-206話 バイブルト州 ⑥-
市内を巡回しているのは兵士たちだ。
エルザン王国は、数か月前に国王を殺害した何者かの手によって壊された。今、対外的に王国というラベルは無い。それぞれの州が互いに次期統一王朝だと宣言しあって、近隣諸国に“統一の暁には、〇〇という我が国の後ろ盾になって頂きたい”という親書を送りまくっている。
エルザン王国時代以上に対外交渉が盛んなのは、何かの皮肉なのだろうか。
おおよそ、自分たちに大義名分が無いことを自覚しているからこそ、不安の裏返しとして対外印象の工作をしているのだろう。
その中では、バイブルトの長は消極的な方だ。
イス州と隣接していながら静観する構えを早々に決めて動き、すでに半年も月日が流れても尚、小豪族に至るまで兵が動員されることは無かった。が、ここひと月ばかりの流れとしては、珍妙な雰囲気に包まれている。“影の軍団”所属の薫子が、州内に潜伏した辺りから少々不可解な噂を耳にした。
州内には、奇妙な動植物が急に増え始めたという。
最初の目撃情報は、バイブルトの庭園内だ。
目撃者のひとりは、それが最初スライムに見えたのだと言った。が、半透明なゼリー状の身体から粘着性の液体が、吠えたてる犬に向けられると、忽ち消化されて骨も残さず消えたのだという。あまりに恐ろしくなった目撃者は、その場を立ち去ってしまった。
それが、何であったかは今も調査中である。
他にも目撃情報がある。
河川敷の近くの目撃情報は、殆ど“水”にまつわるものだ。
カッパに似た化物にも、出会った人が居る。
淡水で人魚、海馬にも出会ったが、ここ最近は、赤ん坊の背に蛾のような羽をもつものが出たという。
これの特徴は、赤ん坊の泣き声を発して人を誘い招く。
近寄った人間に襲い掛かり、肉を食らうのだという。
そこで、都市の治安局は噂の根絶のために兵を動員したという事だ。
これらの報告を受けた、領主の反応は薄かった。
最早、他人事であるようだ。
「――各都市とも連携を図り、一刻も早く、バイブルト州は国内随一の安全な地域であると市民に安心してもらう必要がある! 市民の流出や工業生産力のこれ以上の落ち込みは看過できないものである。皆、気を引き締めて事に当たるよう、切磋琢磨の努力を期待する」
国防大臣の有難い訓示だ。
長い演説を割愛しながら、意識を切り替えていた兵士たちは、何度か背伸びや屈伸をして持ち場へ戻っていった。見回りの構成は、4人で1班をつくるパーティ・スタイルを用いている。仮に魔物が出て来たとしても、少々の相手ならば兵士でも、対処が可能だからだ。
エルザン王国の軍人は、職業軍人が多い。
元々、陸軍国家だからだ。
近年に入ると、海軍力の増強も行っていくつかの軍港も作られた。
それでも根は、陸軍国家だ。
兵質も真面目で頑強、高い白兵戦能力を有している。
それら兵士が市内を巡回していた。
「月明りは、期待できないな」
ひとりの兵士が陽の落ちる空を見上げている。
相棒も『ああ』と短く応じていた。
「何か羽音が聞こえないか?」
「羽音?」
確かにそういう似た音が聞こえなくもない。
通りから少し奥へ流れた、家屋の影向うから聞こえてきている。
「赤子の声...出たか?!」
4人は、音のした路地へ突き進んでいく。
道の脇には角ごとに防火用の水樽が置かれてあり、これらを避けながら走った。
「居たか?!」
最後のひとりが広場らしき場へ飛び込むと、全裸の女人がヒトの腕を齧っている姿に唖然とした。その腕は、明らかに子供のもののようだが、足元に散らばっているのは、蛾のような翼と鋭く尖った歯並びの頭が落ちていた。
「こ、これは...」
「しぃー。あれが食事中だ...この場は、ひとまず」
と、4人がもと来た道から後退りながら距離を取り始めた。
「まて、待て待て! あいつが...」
4人の退避行動を全裸の女性が視ている。
ただ、視えているのかという疑問が湧く。
瞼を閉じたまま、腕を喰っているからだ。
全裸の女は、外見年齢で凡そ20代に見えた。しかし、黒々とした長い髪のわりに下のアンダーヘアが生えた形跡がないほど奇麗につるっとしている点。飛行魔法の割には、低い高度で宙に浮いていたことが気になった。
「余計なことは...」
と、声を発した瞬間に、球根のお化けのような何かが、仲間の首を襲撃して喰らいついてきた。それは突然の出来事で、手持ちの武器で回避する事が出来ないほどのことだ。血飛沫があがり、周囲が真っ赤に染まった。
女の瞼がゆっくりと開かれる。
その孔には、何もないただ暗いだけの闇があった。
「ば、化け物がっ!」
戦士が飛び込んでいる。
パーティで犠牲になったのは回復役だ。
「迂闊にちか?!...っぎゃああああ!!」
呼び止める為に伸ばした腕を、球根が襲撃。
彼の腕は、左右から引き千切られて肩から下を失った。
捻じり切られたような雰囲気だ。
戦士が躊躇し、振り返ると彼の背後に女性が現れる。
「に、にくぅ...」
化け物の言葉だ。
◆
白熊の前で戦士がブラッシングをしている。
すっかり馬屋の馬とは打ち解けて、話し相手になっている白熊だが――。
「お前に相談も無く決めてしまって...済まない」
と、手を合わせて謝っている。
そういう冒険者は結構、珍しい。
《...どうせ急ぐ旅でもないし、困った奴を見過ごせないってのはお前の性分だし。どうという事は無い...それよりも、運動とウサギの肉があれば――》
「運動かあ、確かに...熊って、庭園の中にあっても驚かれないものかな?」
《それを俺に聞いてどうする》
「ま、ああ...確かに」
《そうじゃなくて、偶には街を出て遠出すればいいだろ?》
「っ、そ、そういう事か」
びっくりしたと言いかけた。
が、遠出の際に未だ回復途上の彼女を置いていくのは、流石に忍びなかった。
「いや、まだ...拾った女性の容体が芳しくない。もう少し様子見がしたいのだが」
《ああ、そういう事なら...もう少しだけだぞ》
聞き分けだけはいい。
熊は、徐に立ち上がると、二足で直立し膝の屈伸運動を始める。
次いで、腰を捻って身体の開きとは逆方向へ腕を伸ばして、上体にも捻りを加えている。
「え? な、何を???」
《何って、運動...ツイスト運動をしておかないと太るからさ...》
至極ごもっともな、言葉を頂いたような気がする。
白熊は、散歩に行きたかったが、それもままならないと知るや否やストレッチを始めたのだ。
戦士も薄々だが、普通の動物ではないことは理解していた。が、切り出すというより切っ掛けが無かったから問わなかった。この一連の行動を察して、白熊は獣人族ではないかと思い至る。
そういえば――とおもい当たることもしばしば。
そうして、部屋の女性は水を飲めるまでに回復している。
発見から丸三日の状態だ。
「えっと、もう話せるかな?」
「...助けてください」
「はい?」
「私、魔物の母になってしまいました――」




