-1.5.4話 とある海辺の巨大カニ-
どうにも草臥れた老馬1頭が引く馬車というのは、動物を虐待しているように見えて忍びない。
御者とこの馬車は、ギルドが手配してくれた配送業者なのだが案内人の言葉を借りれば、冒険者の階級に応じて配送サービスや待遇は格段に上がるというのだ。
で、こういう老馬が当てがわれるという事は、賢者を含めたこの一行がそのヒエラルキーの底辺だという意味。
こればかりは金では買えない。
さて、一行が向かっているのは、ギルドに寄せられた仕事先だ。
南洋王国・王都より東に8里ほど離れた集落だ。
漁をして生計を立て、至極の宝珠の養殖にも成功した王都直轄領のひとつ。
人口は、2千人を少し下回るあたりの亜人が居住している。
長閑でゆっくりと時間が流れる雰囲気のいい街だ。
直轄領の執政官がパーティと賢者の前に現れると、事情を簡単に説明してくれた。
要するに、浜辺でジャイアント・クラブ漁をしてたら、メガロ・クラブとかいう超大型のカニが怒って暴れだしたのだという。この種もジャイアント・クラブを捕食しているらしい報告があって、街とカニとでカニ?の取り合いが発生したという。
街の側は、安心して漁がしたいので、メガロ・クラブの排除を請願しているが。
執政官は王宮に献上したいので、捕獲を依頼していた。
ただ、ギルドの胡散臭さはコレに乗じて、双方の依頼を受けているという事だ。
――排除と捕獲。
で、賢者から見て、まず前者の排除はこのパーティで問題ないだろう。
最悪、掛けられるだけのバフをファイターとソーサラーに掛けて戦力を増強する。
だが、捕獲はちょっと別のチームに任すほかない。
「これは無理!」
って、つい本音が口から飛び出していた。
「何が無理だ?」
と、レンジャーが荒い鼻息。
ただ、その自慢げなプライドもメガロ・クラブというカニを見るまでの話だった。
メガロ・クラブは個体種をカルキノスという。
魔王軍に参戦したが、南洋王国の気候を気に入って勝手に除隊してしまったという経緯がある。
まあ、もう少し複雑な経緯と彼らの言い分もあるのだが、結果的には魔王軍から見ても、お尋ね者である。体格はジャイアント・クラブのおよそ2倍半、魔法耐性は高いが、肉弾戦専門のタンク役として軍では期待された兵士だった。
食欲も旺盛で、一夫多妻。
ただ、メスから子は4~6匹しか生まれず、うち3匹が成獣になれるという魔獣でもある。
物理攻撃は、非常に硬い甲殻の為に歯が立たず、水軍自慢の魔砲で脳震盪程度に留まる硬さを誇る。
「あー、これダメだ...排除も怪しくなった」
賢者の分析。
水棲動物だから、光属性か土属性での攻撃魔法が有効だと考えるのが普通だが、このカルキノスはその弱点属性を克服してしまっている。唯一は、闇属性による即死効果がランダムに付与される麻痺か、圧倒的火力の同属性魔法以外には、止める手立てがないという魔獣。
だから、賢者の目から見て、このパーティではダメだと悟った。
「精霊加護魔法・ライトニングアロー!!」
ソーサラーがカルキノスに唱えて放った魔法。
いや、魔法というより彼の習得している精霊加護魔法というスキルとでも言えばいいだろうか。
彼は精霊を使役する人々(シャーマン)だったらしい。
賢者は『紛らわしい』と思っていた――と、同時に精霊加護でもカルキノスを怒らせるだけだと思っていた――精霊は、妖精のちょっと上にいる魔力を帯びる幻獣の一種だ。魔神にも匹敵する上位の種さえ存在するが、人間やエルフに力を貸す連中は低位。
カルキノスみたいな魔獣とは力の差では相手にもならない。
玄関先の呼び鈴を押して、ダッシュで逃げる程度の嫌がらせに等しい。
精霊加護魔法とは、一般的な個人の精神力やマナ、或いはオドとか呼び方は様々だがそれらの力とは別のベクトルで働く魔法とは完全に線引きされる。では、何が違うのかというと、精霊加護魔法は、精霊の御業を召喚してこれを行使する技なのだ。
だから、精霊使い(シャーマン)と呼ばれる人々は前衛向きなスタイルを中心に自らを鍛える傾向にあった。
例えば、レンジャーやスカウトなどに精通するタイプが多い。
シャーマンの放った、4本の稲妻がカルキノスの振り上げた腕に捻じ曲げられて、明後日の方角へ飛んで行ってしまった。
シャーマンは、後ずさりながら尻もちをついて動けなくなった。
どうやら自慢のスキルだったらしい。
「こ、こんな魔物がなんでここに!」
やる気ゼロ、既に逃げているのがファイターだ。
彼の姿は跡形も無く見えない。
いや、咎める者など、ここには居ない。
「レンジャーさん、シャーマンさんを!」
って探したら、彼も居なくなってる。
賢者はちょっと落胆した。
「これが、人間? いや、駆け出し冒険者か...最前線で戦ってた兵士の方が遥かに勇気があった」
って、船でここまで送ってくれた兵士たちの事を賞賛した。
最終的に城塞を引き払い撤退したけど、その際に殿として一部が残留し、十分に時間を稼いで病院船を逃がしきっている。その彼らの勇気は賞賛に値するし、立派だと思う。
でも、この冒険者は――ま、駆け出し...無理はないか――って、賢者は笑った。
「どうしたヒーラー?」
腰が抜けて動けないシャーマンが不思議に思って問うた。
賢者の代わり様に、気が触れたかな?とも思えたのかもしれない。
「悪い、邪魔だから」
って賢者は振り返りざまに腰の抜けているシャーマンの体を蹴り飛ばした。
彼は、何本かの骨が折れる音を聞きながら、吹き飛んだ先で意識を失った。
「ごめん、ごめん、つい力が入ったみたい。死んでなきゃ、アンラッキーかな?」
肩を竦め、飛んでって方へ言葉を掛けた。
いや、聞こえてるとは思えないが。
「カルキノスだっけ... ボクさぁ、カニってわりと好きなんだよね」
ローブのフードを取り、シャギーの桃色髪を整えながら手で髪をすく。
2本の触覚が自身の唱える魔法圧でゆらゆらと不規則に揺れている。
「さあて、カニの料理って鍋と焼きと、あと何があるの?!」
両の眼はルビーのように真、朱に光っていた。