-184話 魔王軍 72師団の戦い方 ⑥-
「なに?! 突撃させてやるだと!!」
副長の声は、高くなった。
よもや対峙する魔王軍に届くのではないかと、そういう甲高い声が男性の副長から飛び出したのだ。
「簡単ではない」
「当たり前田のクラッカーだ!! そんなのが出来たら、俺たちは苦労せずに此処まですんなり下がれたさ」
「前田?」
「...気にするな」
「正面から突き合う必要が無いことと、あちらも当たりを反らすと思うんだよ」
副長の眉間に深い皺が作られる。
目つきも険しく見えた。
「恐らくは目的は達したんじゃないかな?」
「とは、心当たりがありそうな物言いに聞こえるが...」
戦士は、下顎を指で掻いている。
別に虫がいるとかそういうのではない。癖だ――彼の人間らしい一面だ。
人の姿の時は、顎鬚があってそれを掌で撫でるように弄っている。
そういう癖だ。
「これは推測なんだが、いや単に偶然が重なっただけだと思うのだが――」
「歯切れが悪いな」
「“黄昏”のクラン長が、この戦場をコントロールしている大将に見えたんじゃないかなと。いや、当初の一番槍は、中央軍だったと聞いていた。これを遅参した“貝紫色”が抜け掛けをする形で動き出し、三軍による包囲戦が崩れたと...」
副長の表情が緩やかに溶け始めた。
「ああ、成るほど。そうか、そういう事か...確かに一度は、数歩全軍で動いた。土煙も豪快に上がったし、さあという時に重騎士、急に腹が痛くなったと言い出して、先手を“貝紫色”に譲ったのさ。真相なんてこんなものさ、抜け掛けと言えば重騎士の名誉が守られるだろ」
とくとくと伝える終えた後、副長はバツの悪い表情になって『今のは、ここだけの話で』なんて釈明してきた。
別段、身内なのでそういう話は流せる。
居ない人間の影口のようなものだから、方々で口を開けば披露した人間の品位が疑われるものだ。
特に“黄昏”は、評判の高いクランでもあるからだ。
「――恐らく、彼らは“黄昏”の動きにやや釣られたんだと思う。もう少し具体的に言うと、視線を誘導させられて完璧に護れる筈だった左翼を雷帝に突き破られた。そう、思ったに違いない...いや、俺が指揮官なら、そのリベンジはどこかで返したいと思う」
「そういうもんかね?」
副長の心内は、“真面目じゃねえか”なんて呟いて、ため息をついている。
「あとは、軍師の存在かな」
「ん? なぜだ...」
と、口を出てから『あー』と声を挙げた。
隠者はトイレから戻って来た頃合でもあった。
副長が彼女の方を見ている。
「隠者の事じゃない」
「え?」
「隠者の存在は、未発見だった筈だが...暗殺を差し向ける、度胸と実行力を別の誰かとしていたと考えると、軍師の存在がひとつあったに違いない。ついでに糧秣集積所も襲撃できれば...」
戦士の背中から副長を見る隠者。
彼女の目には、人狼の戦士の左右に揺れる尻尾が気になって仕方なかった。
「ここの襲撃は?」
「偶然であり、当たりのひとつ。これで目的は達成された。ならば、準備が整い次第に突貫してくる」
「ならば」
「当たった瞬間に、俺らからみて右翼に流しつつ、俺らも城壁側へ逃走する!!」
「は?!」
「逃げるんだよ、全力で」
はにかみながら目を細めた。
「あいつらは追ってこないから、そのまま森に逃げ込む。樹々を利用して円陣を組んで、やり過ごすんだ」
「それ、面白い!」
隠者が混じって来た。
戦士は踵を返し、隠者にかかっと笑い。
「時に魔法城壁は作れるか?!」
その問いに、隠者は躊躇した。
「それを使えるのが近くに居て、余り気にしなかったのは分かる。でも、ボクには作れないよ...だって、それ高位魔法だもん」
「ボクの行使できる魔法は、中位魔法まで例外は無いと思っていい」
やや浮かない表情になった。
が、彼女は俯いていた顔を上げて戦士をまっすぐ見た。
「でも、城壁ほどの大規模なもので無ければ――」
「魔法城壁の進化前は、魔法方盾なんだよ。これが下位魔法で、中位魔法では“魔法防壁”と呼ばれてる。範囲は城壁より狭いし、抵抗力も大したことが無いけど...こと、正面だけならこっちが向いてるかもしれない」
隠者がインターフェースから“魔法大辞典”を顕現させた。
自動的にページが捲られて、目的の魔法が光っている。
「では、300人の魔導士にも唱えさせて、正面にとびきり厚い壁を造ろう!!」
◆
「全軍! 前進せよ、突撃開始っ」
号令を聞きつけ、前線のオーク隊が歩き出す。
防塁までの距離は、それほど遠くない。
「突き崩せ!!」
オークの将が吠えると同時に彼らは棍棒を振り回しながら、突進してきた。
人狼の戦士が手振り旗振りで、部隊を巧みに操り最小限の被害だけの転進をやってのけた。すれ違う両軍はこの状態でも、余裕のある魔王軍と全くギリギリのエイセル連合軍の明暗が、はっきり分かれていた。
魔王軍の恐らく、名だたる雄猛な将校から『この後の健闘を祈る』めいた敬礼が贈られた。
その返礼が出来ないほど追い詰められた彼らの中で、戦士だけは代将代行へ返礼した。
これは何となく、そうしておきたいと思ったからだ。
魔王軍のほぼ全軍は、そのまま北上して消えた。
見事な逃走っぷりだったらしい。
72師団は、遭遇しても戦わずに逃走し続け、勢力圏に一人の脱落者なく帰参してしまった。
彼らに翻弄されまくった連合軍の方は、振り回された汚点を隠すために“魔王軍・第七軍団恐るるに足らず”なんて痩せ我慢なプロパガンダが流れた。
これは逆に失笑を買ったが、エイセル連合軍にとってはそれでも良かった。
ハルスケンプの戦いを勝利したという宣伝が出来たからだ。
「知らないというのは、恐ろしいな」
“黄昏”の副長が解放された、ハルスケンプの城門前にあった。
対岸に人狼の戦士と隠者がある。
「で、お前らは...」
「パートナー登録を済ませたよ...」
「いいのかい? 隠者ちゃんは、“緋色”のだろ」
隠者の鼻先を指さしている。
「う、ぐぅーあああ」
「なんか、唸ってるが?」
「狼になりたいとか言っててな、目の前に肉を見せつけると、噛むみたいだぞ?」
戦士の言葉に副官は、指を引っ込めた。
「ま、それは冗談として」
「よ、よせよ」
「ひと段落ついたから、姫さまの下へ行く。で、隠者も一緒に行くというからな、面倒を見てやろうと――まあ、そういう事だ」
難儀な話だな――と、副長は腕を差し出す。
「では、達者で」
「いや、また... どこかで会うと思うぞ。この縁は深いとみている」
「なら、今度は最初から暴れてやろうじゃないか!」
固い握手を交わすと、人狼の戦士は城門を出た。
彼の脇には、デニッシュのような髪型をした碧色のローブの女性がある。
暫く道すがらに歩いていくと、3人の人狼が十字路に立っていた。
「お疲れさん...」
人狼4人と女の子ひとりの旅が始まる。




