つとなる。
故に、彼女は煎茶マスターを極めている最中なのだ。
「掻い摘んで要約すると、聖都に捕らわれている“イリア伯”を、脱出させればよいのかな?」
ニーズヘッグが問う。
「ええ、簡単に言えばそういう事です。で、できれば。あなた方の傍で匿って頂きたい」
「それは、結果的に所有権が変わるだけになるが...それで納得できるものなのかね?」
「勿論ですよ。確かに法国から、ニーズヘッグ卿や聖女さまに伯を預けるとは、そういう事になりましょう。しかし、例えば法国では教皇でも信用できません。いえ、かつての仲間である騎士爵とて...」
副官の険しい視線が物語っているようにも思える。
「難しいものだな、権力を掌握し合って双方で潰し遭いかね?」
「お恥ずかしい限りですが、そういう事です」
「我らの将帥は、今も姿を現しておりませんが、あなた方が“エサ子”と呼ぶ者に御座います」
副官の瞳が開かれている。
そういえば、あの少女の周りに多くの兵があったと、副官は思い出しながら回想していた。
「我が国の主導者に仕え、その階級と能力から十傑の内、三席を冠する大将軍。“エサ子”様の下知を今しばらくお待ちください...」
ニーズヘッグは、深々と頭を下げて席を外している。
カウンター向こうには、エプロン姿の巨乳なモーリアンが食器を片している。
「時に...」
「はい?」
モーリアンが手を止めて副官を見た。
「何カップでしょうか?」
「あ、これ...マグカップですけど?」
「...」




