-176話 決戦 ハルスケンプの戦い ⑧-
「あ、すみません...ちょっと、どい...」
マルは、隠者を動かそうと思って腰を掴んだと思った。
勢いよく引っ張ったものだから、金縛りで動かない――いや、動けなかった彼女は、顔面から豪快に地面へ転がされた。
これは非常に痛い。
いや、押しちゃったマル自身も、みていて何もしなかった訳でもないのだが、痛いと思って目を瞑ってしまった。やっぱり何もしなかった...。
その後、鼻血を流しながらゴロゴロと転がっていく。
目が回る――という叫びが、マルに届いたのだけど無視した。
このまま、退いてくれたらラッキー。
ついで、目が回った挙句に記憶喪失になったらもっとラッキーと、ちょっと考えた。
「ごめんなさい」
手を合わして、転がっていった隠者を拝んでいる。
成仏しますよーに――と、軽く祈ってみた。
マルは、ふーっと息を吐くと、頭上にある渦を見上げる。
逆巻く雲の中にある黒い孔は、禍々しい気配を垂れ流していた。
ゲートが狭すぎて、位相空間のあちら側の何かが出られないで居る。
見上げたマルがもう一度、ふっふーっと息を吐き、鼻からすーっと、息を吸い込む。
「リラックス、リラックス...」
彼女は、指に嵌めてある指輪をいじりながら、ぶつぶつとつぶやき始めた。
足は、その場で細かな文字と文様を刻み始める。
土台作りだ――古代語はその文字ひとつに、魔力が宿っているといわれている。それを任意の形に刻むこと数文字で、火炎球や氷柱を具現化させた。より、複雑な組み合わせを行うと、高位魔法や最上位魔法を封じた単語になると噂される。
隠者の持つユニークスキルいや、アイテム・魔法大辞典のは古代語の廉価版なのだ。
古代語の理屈が分かっていれば、使用者の属性に関係なく、古代語を利用してありとあらゆる魔法を駆使することが出来る。
また、余談だが...肉体強化や耐性強化などのスキルで強化するものも理解すれば、古代語で強化できた。所謂、便利な言葉なのだが、読める者と理解できている者が殆ど残っていない。
この言葉の多くは、神代の時代以降で、忘れられ打ち捨てられたものだからだ。
マルの描いた、土台の紋章が光りだす。
彼女を包み、縦列に幾何学的な文様の円陣が何個も発生した。
それでも、彼女は腕を伸ばし、全身で何かブツブツと唱えている。
「高次元魔術式展開!!」
肩膝を突き、頭上の孔へ伸ばした腕の先から、じっと睨んでみた。
口角をあげ、口端に滲ませた血の泡が吹き出す。
「ふっふっふっ! 準備はいいかなー? マルちゃんもう、止まらぬぞーぅ!」
口を開けば、ごばがばっと体液を吐きながらの口上をのたまい。
〝神聖系超位魔法・発動っ! 神の裁き!!!!〟
水風船が、弾け飛ぶような勢いで、真っ赤に爆発した。
光属性の頂点に君臨し、威力と貫通性能は全属性魔法の中で最強とされる。
単一目標への重貫通攻撃という括りだ。
要するに、敵対象1体に対する魔法攻撃だといっている。
現時点で行使できる冒険者は、マルひとりだけだ。
が、そのマルはトマトのように弾けとびこの場に居なくなっている。
装備品である農民のコスチュームと臭い腕輪が、その場に落ちていた。
では、彼女は何処に行ったのか。
◆
マルは、はじまりの街の近くの森で目が覚めた。
確か、彼女がこの世界に来た時も、こんな尻が冷たい水辺だったような気がする。
いや、今回は、身体の半分水に浸っていて冷たい。
色白のすべすべとした肌が水辺の際に浸かっている。
目が覚めると、顔の半分に砂利やら、泥がついていた。
「ぺっぺぺ...」
《これは、これは...懐かしい感じがしますね?!》
「っれ? え...ナビゲーターさん???」
マルにだけ声が聞こえる初心者フォローの特別機能。
ここ最近は、ちっとも聞こえなかったが。
「あれ? ボク...」
《ご無沙汰ついでに、豪快に弾け飛んだのでペナルティが発生していますね? どうしますか...》
「は?」
《あ、ご存知でない! これは僥倖! 私の出る幕あるというわけですね!!》
「随分、楽しそうですね」
《あ、早く何か着ないと“風邪を引く”という、状態異常が今のあなたには、課せられるのでお気をつけてくださいね》
と、言われて、かつて同じ事をしたというデジャビューを感じつつ、マルは、水溜りの中を覗き込んでいる。
水面に移る彼女の姿は全裸だった。
辛うじて下の大事なところにイチジク葉っぱがある。
「??? ボク、女の子なんですが...」
《板だったんで、なくてもいいかな...と...》
「は?!」
《冗談です、女の子でもイチジク葉は股間に1枚だけです。だから、みんな脱出する前は装備品をなるべく落とさないように気を使うのですよ?!》
と、ナビゲータはとくとくと告げた。
マルの方は放心状態になっていた。
まあ、板といっても小ぶりの乳房を、下からそっと持ち上げながら揉みしだけば、それなりに楽しむ分の膨らみに成長していたし、ピンク色の乳首の感度は、それなりに高いほうだった。身体の熟れ具合はやや発展途上かもしれないが、そこは育て甲斐があると考えれば――マルが空を睨んでいる。
「ナビゲータさん...」
《はい?》
「ユーザーインターフェイス、出ないんだけど?」
《凍結中です。それもね、今から言おうと思ったんですよ...》
「...」
《まあ、あれです...自殺したんで、ぺナとして1日24時間は、NPCになります...だから、早く、服を探してくださいね...っと、あと重要ですが...今、襲われると蘇生にはお金、掛かるんで...》
さらっと変なことを言われた。
自殺? NPC? 襲われると――『自殺なんか...』――と言いかけて、思った。“癒しの大聖堂”を掛け忘れた事を。何で血ヘド吐いてたのかも。いろいろ、忘れてぶっぱなした。
これがペナルティ。
そして、へぶしぃ――鼻水がひっ飛ぶくらいくしゃみをした。
身震いからの失禁。
「あ...」
《ほら、冷えるといろいろ辛くなるから...》
ナビゲータに誘導されながら、“ザボンの騎士”を目指して街へ奔って行った。
◆
召喚用ゲートは、ハルスケンプの城壁内に設けられた、祭祀の塔に作られていた。
城内で神隠しにあった、子供たちの血肉で描かれたのは、儀式の紋様・魔法陣だ。
その首謀者は、魔導士・不死者だった。
現魔王を主人と認めて軍団を形成していても、実のところ一枚岩で成立しているわけではない。
魔界に戻れば、不穏な気配をみせる地獄の侯爵や諸部族の王などが跋扈し、魔王の座を狙っている。
現魔王は、基本、庭いじりの好きな爺だ。
積極的に世界を攻め滅ぼすとか、人間と敵対勢力を家畜にする気は毛頭ない。
話し合いが持てれば、きっと話の通じる相手かも知れない。
だが、今はそういう時期ではないという話だ。
ハルスケンプに潜入した不死者は、自らの魂を糧に練成して転移門をつくる任にあった。
第一段階は成功したが、位相空間の精神世界から、召喚する破壊者は思った以上に大きかったという誤算がそこにあった。転移門を設けるには、リッチひとりでは足らなかった――送られた破壊工作者が数人いた場合、ハルスケンプの市民を糧に実体化していたらと思うとゾッとしかしない。
マルの撃ち放った、光属性の超位魔法“神の裁き”によって、転移門は粉々に砕け散り、召喚不成立で顕現した魔物は、その姿を“悪魔の眼”というスキンにさせられた。
当然、転移門と共にリッチも砕け散った。
戦から解放させられた、同市は静けさを取り戻した頃、祭祀の塔でその魔法陣が発見されるのだ。
帝国の魔法使いたちが、これらから着想を得て、ハルスケンプの魔獣とかいう物語をつくる材料になった事は確かだ。
戦史はそのまま歴史書となり、伝記は、魔獣話を中心に描かれるようになる。
ハルスケンプの戦い――これは、魔王軍72師団の戦いを綴った物語だ。




