-192話 セイラム法国建国 ③-
教皇の仕事は、教会に限定された祭事しか許されていなかった。
もっとも、法国の建国でどのように、セイラム教が変わるのかを実は、その大半の者が知らなかった。
事実、教皇サイドの教会派という、聖職者の全てが安易に自分たちの置かれている立場、身分などが自動的に向上すると考えていた節があり、教会より下賜されたそれまでの荘園で金の勘定をするという姿を見せていた。これまでの教会は、お布施という集金スタイルを用いて、私腹を肥やし、教会本体よりも各地の司教が大金を持っていたケースが多くみられた。
これの抜本的改革が打ち出せなかったのは、司教の金で教皇が決まるからに他ならない。
既に形骸化した教皇選出の儀式は、司教たちの大金によって票の売買が横行した結果だ。
憂慮する声は、貧しい教区所謂、荘園から上がる。
まずもって、司教や枢機卿の領地化を廃する必要があった。
お布施と課税の二重取りをも改革する――法国は、教会が国になる訳ではない。これを明確に打ち出す必要があった。
教義は尊重し、法の手本とする。
法国王こそ、天意を天命を得た神の子である。
貴族連合の高らかな宣言を、新築された大聖堂の前で衆目に浴びせた。
侯爵と子爵の間に立つのは、聖女に扮したイリア伯だ。
若い頃に肖像画をつくり、各地の教会に掲げさせたのは単なる布石でしかない。
法国王の初代は、女王となった。
◆
槍使い(女)と剣士は、エサ子の率いる兵団の幕舎にあった。
幾番か前、演習と称して彼女らは、あばら家のすべてから痕跡の一粒さえも残さず退去してきた。
事態の把握と退路の確保のために、メンセル州の東、エスカリオテ州に展開している。
この地は、貴族連合の息のかかった地域だが、演習先だとして申請しておく分には疑われることはほぼ無いと思っていた。その実、まさか出奔するとは、宣言当日まで侯爵や子爵さえも気が付かなった。故に代役であるイリア伯が壇上にあがった訳だ。
そうなると、聖女という架空の人物は遠目、或いは御簾の奥から見える影ならば、ソレらしい誰かを立てればいいと思いいたる訳だ。
建国宣言のイリア伯がそうであったように。
「顛末としては、まあ、こういう事になりましょう」
ニーズヘッグは、ふたりに簡単な説明をした。
巻き込まれ事件での選択によって、天国か地獄かが決まる。
今回の選択は、“残って大事業を成す”という至極簡単そうな設問だった。が、その実、剣士は最愛の槍使い(女)を人質に取られ身動きが取れず、頼るエサ子からも遠ざけられただろう。
また、エサ子も法国軍に組み込まれ、軍役を課せられる。
軍務の範囲から脱すれば一族もろともに征伐を免れない。
ふたりが足枷になって飼い慣らしにあっていただろう。
「でも、追われますよね?」
槍使いの不安そうな瞳がニーズヘッグへ向けられている。
「このまま。一旦は、南の国境沿いを抜けて“はじまりの街”を目指す手もあります。が、この地に残れば、必ず、法国の追手と一戦を交える必要が出てくるでしょう。が、今すぐはあり得ません」
「と、いうと?」
エサ子のメロンパンをかじる剣士。
ホットミルクを大事そうに抱えて来た、エサ子の涙目を知るまい。
「建国したばかり、それ以前からも掌握はしていたでしょうが、信徒兵は今、使い物になりません」
「練度不足...」
「槍使い殿、ご明察。その通りです...先の戦いでも露見しましたが、とても軍と呼べる質では無かったこと。貴族連合の騎士と剣兵、槍兵とも肩を並べられるような域ではない。これが私たちに向けられない理由のひとつになりましょう」
「凄い自信ですね?」
腕に噛みついているエサ子を払いのけている。
泣きながら床に転がるエサ子。
「場数が違いますからね。...それとてもう一つは、このエスカリオテ州の隣国に南エルザン王国が成立した事も大きな問題のひとつです。これは侮れない存在でしょうな、先ず国力、みっつの州から構成されています。情報によれば、最南端のシャフル州が最重要でしょう。この地域は謎も多く、駐留軍の異様さから軍屯制による統治形態ではないかと考えております」
「軍屯?」
「民の代わりに兵士が耕地開拓に従事し、平時において農作業や工夫などに。有事の際、兵士となって国を守る制度の事です。剣士殿...故に兵数がそのまま民であり、また、人口数がほぼ兵力というステータス上の話に繋がります。この国いや、州を攻略するのは一筋縄ではいかぬ...と、なりましょうな」
「現実的に見て、法国にとっては遊撃軍を失って頭痛いところだと思うよ」
諦めたエサ子は、マグカップをすすりながら会話に参加してきた。
かじられた腕を見ている剣士が、目の端にみえた。
「じゃ、今後の話なんだけど...出奔して次、どうしようか?」
「私もイベント・クラス解かれちゃったから...これ以上、法具を着れないみたいなんだよね」
と、槍使いが苦笑して見せている。
アイコンは冷や汗どころか、号泣にちかい。
彼女のドレスは装備しているというより、腕に抱えて身体に押し付けているような雰囲気だった。
その状態に気が付いた剣士が背中に回り込もうと状態をずらし始める――『剣士! 見るな、スケベ!!』と、一喝された。
「ふむ...」
ニーズヘッグの指示を受けた、侍女らが羽織り物を槍使いに掛けてくれた。
「あ、ありがとう...あ! あれ、あなたたち」
「彼女らは、君たちの護衛にと閣下が用意された使い魔だ。然程、日も長く仕えた訳でもないのによく見分けられたね? 何か失礼な振舞でもしたのかね...」
「いえ、とても夢のような待遇を受けたので...って、使い魔?!」
「おっと...」
ニーズヘッグを睨むエサ子の視線が痛い。
ホットミルクも飲み終わった幼女が床に上をコロコロ動き始める。
道化を演じれば、これ以上の突っ込みは無いだろうというエサ子なりの逃避だ。が、彼女の義姉はそういう妹を揶揄うのが大好きな性格だった。
「その道化、久しく見てなかったぞー!!」
仰向けになったエサ子のお腹に顔を埋めながら、激しく吸い付いて脇腹を擽り続ける。
お気に入りのダボついたシャツに、ショートパンツの少女は、笑いながら『降参』の二文字を叫んでいた。幕舎の中にある男どもが、赤面する淫らな姿になるまで続けられ、床に水たまりを作った少女が隅に片付けられている。
「槍使い、今まであんな事してたのか?」
眉間に皺を寄せたのは剣士だ。
剣士の問いに若干の焼き餅を感じ取る。
「...ん。しょっぱい」
「暫く見ないうちに大分、変わられたと思ったのですが...まさか...」
「おい、爺さん...落ち込むなよ」
「何でしたか、今後の話ですね...眩暈がしそうだ」
「この場に残るならば、どういう形で関わっていくかという立場の表明が必要になるでしょう。この場合は、一介の冒険者という立場が順当だと思われますがね...」
エサ子の飛沫を浴びた、槍使いが指先を舐めながら。
「エサちゃんって何者?」
「何者と申されましても...ぼ、冒険...者?」
と、上目遣いに様子見をしながら解答するも、彼女睨みが一行に和らぐ事は無かった。
「どういえば、ご理解されるかこちらも...聊か...言葉に詰まると、それはご本人からお聞きください。臣下の我らからはこれ以上は、申し訳ございません」
ニーズヘッグは、平伏して会話を途中で切った。
その態度で槍使いは何かを悟った表情をしてみせる。
「エサちゃんが何者であれ、私の可愛い妹には変わりないし...あの子も私の事が好きみたいだしね。この話はもう、おしまいって事で...コボルトの鍛冶師さんが“北の鉱山に行きたい”って聞いたけど?」
「もう、お耳に入ってましたか!」
「いや、私の処に来て“議題に掛けられるような場があったら”とか...任されんだけど?」
「足を伸ばして、アルトヴァイン州を目指すという手も...ありかと」
ニーズヘッグ以外のふたりが『それは何処ですか?』と首を傾げてみせた。
彼はただ、浅く微笑みを浮かべていた。




