-191話 セイラム法国建国 ②-
エサ子が寝食を行える場は、聖都の中では三つある。
一つは、教皇府の最上階に設けられた、未だ使ったことの無い執務室。
二つ目は、その地下の工房。
三つ目は、槍使い(女)と剣士が定宿とした都の中の一画だ。
この都で、彼女を何かしらの形で知りえる立場の者が、エサ子を探すとしたらその三か所しか知らない。
しかし、彼女には軍団がある。
総勢1000人規模の兵団の詰め所が城壁に囲まれた、旧市街の外、新市街地にあった。
新市街地はちょっとしたスラムだ。
混沌としていて、魔物が居ても誰も疑わない雰囲気がある。
エサ子はその倉庫街にあった。
「侍女候補は、まあ、このくらいかな?」
眷属の憑依魔を召喚し、金で雇用した娼婦に憑依させた。
召喚された悪魔の方は、故郷でも侍女として従事し、護衛としての腕も鍛えた女官あるからその点は、問題なかったが、本人たちの希望の方が高かった。主人に不平不満を言えるというのも珍しい関係だ。
「志を高くもつのと、希望を履き違えるでない! 閣下の温情により女官は、女人の中へ入れるだけでも良しとせよ!! これは、かくも重要なお役目である。心して忠勤に励むのだ!」
と、ニーズヘッグの有難い口上を聞いて尚、やや不満気な雰囲気であった彼女らであったが、コボルトらが竈の余熱で風呂を沸かしたと、聞きつけた後、彼女らは喜んで浸かっていった。
ニーズヘッグの方は、無性に不安そうな表情で彼女らの出仕を見送る形となった。
当のエサ子はご満悦だ。
「閣下、なぜ、そうも笑顔で」
「――ん。姉上の性格に似ているのが来たなーって」
「それでは、同族嫌悪に...」
「大丈夫、大丈夫...ボクとの接し方が姉上に似ている。やや、聖女が侍女に弄られて嫉妬してくれる方が丁度いいし、新たな刺激を得て――ま、兄上とのふしだらな時間が増えないようにしないとさ」
朝からメロンパンをかじる少女がある。
眼下の皿には、2個ほど同系のパンが鎮座していた。
「それだけですか? あの者たちは、姉上様と兄上様の護衛を兼ねていると...」
「この先、彼らには荷が勝ちすぎる世界になるだろう。お前の目を通してどう見える?」
「僭越ながら、ごく一般的な冒険者に見えます。そうですな、出来得るならば今からでも十分な訓練と技を磨きせめて何れかのスキルで一芸を究める...これで漸く、万が一にも生き残れるといった当たりでしょうか」
「仮に師をつけるとすれば?」
「剣士様には、フレズベルグ卿の集団戦闘術一式。モノに出来るかは本人の意志のみですが、鼓舞スキルの下位位階は身に付けて欲しいです。次に槍使い様には、モーリアン卿が宜しいでしょう。気性も素行なども似た雰囲気がありますし、見た目が姉妹に見えますね...本人も義妹が出来たと思えば喜んで師事すると思われます」
「モーリアンが教えるとしたら...何をするかな? あいつ槍...使えるの? 見たことないんだけど」
「ほほう。閣下にも見せておりませんでしたか?! あれは稀有な戦士ですぞ...師は確か」
ニーズヘッグが眉毛を小指でなぞりながら、物思いにふける。
「そうそう、ラージュ殿...だった筈...あれ?」
「とうとう爺もボケてきた」
「いや、最近にも似た名を...まあ、そういう訳で師も剣士であられますが、槍も斧も納めた武の方でございまして。モーリアンはなかなかの槍裁きを身に付けておるのです。閣下が拾い食いをなされてお腹を壊されていた頃に開かれた武術大会でも、圧巻の槍術を振るわれていたのですよ」
と、ニーズヘッグにディスられた。
「ボクって、あっちでも碌な目に合ってないような...」
「こちらでも、落ちているメロンパンを食べてはいけませんよ」
「は、はい」
「ま、聖女様には現状、固有スキルと固有職業になっているご様子ですが、モーリアンと師弟関係を結んでおれば、成長速度は早かろうと推測いたします。問題は、巻き込まれ事故の方でございますね」
巻き込まれ事故――既に巻き込まれたままにあるから、勝手きままにログアウト出来ない。拘束時間が長すぎるのが難点の公式で用意された隠し要素だ。いくつかの選択肢や分岐点には、タイムスケジュールが存在する。例えば、“要求される”や“答えを求められる”には、都度考える時間が付いて回っていた。NPCたちの自由な会話に参加して、正解のない選択を迫られ解答する。
期日に間に合わないと、システム的に裁量と思われる事象が発生し、別の選択肢が用意される。
ループは無いが、無回答で行われたシステム裁量が“聖都陥落事件”になる。
どこかの地域でも起こっている巻き込まれ事件の巻き込まれちゃった冒険者たち。
回答もしないで放置した結果、事態が最悪になっている国もあるのかも知れない。
「フレズベルグがら聞いた話ですが、使者の申します通りに聖女様の立場は、建国を境に変わります。早々に疎まれることは無いですが、こちらも政治的な後ろ盾が必要になるでしょう」
「昨日の友は、今日の敵?!」
「ラインベルク殿が案じた一計によって先ずは、無一文から数万の軍隊を手に入れました。これで聖女様の取り巻く環境は変わった訳です。凡そ、この勢力を維持し続けた状態で、各地を転戦し彼女自身の足場堅めを模索できた筈でしょうな。しかし、聖都を奪還したことで先送りになる筈だった建国の理想が再燃したことにより...」
「聖女伝説が邪魔になるか」
エサ子が真剣に唸っている。
各地に伝承として残る或いは、人為的のこれらは、人々の意識をひとつに纏めるために用意されていたシステムだ。“人々の救済と解放”言葉に出しても具体的な形を見いだせないが、聴くだけなら希望がわき上がりそうな雰囲気がある。何かにすがる思いの人々を焚きつけるには十分すぎる魔法の言葉だ。
それが最終的に国土を統一し、新たな理想郷を手に入れる者たちの企みだとして、本当に欲しいものは何であるかを思慮すると――。
「伝説は法国でも必要でしょうが、聖女で無くて良いのですよ...人の身である必要がない。此処からは、再び逃亡生活になるやもしれない話です。槍使い殿と剣士殿ふたりが出奔すれば、“聖女を騙りし悪徒”として追われましょう。仮に教皇と結託しても、政争に巻き込まれバラバラになるでしょう」
「なぜ? ボクがいるよ、ボクが...」
「いえ、我らは少なくともどの勢力にとっても、重要な戦力です。過小評価しても“捨て駒”として使うのが道理。彼らの手に聖女様と剣士殿が握られている以上は、下手な動きが出来ませぬ...今、この時点で手詰まりにございます」
「退路は?」
「悪党の誹りを甘んじて受けて、出奔。これしか道は御座いません」
ニーズヘッグの苦笑がエサ子には、心地よかった。
「そうか、そういう道も悪くない」
「我らは、閣下の戦友にございます。如何なる時も、片時とて離れる気は御座いません。この世界にお召喚になったその時から、お役目潰える時までお供差し上げます。どうか、心安らかに...」
分かった、赦す――エサ子も微笑みながら出奔までの手筈を詰める。
エサ子を含めた1000人の兵団の秘密裡な事業は、こうして始まった。
建国宣言までもう、まもなく告知される。
残された時間は、あまり長くはなさそうだと考えていた。




