-210話 魑魅魍魎の街 ④-
「どんな淹れ方をすれば、こんな...」
詰め所にある茶といえば、すっかすかに乾燥してしまった安物の紅茶しかない。
そもそも、ほとんど呑む者がいないから、買い足しては半年余りでゴミになって捨てられていた。
今、女子力たっぷりの槍使いが、紅茶にウイスキーをちょい足しして兵士にふるまっている。
ただ、酒を加える発想を彼女がどこで仕入れたのかを知る者はいない。
エサ子の前には、人肌に温められたホットミルクがある。
ソフトドリンクではない、紅茶を彼女には近づけられない。
「ボクには?」
「あれは、エサちゃんに早すぎるよ」
口を尖らせている仕草は、久しぶりかもしれない。
鼻の先を人差し指のぷっくりとした腹で突くと、
「もう少し大人になったら、クラブ遊びに連れてくよ」
と、槍使いが耳打ちしている。
目をくるっと回し、愛くるしいエサ子には何のことか今一理解していない。
「蜂蜜酒なら嗜んだことあるし...大丈夫だよ!」
アピールしているが、ウイスキー入り紅茶は彼女の目の前には来なかった。
「で、この街って具体的に何が起こってるの?」
槍使いが切り出した。
お茶請けは、漬物しかなかった。
「ええ、始まったのは王宮からの連絡が途絶えたころからですから、もう10数か月前になります。放っておいた訳ではないのですよ。むしろ、近隣の州兵や貴族らにも声を掛けてですね、大々的に周辺の状況を捜索したものなのです...」
「いや、えっと...何を捜索してたのかなー?」
兵士が目を丸くしている。
いや、この冒険者は何も知らないのだと理解するまで少し時間がかかった。
「いやー失念です。も、申し訳ないです」
「こちらも事情を理解していなくてすみません」
エサ子は、UIのジャーナルに目を通している。
地域ごとの詳しい情報というのは、流石にジャーナルでも汲み上げられていない。
「えっとですね。魔物が増える前に起きた事件について話しますね!」
「はい、お願いします」
「イス州に渡った旅人たちに由る情報です――紅い湖水として有名だった王都で起きた異変のことです。湖水の色がみるみる黒く変色し、ドロドロの粘体が浜を這って現れたというのです。王都の白い砂浜は、その黒粘体によって染められ、空を飛ぶ鳥が大量に地表へ落ちてきたともいうのです。これは天変地異の前触れかと言われたようです」
「なる...」
「分かった?」
エサ子が頷く槍使いに問う。
「いや、まったく。不気味な兆候という点を盛り合わせてようにしか思えない」
「うん、そうだよね! 普通では起こりえないことが集まると、そこに作為的な何かを感じ取ってしまうよね...これも、演出的には悪魔が召喚されたような雰囲気だけど、エルザン王国に悪魔と契約をしたがる人々は居そうにもない」
「うん、仮にあったとしてもこれ程の厄災で兆しを見せられるのって、かなりの階級だよ...」
「悪魔にも階級があるの?!」
と、脱線しかけたが、エサ子が槍使いの質問をスルーしたことと、巧みに隠して固めているサラシ巻きのおっぱいをつーんっと突き放してみた。
これで我に返られるのだから、ふたりの仲はかなり進展したようだ。
「王都から始まった兆しによって、その周辺の州にも大なり小なりで異変が起こりました。この地では、兆しを境に死んだ者を教会で清めた後、埋葬すると決まって生き返るという話になりました。以来、協会では聖女の聖水で体を清めることがなくなりました」
「聖水って?」
紅茶は二杯目の槍使い。
そろそろトイレが近くなる。
「竜を御する乙女の流した涙であるとか、その下の水とか...まあ、いろいろで」
エサ子が不意に前にも似た言動があったと、思い起こす。
槍使いが隣の席から少しきつい視線でエサ子を見ている。
「ほう、エサちゃんは知ってたのか...聖水のこと...」
大聖堂の中にある奇跡の泉を指している。
あれらの水を教会では“聖水”と呼んでいた。
小股を開いた全裸の女神像から、まさしく股下へ注がれる噴水がある。
もう、ほとんど自由に立ちしょんしているような姿にしか見えないし、マルティアの女神修道会に古くから伝わるという泉の取水口は、お腹をやや抑え気味に屈んだ少女が、恥じらいながら失笑を浮かべ草陰向うで...致しているような像が聖水を注いでいるものがある。
こちらは、具材の形まで再現されて、いささか直視を憚れる雰囲気がある。
「え? いや、知らないよ。知らない...いや、この聖水は奇跡があって、汚れを注げるとかステータスアップするとか言われてて...」
「そう、そうなんですよ。死者の魂が天国に訪れるように聖水で清めていたのですが、今は、毒になりました...我々の信仰を試しているのだと思っておりましたが、ここにきて魔物の数が急に増えてしまいました。近隣の村から処女の娘が攫われ、生れ落ちる赤子がみな異形の種へと変わっていたり、魔物は男ばかりを襲うのです。村から街へ、今、大都市が狙われているのですが...まったく対処できていません」
「難儀というか、気の毒というか...」
「生態が分かったのって、この街で目撃するようになったから?」
槍使いの言葉に兵士が頷く。
そういう意味で回りを見ると、青年兵士ばかりに見えてきた。下手をすれば、槍使いと同じ年齢の少年も兵役について剣や槍を担いでいるかもしれない。と、思うと急に他人事ではない気がしてきた。
「確かにその通りです。私も数か月前に徴兵され、昇進したばかりで...どこもひどく人手不足なのです」
「徴兵か...それってだいぶ、深刻な話だよね?」
「巡回している兵士も警備兵を装備だけ高くしたような兵質ですから、戦い方なんて――」
新米しか残っていないというのも、おかしな話だ。
西側の州や、エルザン王国の真西・イズーガルドでは今も内戦をしている。
それこそ何千、何万という兵隊が国家の存亡を賭けて戦っているのだ。
すさまじき温度差を感じてならない。
「戦い方を教わりたい...って話?」
「いえ、我々と巡回して魔物退治をお願いしたいのです」




