-162話 通商破壊 ①-
ウェセックス島から東に広がる海は、地殻変動と空から降ってきた星の欠片によって、だいぶ陸から遠くなってしまっていた。一番、近かった海峡もすっかり広い海となって120kmも離れている。こうなると、対岸なんて、どんなに見晴らしの良い条件が揃っても、ほとんど見えることはない。
そんな中、相変わらずこの辺りの風は、北方から強く吹き付ける傾向にあった。
北半球が冬場になると、凍てつく寒さと共に海がよく荒れ狂った。
こうなると、海で漁などということが出来ないので、人々は家畜と共に暖をとって静かに生きている。
魔王軍は、ここにちょっとした改革を行っている。
竜族を本国より、召喚して地熱を探索させた。
そこへ、水を引き造成して生簀をつくり、魚を養殖することを始めたのである。
冬場の食料困窮問題を着実に解消し、また、都市機能を回復させて人々の生活水準を1世紀分引き上げている。これらの執政は、占領下の人間に対して人気取りを目的に行われたわけではない。が、結果的に人間の生活レベルを以前と比較しても、遜色の無いものへ応えているため、魔王軍を歓迎する動きがあった。
魔王軍に協力している、執政官と呼ばれた冒険者がある。
かつて庭仕事で腰を痛めた、魔王の頭上から墜落してきた、テントウムシに乗った冒険者が彼だ。
最初は、魔王を暗殺するために送り込まれた、刺客だと間違われたものだった。
しかし、彼が差し出した――赦しを得るために“真っ赤な回復水剤”を魔王に献上し、彼の慢性的な腰痛を瞬時に治してからは、重用される賢者となったひとりだ。
彼の登用によって、魔王軍は飛びぬけて陸軍力の高い軍団構成へ変化していく。
それまでは、50年の節目ごとに“勇者”という一行がやってきて、狩り場や農場を暴れて回った。害虫のような存在だ。これを撃退するために、魔王側も当時、最強の腕っ節を用意して迎え撃つも、適当に暴れた連中は、土産話でも持ち帰るように兵士の首を刈って、帰還するのだ。
こういう双方、どこにでも似たような話で綴られた、魔物と人間の物語。
勇者に対抗するために、冒険者が打った手段というのが統制された、1個の集団である。
個vs個の対決は、当然、個体の性能が大きく比較される。
しかし、個vs複数であれば、複数がわにバラつきのある個体性能でも、全体がカバーし合えば個を圧倒することが出来るという考え方に行き着く。栄誉と名誉、名を大事にする旧い魔族たちは、この考えを良しとしなかったが、冒険者はその魔族に対して集団vs個という場面で挑み、排除している。
実践してみせて魔王を頷かせたのだ。
「ゴブリンのように各々が本能のまま、バラバラに動くのではなく、蜂や蟻のように一個の統一意思によって粛々と自分の仕事を他と合わせながら、ひとつの大きな成果に結びつけることこそ、私の求める軍隊像です! それが魔王さまが率いる陸軍の形です!!」
と、冒険者は魔王十傑の末、11番目の番外が与えられ名が送られた――“兵法家”である。
その彼が、今、海軍に注力している。
王冠興業を多くのクランの中から選び抜き、造船の全てを任せているのは、彼らの願望を見抜いているからだといわれている。王冠興業のクラン長は、兵法家と対面して後、魅力の虜になったと語っている。
不思議な感覚というから、何かの魔法に酔わされたのかも知れない。
が、彼の夢の先は、海に向いていた。
「次の侵攻先は、南方作戦で決まりです」
◆
魔王軍の南方攻略作戦の準備が進む中、北海の付近では、元エイセル王国籍の船舶が、南北の戦線に物資の補給や人員の輸送などを行っていた。内陸の攻略に向けて、輸送用の大型荷馬車が徴用されて、中央から馬も馬車も姿を消しているのが現実だ。
占領下の都市市民らを労働力として、荷馬車を増産してはいるものの、それを引く馬が不足しているという本末転倒な話もあり、占領内政は実のところ上手くいっていない。両将軍がお互いの点数稼ぎの為に、進軍と攻略を急ぐ余り足元の整備を疎かにしている結果だ。
これに反抗意思が合致すれば、いくらでも逆転の目が残されているため、エイセル領内は未だきな臭さを放っていた。
こういう状況の為に、北方と南方への補給物資は一旦、海に出してから改めて整備された軍港へ運び込むという方法が取られている。1日に百隻もの大小になるキャラックが、砲艦という小型護衛船を伴って半日の航海を繰り返した。
「すっかり遅くなってしまったな」
船長が額の乾いた汗をぬぐっている。
手の甲には、ざらっとした結晶の粒を肌で感じて、指先でべたべたとする額を触っている。
これが海の潮風によるものなのか、或いは汗で出来たものなのかはわからない。
ただ、夕方には終わる筈の積み込みが、こちらに宛がわれた工夫の数が予想以上に少なかった為に、時間ばかりが無駄にかかってしまったという事情があった。
「全くですよ、積荷が途中からトウモロコシに変更とか」
「それを言ったら、キリが無いぞ。こっちの船蔵の余裕を見て、当日で変更なんざよくある話だしな」
船蔵から目録を作っていた、主計長が上甲板に上がってきた。
彼の額や頬に光るのは、仕事をしていたものの証である。
「こんなの早晩、事故りますよ?」
「いや、もう、あっちこっちで事故ってる筈だぞ」
「船長の言うとおりです」
「と、いうと?」
主計長が、積み込んだ筈の紅茶が見当たらないと呟くと――『いや、それはな。この船足では葉が湿気ると言われてな、他のやつ等に持っていかれたんだ』と船長が零す。皺くちゃに歪ませた顔の主計長の『あ゛ー』という声が、潮風に消された。
「マジですか?!」
「紅茶に何が???」
「あれは、魔王軍の依頼ではなく、大口取引の――ああ、もういいや。一攫千金が...」
と、頭を抱えて『ぎゃー!!』とか喚いている。
「や、す、すまん! すまん!」
なんてやり取りをしていると、黒い海の上で松明が燃えているような光景に遭遇した。
先発して出航していた他の船の篝火だと思っていた。
船首に立たせている見張り番から。
「木片、たすぅー!! 引き上げまーす!」
声が届く。
冬の空だから、澄んでいて星が瞬いて見える。
昔の人々は、これを会話していると揶揄した。
ロマンチックな話だと、船長は微笑む。
「黒く煤けた船の一部と...」
見張り番の声が一部、掻き消えた。
篝火だと思った炎の正体は、燃えるメインマストの一部だった。
大きさからして、キャラベル。
メインマストとミズンマストに横帆のスクエアと三角帆を織り交ぜた、小型船タイプだ。
「これは酷い...」
「事故、ですかね?」
下層の船室で休んでいた船員たちが、甲板に上がってくると、各々が身を乗り出して海を見ている。
他の乗組員が投げ出されている可能性があるためだ。
「居ないな」
「もう、サメのエサになっちまたっかな?」
しばらくは夢中になって探している。
「船長、この船...」
「紅茶のは、函...だよな?」
「何があったんだ」




