-1.5.8話 出航せよ-
ノーザン・フリゲートは、王国水軍はじまって以来の大型戦艦として建造された。
船首のバウスプリット・セイル、フォアマストとの間に小さな三角形の帆が三枚(ジブトップセイル、ジブ、ステイセイル)と続き、フォアマストは上から、トップセイル、フォアセイル。3本あるマストの間には、三角形の小さな帆・ステイセイルが張られ、順風と逆風に対処。メインマストも上から、トップセイル、メインセイルが張られ、ミズンマストの上から、トップセイル、ガフセイルの艤装が施されている。
帆装は他に補助帆としてスタンセイルも用意され、非公式であるが推測20ノットの最高速度を期待された、快速戦艦である。
砲郭は船首に2門、船尾楼に4門、臼砲が2門、単層砲列甲板に20門という組み合わせとなる。
砲火力は、36ポンド長砲6門・24ポンド長砲20門の臼砲で28門搭載艦として建造され、あとは船乗りが乗り込むだけを待っている。賢者はこの乗船員についても言及して、王国水軍に意見具申をしている。
既に1隻、このノーザンフリゲートを建造するだけで凡そ2年分のピンネースを喪失した。
その水軍に対して、180人のマスケティアーズ。
陸戦銃士隊を水軍の特務戦隊として乗船させるよう求めた。
帝国で開発された長銃装備の歩兵をマスケティアーズと呼ぶのだが、これは国外不問の機密情報である。
賢者はこれを南洋王国に要求し、配置させた。
他に勅任艦長と将校たちだが、得体のしれない船の噂を聞きつけて閑職にあった将校が戦列に加わった。
「4隻のキャラックと、2隻のピンネースを沈めた罪で最近まで教官をしておりました」
と彼は、飾りもしないストレートな物言いから、賢者の前に現れた。
「とある海域で、ロリエールという船名のピンネースが傷病船を助け追撃船と交えたという話がありますが...」
賢者は将校の提出書類に視線を落としながら訪ねる。
彼は――
「それは、自分の船で在ります」
と応じている。
そのまま採用された。
彼の辞書に敵前逃亡はない。特にピンチの友軍を尻目に逃げるという発想が無いのだ。
魔王水軍との戦力差は10:1ほどに違い過ぎた。
それでも2割ちょっとの戦果を挙げている。
これは才能だろう。
キャラックで2隻半を小破に追い込み、ピンネースで4隻を中破まで。
五分の戦いが最初からできる条件だったら、実に面白い戦い方をしただろうと思わせる報告書だった。
ノーザンフリゲートは、賢者の設計段階から対ジーベックを想定して建造していた。
ただし、魔王軍のカロネードを至近距離で果たして耐えうることが可能か?という疑問符が浮かぶのが実情ではあったが、想定は魔王軍の軍艦だった。
海賊との闘いなんてのも通過点でしかない。
「あとは、洋上演習かな」
賢者は、ノーザンフリゲートの模型を両手で支えながら覗き込んでいる。
海原を滑るように走るこの船がどんな戦い方をするのか、と。
◆
船体の色は、濃いブルー。
これは外郭装甲を少しでも強度を高めるために、船大工たちが鉄板を張り巡らせた結果だ。
こういう工夫部分には賢者は携わっていない。彼らの技術向上の為に思いのまま動いてもらっているからだ。
これで彼らはさらに、上の段階に進んだことになる。
ノーザンフリゲートは、王国水軍の建艦史において革命の礎になった。
水軍力の増強につながったし、ひとつの余計な事をしでかしたかもしれないが。
これはこれで、少し土産話めいたものが出来たかもしれない。
さて、問題は船員たちの練度だ。
どんなに強力な船や大砲を載せたとしても、使いこなせないのでは意味がない。
まずは初代・勅任艦長の腕前というのを見てみよう。
賢者はいつものローブ姿から、動き易い身なりに整えて波止場に立っていた。
彼女の姿は、袖口がハイビスカスの花弁みたいに広がった薄手のシャツ、ビロードの腰巻、ガンベルトとストレートの黒いズボンに革のブーツだった。一応、フロックコートも用意してあるのだが、そもそも南洋王国は日中の気温がやや殺人的に熱い。
海風は長く当たっていると、ベタ付いてきて肌も荒れるので活動するなら夜しかない。
その時に使うのであれば今は、然程意味がないのだ。
「また随分とお洒落な姿ですね! しかも賢者殿は女性でしたか?」
と、艦長が深々に頭を垂れ、彼女の手の甲にキスをする。
まあ、紳士としての作法のひとつだ。
「あ、や...」
女の子として扱われるのは悪くないというか、気恥ずかしい。
いや、慣れてないから耳まで真っ赤になった。
「ノーザンフリゲートの性能を見ましょうか」
勅任艦長が上甲板に降り立つと、爽やかな風が一迅、吹いたような気がした。
「これは、兆しがいい」
「?」
「海の女神が祝福してくれたのですよ」
と、彼は言う。
乗員の数は結局、500人を超えていた。
水夫の殆どが亜人、獣人となったのはこの南洋王国の特徴だ。
だが、王国を知らなければ魔王水軍としか思わないだろう。
◆
南洋王国の演習は、王都から最南端の海で行う。
軍港の向きから見ても、一つの大きな島を左右いずれかから回り込まないと、その海域には行けないという場にしたのは完成した船の挙動を確かめるための予備運動であるからだ。作戦行動中の軍艦はそうそう港には戻れない――を想定すれば、ひとつの訓練ともなる。
そうして今までの王国水軍は、その操船練度を高めてきた。
まあ、仮にも勅任艦長と募集では無く志願で集まってきた水夫たちも同じように経験してきたいつかの道だろうと、予想していた賢者だったが彼らの見事な操艦に『おう!』と思わず感激してしまった。
船の種は新しいが、操帆の方は既存の横組が多い。
特に順風での最高速度に重きを置いている船だが、目新しいことは何もない。
が、今までの船との決定的な違いは、小回りが利かないなどの点だろう。これを見事に見抜いた操船技術は圧巻だった。
艦長とその幕僚らは、船の走りだしと加速に注目した。
ノーザンフリゲートは、賢者の目論見通りに水上をまるで滑るように走りだし、わずかな距離でピンネースの巡航速度を追い抜いてしまう。艦長が計測と叫んで、下士官が手順通りに計って――『7ノット!』――って告げると、皆から歓声が上がった。
次に、スタンセイルを張り全速力での機動性を試験する。
帆の最大面積が増えれば、風の力はより大きくなる。
これは、転戦する際にも離脱する際にも有効な手段だが、一転して船の挙動がじゃじゃ馬に変貌する。
この船の特徴かもしれない。
「急に舵を持ってかれるような、もう少し船体重量が増せば」
と、ひとりごちる艦長の言葉を賢者はメモっている。
彼女は、船の中を歩き回った。
砲列甲板では、魔砲の状態と弾薬の詰め込み方を。
魔紋という魔術式紋様という古代語を施して鋳造された火砲を魔砲と呼んだ。
通常は、精霊加護魔法の火術を刻む。
この精霊加護魔法には、相性という関係性が強く存在している。その相性というのが自然の理に倣ったもので、火術は水によって性質を弱められ、安定しないことが魔術界の中で常識化されている。魔砲が魔王軍で開発された火砲であることからも道理だろうか。
賢者は、魔砲製造についても光撃術を刻ませた。
錬金術師らは未だに信じていないが、彼女は予備の砲もすべて光撃術で刻ませた。
その予備魔砲と本来載せる筈だった魔砲、実は出航前日にこっそり載せ替えてある。
上甲板や船尾には24ポンド長砲が、船首には追撃に向く18ポンド砲を。
単層砲列甲板の主砲には、36ポンド長砲をといった具合にだ。
そしてその魔砲を彼女はじっくりと眺めている。
そして、飼育室へ。
長期航海だと、新鮮な肉や卵なんてものが必要になる。
みんな、生きているから。
魔王軍でも幽霊船部隊を作ろうという話が議題に上ったことがある。
半魚人と人魚の勢力がゴーストが操船する船だってゴーストなのであって、今あるジーベックを操船できるのならやってみろ!と大暴れしたことがある。聖職者も多く乗っている人間側が信仰を口ずさむだけで、為すすべなく消滅する水夫は要らないと却下された。
まあ、アンデットに向けて唱えない限りは勝手に消滅するわけではない。
だが、潮風を浴びてひどく顔色が悪くなる彼らに海上で戦えと言うのも酷のような話だし。
とにかく(船から)投げ出されたら、泳げないのでは意味がない。
だから死人の艦隊創設は、今でも実現していない。
さて、豚に懐かれる前に賢者は、船医室へ立ち寄っている。
ベテランの船医が快く乗船してくれたのでその人の顔を拝みに行った。
有事の際にドアの前で立ち往生するのは問題があるとして、船医室には暖簾しかない。
暖簾に『男湯』とか書かれてあるのは、船医の趣味らしい。
「ちゃーす!」
元気のよい掛け声とともに入室したら、妙齢のお姉さんが尻丸出しで牛乳を飲んでいた。
新しい軍艦に痴女が乗ってらっしゃる――と、賢者はそのまま踵を返して、逃げようとした。
「どこへ行く! 小童」
ぎこちなく振り向く。
尻を向けていたお姉さんが、賢者と対面している。勿論、隠すという動作が面倒だという雰囲気でだ。
「同性でも目のやり場ってのが...あります!」
「なんだ、乳があってちと、赤貝がはみ出とるだけではないか?!」
「うわー、具材は言わないで...想像しちゃった」
痴女のお姉さんは、どっかりと椅子に腰かけると賢者が怖がるので、組んだ足の上にタオルを乗せて相対する。
賢者もずっと、オドオドしながら目を泳がせていたが。
「うわー、もうだめ。目が疲れる」
「だから気にせず我を見ればいい。見られたところで欲情など起こさん!!」
女医の言。
「その言葉自体が痴女ですよ?! 自覚ありますか」
「痴女? 我は風呂上り故――」
とか言って、『服はどこだ、服は』と探し始める。
着てても、脱いでても変わらないような露出高めの女医が再び、賢者の前に現れた。
「どうだ、これならお前も気にせずに...?」
「...」
「どうした?!」




