-217話 群雄割拠 ③-
イス州とマラディン州の国境付近に、シィルトという街がある。
農業の実験地域でもあり、広大な荒野が広がっている。
イス州から発した4万の兵は、うち1万を南下させてシャフル州へ派遣した為、実質対峙しているのは3万という兵力という事になっている。王都を抱えるイス州の実働可能な徴兵力が、仮に健在であるならば約20万人以上の職業軍人を搔き集めることができる。
常備軍は、末弟皇子時代に何かの資料に目を通すことがあって、確か10万人を切っていた記憶がある。職業軍人であるから、当然、国庫から給金が出ている訳だが、普段から兵役にない者は予備役という枠の中で、二次職業に従事している。年に数回の軍事訓練に参加して、練度の調整と知識の共有化を図ってその精強なる兵質の維持に努めた。
その予備役も、有事を際にして2次、3次という形で現役に復帰していく仕組みが用いられている。
この制度は、南エルザン王の知らないシステムだ。
エルザン王国の皇子たちに課せられた義務というのは、軍役に服すことにある。
末っ子だった彼も何れ、適齢期が来れば王室と密着していると名高い、近衛騎士団に入隊する日が来た訳だ。
ふたりの兄も父や叔父に倣って、近衛騎士団に入って心身を鍛えた者たちだ。
そして、兄らふたり共、非常に有能な将軍になった傑物である。
南エルザン王が州都ウィラムにある領主館の、ひと部屋で侍女たちに甲冑を着せられている己の姿を見て、ようやくだが身震いを感じる状況に至っている。叔父である大公は、すでに自領へ帰国してしまっているし、彼を支える者が居ないことにも気が付く。
そうなると、生来の意気地なしという虫がざわつき始めた。
ここで玉座を棄てれば、悪くなくとも殺される可能性は無いと思うようにもなる。
ただし、かなり見っとも無い惨めな余生を、送ることは間違いない。
この胸のざわつきを抑える為に、着付けを行っている侍女の尻を鷲掴んで悪態をついた。
「良い、それぐらいの剛毅さが無ければ――この王、案外、化けるやも知れん」
大公の下より、老将が目付として陣中にある。
部屋の隅で赤茶色の甲冑を身に着けて佇んでいる処へ、侍従を襲っている王を諫めようとした兵士を止めた。戦場に赴く際、どんな行動を取るかでこの先の運命というのが見えてくるらしい。老将は、多くの若い貴族たちを見てきた人だ。
こと、一番相性が良かったのが、シャフル大公である。
大公とは、近衛騎士団を養成する、陸軍大学で学友となった時からの付き合いだ。
卒業後の若い貴族たちは、敵前逃亡や失神、落馬、自決、小便や糞を漏らす者など様々な指揮官に寄り添ったものだ。そういう長続きしなかった者たちに代わって、指揮を執って戦場の場数を踏んできた将帥だが、激変する貴族も少なからず居た――酒をたらふく飲んで泥酔しながら指揮を奮った者、戦が始まる刻限まで陣屋で女を抱き続けた者、そして、兵士と泥だらけになりながら、殴り合って気を紛らわした大公のような者などだ。
恐らく、南エルザン王も化ける可能性を秘めていた。
彼が指揮する兵は、6万人を少し出るくらいは搔き集めることができた。
無名とは言わないが、人気の無い王にしては上出来な兵力だ。
イス州の職業軍人ではないが、傭兵も多数含まれている。
戦い慣れているという点でなら、いい勝負ができるかもしれない。
荒野の小高い丘に、全軍を配置することができた。
騎兵は、王の周りに配置した楯槍兵の周辺に展開している。
「この陣形は?」
老将に問う。
「この位置に布陣できた故、展開しているのですが。敵軍が物見の言葉通りならば、勝機が見えてきます」
と、返したものの自信は無かった。
数多くの密偵を放ち、都度、3万の兵を探っているが今一、納得のできる内容ではない気がした。
「そんなに気になるものか?」
「ここは臆病なほど慎重であった方が、不測の事態に対処できます。故に、彼らが布陣するまで気を緩めてはなりませぬ」
爪を噛みたいほどのストレスが係っている。
いや、このストレスは王にも伝染している筈だ。
が、彼はヤギの乳を発酵させた酒を呑んでいる。
呑気なと見れらるよりも、周囲は“なんて肝の据わった王なのか?!”と驚愕していた程だ。
本人にとっては“呑まないと気が変になりそうだ”と、思っての行動だった。
「伝令! 敵軍の布陣、捉えました!!」
馬の前足が折れ、転がりながら将軍らの前に現れた兵士は“長弓兵を展開した模様”と告げた。
「なるほど、やはり射撃戦か」
「関心しているところを見ると、兄上をご存知か?」
やや軽く酔っぱらっていようだが、戦場の緊張感というのが王を正気にさせているように見える。
「ええ、存じ上げます。長兄殿もなかなかの武人で御座いましたが、次兄殿はその上にございます...指揮官としては王室内でも指折りでしょうな...」
「余を前によく言うが、確かに兄には何をやっても届かなかったな...」
と、自然に笑いが出てきた。
酒で酔っているからではない。
こんな状況で無ければ、兄と死力を尽くした本気で負かしたいと思わなかっただろうと、王は自身の変化に驚いて笑った。
「ふふ、余にもまだ、負けず嫌いな面があったものか...」
逃げなくて良かったとも思いつつ、背中を老将に叩かれた気がする。
振り返りながら、
「王よ、あなたの兵をご覧なさい...」
皆、精悍な顔つきに見えた。
負ける気がしないという自信に満ちている。
「そうか、これが士気か!」
「そうです。長弓というのは扱いが難しいのです。長銃を配備しきったイス州軍で如何ほどの使い手がいるか。こればかりは戦端を開くまで分かりませぬが...」
逆に老将の頬を王が叩いてみせた。
「良い、余は、兵士を信じれば良いのだろ? 伯爵が育てた軍だ! あれが余に預けたのだから、これで負けるようなら、俺が無能という事だろうさ!!」
やはり、彼は鼻で笑っている。
 




