-222話 シィルトの戦い 二日目 ④-
老将率いる装甲騎兵がもう、目の前まで迫っている。
ハイファ卿が号令し、僅かな心もとない装甲歩兵の楯を馬防として、長銃を構えていた。が、徐々に距離が縮むにつれて、聞こえる馬の蹄音の地響きが恐怖を掻き立てた。ここで逃げだしても、誰も咎める者は居ない。騎兵の突撃で死亡するケースは、まさしくその足だ。馬が繰り出す前足に膝で突き上げられ、振り下ろした蹄で踏まれたりと、死に方は最悪な結果になる。
十分な数の槍衾を敷いても、およそ騎兵の突撃は止めにくい。
長槍の性質によっては、穂先が角度足らずにたわみ、下を向けば威力は半減して役にも立たないだろう。
そこで新式の戦術となる、銃士隊の長銃に将軍たちの期待が寄せられた。
ハイファ自身も、迫る騎兵突撃の瞬間まで騎兵を止められると思っていた節がある。
いや、確かな自信だったが――埋もれた。
「よし、敵の槍は展開前で助かった!」
老将が隣を走る副官に告げた。
副官も、眼下の敵兵を蹂躙している感触を馬の背で感じている。
血肉の詰まった袋を、踏み潰して進む雰囲気だ。
いや、熟れたトマトを踏んでいると思えばいいか。
「我らが騎兵は、数を減らしていないようだ...」
「このまま突き抜け、敵陣まで肉薄するぞ!」
老将の野望だ。
血しぶきで馬上から後方の様子が見え難いが、味方の歩兵はその先頭が銃士隊と漸く激突し合った頃とみている。千人将らの怒声が聞こえたからだ。
「敗残兵の掃討と、追撃は彼らに任すということか?!」
「ああ、それこそ歩兵の仕事だろう?」
「その判断は、指揮官に任す」
老将の1000騎は、そのまま突き抜けていった。
騎兵に蹂躙された7千人の兵団は軽装の歩兵だったことが災いにも、幸いにもという二通りのケースで半壊程度に留まった。ハイファ卿を守るために幾人かの、副官が彼の楯になって絶命し、彼も左の視力を失って生還したクチだ。
その直後に、息も絶え絶えな歩兵たちが突撃してきている。
友軍の躯に足場を取られながら応戦して、切り伏せられたり、勝ち割られたりと凄惨な戦場と化している。この吸い込むだけで吐き気を覚える血生臭い空気の中で、ハイファの雄たけびが響く。
覚醒――というより、キレたという感覚だ。
獣のように吠えて、友軍の血を肉を喰らって顔に塗る。
腰に差した曲刀と、短火縄銃を握りしめた男が迫る歩兵を返り討ちし始めている。暫く前を走る騎兵にもその変化が理解できたが、老将を含めた彼らは振り返ることなく、前を突き進むと決めていた。
「たかが独り、数で抑え込め!!」
槍兵が手持ちの短槍を投げ始めると、その合間を剣楯兵が突撃する。
ハイファは、その投げ込まれた槍の懐に入り込んで、剣楯兵に肉薄し、彼らの楯に体当たりしたり、蹴り飛ばしたり、自らを混戦の中において戦った。傍から見れば狂戦士のような覚醒だった。
その雄姿を見ていた者たちも、火が憑いたように覚醒をして人を襲いだした。
目を赤黒く変えて、火でも吐くのではないかという、雄たけびを発している。
「ば、化け物だーっ!!」
指揮官の号令に交じって、どこかで上がった悲鳴が伝染する。
化け物じみているのは、ハイファを含めて数える程度しかなく、ほとんどの銃士隊は負傷兵だった。
戦える気力もなく、立ち上がれる力も残ってない。
少なくとも“早く殺してくれ”と祈っているだけの存在だ。
「混乱した、いや、させられた...」
突撃で陣形もなにもかも壊れた集団の中で、今、個で動いているのはハイファだけだ。
千人将や百人将は集団戦闘に戻そうと躍起だったが、最前線の混乱は絶望的だった。
◆
北の騎兵部隊の足を止めさせたのは、第二皇子が指揮する歩兵部隊だった。
ゴーレムにみえる巨人族を鎖で繋ぎ、操作している。
その数は2体だが、インパクト以外にも火力が勝る。
先頭を走っていた女騎士が巨人族の懐にまで飛び込んで、足の腱を斬る活躍をみせるも捕まれ、どこか遠くへ投げられてしまった。
生存はやや絶望的なところだろうか。
攻めあぐねていた頃、西の要塞でもラハフ千人将の前に、巨漢の兵が立ち塞がっている。
柔の戦士に、剛の戦士が挑む格好だったが、巨漢の兵の渾身の力によって千人将の足場が吹き飛ばされ、彼はそのままずるずると、山を降りざる得なくなってしまった。
「伝令!」
皇子の背中に兵が膝をついている。
「何か?」
「銃士隊壊滅! 敵騎兵、今、ここに!!!」
伝令の首が飛んでいる。
振り返りった皇子の剣一閃での出来事だ。
対峙する騎兵にジャイアントと、歩兵の全軍を当てていても、後方にも2千の歩兵があった。
横陣を敷き、ボウガンで武装した歩兵部隊だったが、装甲騎兵の前に敵ではなかったようだ。
皇子の視線は、迫る騎兵の土煙にあった。
「ふ、む...これは詰んだか...」
「は? なんと」
副官も振り返り、首のない兵を見て驚いている。
促されて、土煙の正体を明かされるわけだ。
二日目の戦いの終焉が迫る――陽が西の尾根にかかり始めた頃合いだ。
◆
巨漢の兵が王の下へ戻ってきた。
彼の甲冑不適合な部位に、多数の切り傷がある。
「まあ、卿の力によって1日長生きさせられた。助かったぞ」
王の言葉に男は恐縮している。
「卿だなんて、呼び方されるもんじゃあ、ありません。俺には爵位もありませんから...」
王は驚きながら、吹いて笑っている。
「いやいや、余の前で堂々としている者が無爵とは思わなかったんでな...余の知らない名のある騎士かと思わせられた。これは愉快な話だ!!」
「愉快ですかね?」
苦笑しつつ、ほっこりした気分になる。
「王様、あんたはそうやって笑ってた方がいいな?」
「そうか? 俺は暴君は似合わないかね」
「あ、うん。今の王なら、俺たち平民は、命を懸けられそうだ」
王は、生き残った歩兵の数を将軍たちに尋ねて歩いている。
その傍らには巨漢の兵がある。
すっかりお気に入りになった。
「なるほど、見てくれは悪いが明日で、全軍撃って出た方がいいな」
「いや、今からか?」
伝令が退路の斜面を、駆けあがってくるのが見えたからだ。
「お味方、大勝利に御座います!!」
と、膝をつく。
王の周りが歓声をあげたが、王自身は複雑な心境だ。
「兄は、如何した?」
「討ち死にと...」
王は、背中を向け西の空に陽が沈むのを見る。
目に染みるのは陽の光ばかりでもなく――唐突に胸を貫く強烈な痛みを感じた。
「ぐっ、ふぅ...っ」
足元がもつれてよろめく王に、巨漢の兵が気が付き、太い腕を回して彼を受け止めた。
「王様、大丈夫か」
巨漢の兵の腕の中に沈み込む王に、身体の重みを感じない。
ぐったりしているのに、真綿のようなふわふわした雰囲気がある。
「...む、無念だ...」
彼の胸に矢が刺さっている。
刺さった矢の周りが黒く変色してきてた。
「胸当てを解くのは...少し...気が性急で、あったな...」
と、口端に血の泡尾を蓄えながら零している。
王の吐く息が荒くなっている。肩や胸を上下に浮き沈みさせながら、虚ろな瞳を空に向けた。
西の空は茜色に染まっているがそれ以外は、もう、星が見えるほど濃い藍色に代わっている。
傍らに水剤が用意されたが、彼は呑むのを拒んでいる。
「このまま、な、逝かせてくれ...あの世で、兄に...自慢して、やりたいのだ」
兵の腕をとっていた彼の手が、離れ落ちる。
南エルザン王の戦死が、老将の下に届けられた。
王の死は伏せられたが、国葬が行われたのは第一子が皇位の継承を終えた後の事である。




