-227話 征伐軍 ④-
ウズミナの容体が急変したのは、吐血かれ間もない事だった。
薬師の判断、教会法師の見立ての甲斐もなく、彼はベッドの上で胸を掻き毟るような形で、もがき苦しみながら死んでいった。その一部始終を、イリア伯は少女のような瞳を向けていた。
子爵同様に“あに様”と呼んで、慕っていた一族の、長兄の早すぎる死であった。
侯爵家は、ウズミナに嫡男と呼べる子が存在しているが、後見人として実質的な舵取りに実弟である、ウズナラ騎士爵を推薦した。社交辞令であると疎まれたが、騎士は後見役を一時辞退したものの、三顧の礼に応じて侯爵を名乗った。
これら一連に際して、子爵の驚きは隠せない。
騎士爵の前に侯爵家には、長老という羅針盤があった筈だという。
長老は、ラインベルクのミイラを代々守る、一族のリタイア組が勤める一党だ。
アサシン教団のように灰色の衣と杖を突き、魔術の如き深い知識を武器に“未来を視る”術を持つとされる者たちである。子爵の両親も彼らに合流して修行している身分だという。
侯爵家が繁栄したのは、まさしく長老による声を受けてだが、彼らは長老の声に従ったとは思えない行動を取った――ウズナラの侯爵代行がその結果だ。
「確かに丈夫な方ではないが...」
子爵の下に長老の使者が訪れている。
見覚えが全くない爺の姿だが、得体のしれない不気味さというのはあった。
その証拠に子爵を守る為、アサシンたちの警戒心が彼によく伝わってきている。
「ああ、自然死ではないだろう」
「と、言うと?」
「検死をさせて貰えない以上は、何とも言えぬ。だが、精神的支柱である侯爵を失った状態では、あの娘が生き残るのは難しかろうな...」
陰謀の渦巻く伏魔殿といったところかと、子爵は眩暈を感じている。
あの時は、何かを変えるチャンスだと思った――聖女を奉じて、ラインベルクが負った負債を返済する好機、いや、己が思い描く理想郷の実現に向けた――イリアは大事な妹だ。子を産んで人妻になっても、子供の頃の少女さが全く抜けていない、可愛い妹だ。あれが甲冑を着なくても良い、世界を作りたいと思ったから、彼はここに在るわけだ。
「で、長老らに便宜を図るとして。イリアは、妹は...守って貰えるのか?」
「勿論だ。我らにしても、アレの始祖が魔人であろうと一族に違いはない。ラインベルクの血脈であれば庇護の対象となる...我らを裏切ることが無ければの話だがな?」
爺は、腰を掛けていた長椅子からすっくと立ちあがる。
外見は、単なる目くらましのようだ。
「ご先祖は、人間だったのか? あなた方のようなのを残して――」
子爵が見て、感じている爺の雰囲気は、外見の情報でしかない。
杖を突き立つのも、歩くのも辛そうなのに、所作の至る所が嘘っぽい雰囲気。
「いい眼を持っているな、子爵。始祖は人間だよ...いや、少し変異しているが...それは取るに足らないことだ。基本の構成が人間であるから、エセクターも種を欲しがっただけだ。だが、その魂はまた、別であろうな...まあ、この話はお前さんにとって益にはならんよ。さて、我らの要求としてはだな、ひとつ――侯爵の残した少年を獲ることだ」
音もなく、子爵の瞳を覗き込める位置に爺が寄っていた。
物陰にあったアサシンたちは、金縛りのような拘束術で、身動きが取れない状況にあった。
「っ、ち、近い!」
「おっと、縮地は使いにくいな」
「なぜ、少年を!」
「答える義務もないが、始祖さまがご所望なのだ」
「その代わりに、イリアを?」
「そういう事だ。決断は早く行え? あの娘の身も危ないのだぞ...」
それは、脅迫だった。
いつか誰かが思った、恐怖の記憶。
「分かった! アラン・ドメルの名の下に誓約する」
「承った」
爺は、塵のように掻き消えた。
魔術的痕跡は殆どない。が、恐怖だけは、確かに実感できる状態だった。
あれが何者であったのかは、脇道に置いて。あれが所属する長老一党に、ドメル子爵の親族も参加している。いや、いずれ己も組みする得体のしれない組織の事だ。
アサシン教団の精鋭でさえ、赤子をあしらうように煙に巻いた。
「俺は、このままでいいのか?」
◆
シェヒル伯爵は、シルナク攻略を街に潜入している状況下で考えていた。
城塞からでは、斥候らの言葉をもとに策を練っていた。が、事実、入城してみると口述の前後にダイブの開きを感じていた。市民による市民の為の国政をと叫んだ市民こそ、存在しないことを伯爵が知った。
共和制を唱えた市民は愚か、個人さえシルナク市民は知らなかったのだ。
もっと掘り下げると、シルナク市民は“セイラム教離脱”や“君主制の廃止”をも考えていない、或いは知らなかったと、口々に答えた後、顔を真っ青に変えて怖がり出している。街頭で質問をした伯爵を“都市警備”の貴族と勘違いして命乞いをした市民もあった。
これらのギャップを下に、彼の攻略意欲はやや削がれた形になった。
「あの宣言は、一体なんであったのか?」
宿屋に戻ってきた伯爵は、大部屋に戻るなり、腕を組んで長椅子に腰を下ろしている。
側近の騎士と、星読みの巫女が部屋の中にいるメンバーだ。
騎士は4人。いずれも高い個人技を持つ武人だった。
巫女は、伯爵の身の回りを世話する侍女としての顔を持つ魔法詠唱者で、東方の茶を淹れるのが上手い娘を傍に置いていた。彼女の煎れた茶には、副次的に精神安定も付与された。
「...?...閣下、宣言とは...」
茶を煎れた巫女が、伯爵にティーカップを差し向けながら尋ねてきた。
彼は、幼い容姿が残る巫女の頭を軽くなでながら、
「君主や領主の個が、多(他)を独占支配することがない...市民主導の共和体制を敷くと、シルナクは宣言したのだよ。だが、市民の誰もがその宣言も、セイラム教からの離脱も知らないといっている。いや、もっと聞き込んだところでは、何故、都市に軍隊が入ってきているのかさえも、彼らは事情に疎くなっていることだ」
「では、幻覚?」
「いや、中央区の大聖堂は焼き討ちに遭い、旧時代の司祭の躯は串刺しにされていた。私の仕業と思わせられるようにも思える、わざとらしい演出ではあったが...いずれにせよ、暴動の熱や革命の雰囲気に温度差がある」
「このまま、シルナクを舞台にわが軍と、セイラム法国が激突してもメリットは少なそうだが」
「...時間稼ぎ?」
巫女が呟く。
伯爵は、彼女が煎れた茶に口をつけて啜った。
《時間...いや、誰か、何かを惹きつけたかった...か?》




