-223話 それぞれの戦争-
退路として用意していた、西側の急斜面に第二皇子の放っていた、斥候らがあった。
彼らの一人が放った矢によって、南エルザン王が落命した。それは放った者も感覚的に、外したか当てたかをちゃんと理解している。
だから、彼らは物静かに下山をはじめていた。
その斥候らを見咎めた歩兵の追撃が今、迫っていることを知らない。
脇目も振らず、阿吽の呼吸とでもいうか、歩兵の数名が長剣を片手に急斜面を駆け下りている。
声を発すれば、舌を噛むような斜面を飛んだり、転がったりを繰り返して追いすがる。
どんっ
鈍い音が響く。
弓を握っている兵の胸から、先の尖った鋼が突き出していた。
「がふっ」
弓を手元から落とすと、目の前の胸に両手を向かわせる。
と、同時に視界がくるくると回って、光が消える。
飛び込んできた別の兵が、突き刺された男の頭を斬り飛ばしたのだ。
「あ゛!?」
振り返る敵兵の悉くを、追撃した王の歩兵が討ち取っていく。
弔い合戦にもならない。
今、王の死は秘匿されなければならない事項だ。
老将ならばそれをする。
いや、彼らの直接的な支配者である、伯爵なら口封じの為に斥候の痕跡さえ消すだろう。
辺りは血の海だ。
「切り刻まれた肉片は、動物に処理させる」
「ああ、だが...」
「取り合えず、これ...山、登るのか?」
無我夢中で駆け下りてきた歩兵らが、降りてきた斜面を冷静な目でみて絶句している。
――同時に溜息が漏れている。
斥候の連中も、やや絶望しながら登ったようだ、所々に躊躇う足跡を残していた。
これを繰り返して、大金星を得た。
「よし、正面に回ろう」
「ま、確かに...」
歩兵たちは、それぞれが肩を掛け合いながら陣屋に戻っていった。
◆
ダフーク州の位置は、マラディン州の南、イス州の南西、シャフル州の西、メンセル州の東にある。
メンセルとの国境線は僅かに、約40km程度しかない短い関係性だが、聖都巡礼街道でもある接点を放置できるほど、セイラム法国の懐は深くはないのだ。
ダフーク州を抱え込むことで、盤面の上でのプレッシャーを南エルザン王国にかけられるメリットが大きいから、是が非でもセイラムは爪痕を残そうと躍起なのだ。
ダフークは、南北に高い山岳地域を持ち、州の平野部は猫の額ほどしかない。
その理由として、平野部が深い谷の底だからだ。
地表部には大きな河川がない代わりに、豊富な地下水がある。
鉱山からの収入が無ければ、食料の自給自足は壊滅的な地域でもあった。この地域は決して裕福なところではない。州の人口は35万人――動員できる最大は約3万人といったところだが、人口の殆どが出稼ぎの労働者であるため、州が動員できる兵は2万人が限界だった。
各会派の貴族たちが私兵として雇用している傭兵の数が、州軍なのだ。
州都シルナクの立地は、イス州の国境線にちかく、マラディン州の要塞シズレにも睨まれている。
この要塞シズレの中に伯爵は留まっていた。
「国境での戦い、お味方大勝利にございます...それと、閣下に老将殿から」
と、騎士は彼に封緘された書を渡すと、一礼を残して部屋を出ている。
所作を見届けた伯爵は、封を切って老将の字を目で追った。
勝利の事後など、伝令の口から言わせればいい。
だが、老将はそれを避けた上で書面にした理由――陣内にて不測の事態が起きている。知る人間を明らかに少なくする術だと認識した。伯爵は読み終わると、膝を崩して座り込んでしまった。
彼が忠誠を賭けるに値する、王だと思った方の死を書面で知った時、伯爵の心に大きな虚無を感じている。手を取りお別れしたかったと思い、今一度拝顔をと取り乱しもした。が、何をするにも暴君の影に見えた、王の悲しい瞳が彼を押しとどめている。
「王の死は、秘匿せねばならない」
国境での戦いを収めたことを州の内外で宣伝させた。
伯爵は、末弟皇子が戦の最中で化けたことを強調した。彼を知るそれまでの人々に、王として立つ影武者の采配に、疑問を抱かせない為の布石とした。この策が思わぬところで効果を発揮し、聖女こと槍使い(女の子)を気遣っていた、騎士長がセイラム法国を出奔したことだ。
騎士長の存在は、煮え切らない小豪族や日和見な貴族たちの心にさざ波を立てるほどの影響力をもっている。セイラム法国でさえ、彼の知名度を幾らか利用していた節がある。末弟皇子の逞しさに惚れ、彼も自分の道を歩む決心がついたようだった。
◆
「騎士長もか...」
侯爵の落胆はやや大きい。
子爵が征伐軍の指揮官として、王城を離れてる内に目まぐるしく情勢が変化していた。
侯爵は、脇腹を鷲掴みながら、目の前の水を腹に流し込んでいる。
「誰か。誰か居ないか?!」
彼は、部屋の外に立つ兵を呼ぶ。
薬師を呼ぶよう申し伝えると、脂汗を流しながら再び、背もたれのある椅子に深々と身体を沈み込ませた。元より身体の丈夫な人物ではない。確かに政治家向きで、調整などに長けるところがあったが、芯は繊細で、花壇に薔薇を植えて鑑賞するのを好む“静”の人だ。
子を成すために正室を置いてはいるが、彼の対象は男性だった。特に、子爵とはそういう仲である。
一方、子爵は独り身だ。
一族繁栄の為に妃を取る習慣に唾を吐いた実績がある。
依頼、ドメル子爵領で彼に女性を薦めることがなくなった。
「回復水剤をお持ち致しました」
薬師が、兵を伴って入室してきた。
顔色の悪い侯爵を見咎めると、薬師は触診で容態を知る。
「教会のいえ、司祭...教皇をここに!! 侯爵の病巣、これは呪いです!」




