-196話 流浪の兵団 ④-
ニーズヘッグが配下、ジャッカルと呼ばれた諜報のプロたちが、魔物について情報を持ち帰って来た。
エルザン王国内が内戦に突入したことにより、それまでに存在しなかった獣が死臭に引き寄せられるように、ぞくぞくと終結してきているというのが斥候らの回答だった。
エサ子の近衛騎士でもあり、兵団の軍師でもあるニーズヘッグが重く唸った。
彼の正体は、旧き蛇か竜族の長である。
地の底ににまで続く、洞窟を根城にして、この世のあらゆる黄金を守護するドラゴンだ。
その彼が唸る訳だ――見た目は腕の立つ爺の姿だが、唸り声ひとつにもやや恐ろしさを感じた。
「卿――」
フレズベルグが問う。
口元を掌で覆っていたニーズヘッグは、声を掛けて来たフレズベルグへ視線を向けた。
普段よりも瞳は赤黒く見える気がする。
「この周辺には、何が居るのでしょうか?」
「ヒッポグリフだ」
頭部は鷲、鳥のような翼を持ち、身体が馬というキメラだが、人為的というよりはグリフォンという種族的に産み落とされた魔獣になる。普段の狩は単独で、必要以上に目撃されずにひとりか、ふたりの人間を襲う生物なのだが、この国に棲息し始めたヒッポグリフは聊か雰囲気の違うもののようだ。
究めて性格は残忍で、先ず、瞳の色から違う。
頭が鷲の形をしている為、瞳もやや人懐っこい雰囲気の黒茶色。
眼光は鋭いが、捕食者という立場上のもので普段は、大人しい部類に入った。
これらの魔獣は、比較的簡単に手名付けられる。
「卿は、納得されてない?」
「いや、そういう訳ではない。が、村や部落なら脅威的だろうと思っただけだ。グリフォンにしろ、ヒッポグリフにしろ、習性は鷹と同じく単独で狩をする。身体が大きいから、農民などでは対処も難しいだろう。独りで相対するのも自殺行為である。いや、だからか...せいぜい人里へ現れたとしても、街の市民が恐怖する事態になること事態が異常だといえる」
ジャッカルが持ち帰った情報は、この周辺状況だ。
エスカリオテ州の事情だけではない。
州北部に隣接する他の州でも、同様に魔獣の気配が満ちていたことを彼らは伝えている。
メンシィル州アスラ近郊では、亡霊や亡者たちが徘徊するという話があがってた。
これは、先の教皇軍と死闘を繰り広げた軍閥軍の怨霊ではないかといったが、真贋のほどは不明なのだ。誰もが、恐がって真実を暴こうという気がおこらない。寧ろ、嵐をやり過ごそうという考えの方に力を注いでいる。
とはいえ、ニーズヘッグも正す気が起きない。
彼の斥候を用いれば、人間の諜報活動よりも成果は期待できるが、無駄骨のような噂に派遣するほど潤沢に人員がある訳でもない。かつての世界から、全軍が召喚されたならば、動かせる斥候の数は数倍になる。
だが、そうなれば恐らく、世界のパワーバランスはとんでもない方向に傾くかもしれない。
あちらの世界から百万の軍勢が喪失し、こちら側へ百万の軍勢が出現する。
エサ子を将軍と仰ぎ、絶対的な忠誠を誓った魔物の集団。
生きるも、死ぬも彼女と共に――。
「治安が悪くなっただけで...」
「バランスの問題なのだろう」
「バランスですか?」
ユーザーインターフェースから、アーカイブを開く。
冒険者がメインクエストや、世界で起きた事件の背景・概要を知るために用意された、ジャーナルの記録保管庫を指している。この世界の“巻き込まれ事件”は、SNSで畳用された季刊風のイベントに似ている。時間に縛られた拘束が条件にあり、高い報酬と冒険者だけの物語が刻めるという点においては、狭い界隈を賑わせたPBW(PBeM)にも通じた。
冒険者を主役とした公式が紡ぐ小説形式のアーカイブの存在は、サービスが開始されてからごく、数%しか知らない情報のひとつだ。ゲームのプレイが忙しくて、膨大な突発事件語録に、目を通す暇人が少なかったからなのだが。
攻略サイトでも、これらの情報は、鍵付き掲示板のみでやり取りされてあった。
そして、バランスの話になる。
魔王軍が膠着していた防衛線を突破する以前にも、事件は起きていた。
戦闘用ゴーレムが開発され、闇取引された事件だ。
当事者の逃亡により、生成された事件は不発に終わっている。が、アーカイブに残った痕跡から“帝国”は、膠着する戦線の打開を目的とした粘土巨兵を投入する腹つもりだったと記録されている。それは丁度、北の海で新しい船種が生まれたのと同時期だった。
時系列でアーカイブを追う。
ニーズヘッグの指が止まる――兵団が召喚された時期に即して、アスラより数万の兵団が“帝国”の手配の下、聖都へ向けて進軍を開始している。エサ子と1000騎の兵団が聖都を奪回する頃、元エルザン王国領内に魔獣・魔族の活動が活発化した――繋がっている。
「我らが...バランスブレイカーか」
「今、なんと?」
◆
薫子が膝を屈して、頭を垂れる相手はシュハネ男爵だ。
79歳の絶倫な爺は、11代目の当主の中で最高齢である。一族は、胆力に欠ける病弱な特徴をもっていた。男子直系に家督継承が許された、旧い考えの家であるためにしばしば、断絶の憂き目に悩まされた。
11代目の彼にも、その兆候はあった。
彼の最初の子は、7歳を前に病死、流行り病に当てられた。
次子は、側室の子だ。本妻に疎まれ、乳飲み子のうちに毒殺された。
三人目の子は、その本妻からだが、気が触れた彼女と共に城から飛び降りて死んだ。
――呪われている。
誰もがそう、思った。
四番目の子は、一度、市井に隠し子として匿わせて10年後に膝元へ呼び寄せて育てた。
その子も孫を残して20年前に逝った。孫たちは若くして、曾孫を作ってくれたが、息子が欲しいという欲求から解放されたわけでは無かった。短命だからこそ、生きている実感として性欲を利用しているに過ぎない。
彼の種により、1ダースの傍女たちは、子を孕み続けた。
時には、双子や三つ子が生まれ落ちる。
すべてが家督継承権を持つことになる。
当然、孫やひ孫たちにとっては面白くも無い身内の誕生となる訳だ。
シュハネ男爵家は、呪われている。
「ふむ、もう少し足を開けるであろう?」
膝を突く薫子のドレスの奥へ視線を伸ばしている。
また、そういう見えそうで見えない服装なのが、彼女の特徴なのだ。
「余の前では下着などという無粋な布は必要ない...分かるか小娘よ?」
「ええ、でも...使者の身で粗相をすることを私の主人は望んでおりません」
「粗相ではない。これは交渉、駆け引き、報酬である」
誰のですか?――薫子の視線が男爵に向けられた。
そそり立つ肉棒が彼女を驚かせている。
目を奪われたと言ってもいい。齢80を前にした者の一物ではない、もっと猛々しく荒々しい。加えて言えば、まるで獣だ――生命力そのものの匂いを纏っている野性的で、危険な香り。脳髄の奥まで惑わされそうな強い刺激を発する。
彼女は、これに当てられた時、魔物だと思った。
いや、事実、彼女には耐性強化のパッシブスキルが働いている。
これは、毒や魅惑などの状態変化から自身を守るためのスキルだ。およそそのどれもが、無効化されたような、強烈な眩暈を感じている。
「当然、お前の報酬だ! 余を称えよ、そして余を受け入れ、余の種を芽吹かせるのだ!! お前が産み落とすはどんな魔性の獣であろうな?」




