-155話 追撃と逃亡 ③-
デュセルフで解放された、船頭と船は、足手まといの騎士だけを残して南下していた。
まるで逃げる一行が未だ、船上にあるかのよな船足で逃走し、追撃者の目を欺いている。
彼らが漸く追いついたのが、例の湖上に浮かぶ城・ローゼンファレル城塞の防衛圏に入った頃だ。
対岸からの砲撃に辛うじて耐えている城塞から、湖水を進む数隻の不審船に対して警告なしの、掃射攻撃が加えられた。
この攻撃により、一般市民である船頭とその船は、巻き込まれ被害。
追撃者は、撃ち下ろされるバリスタの雨によって、掻き立てられた荒れる湖面の中に消えてしまった。
深手を負って尚、辛うじて対岸の浜に上がった魔狼兵は、赤いベストの女に『追撃断念! 船影を砲撃によって喪失せり』と伝えて絶命する。
追撃の本隊は、この時点を以て作戦を第二目標へ変更せざる得なくなった。
「と、言う訳だ――これで、私は私の仕事が出来る」
黒甲冑の騎士が仰け反った体で、座り直している。
腕を広げ、胸筋を張る。
「修正案を部下から上げさせた...ひとつ目を通してくれ」
彼が促すと、死者兵が紙片を持ってきた。
赤いベストの女は、無理やり押し付けられたような、紙片を受け取り目を通す。
「最終目標は?」
「国境線の塗り直しだよ」
「今一。意味が」
「ま、単純に分かり易く言うとだな。この土地の完全掌握。いや、大それた意味はない...これは、将軍閣下の受け売りなのだがな...エイセル王国領の完全支配から、八席と二分して統治するという将来図がある。対岸の国とは話が付いているから、睨み合うだけの余力を残して南北で侵攻し合うという算段だ」
「と、いうと?」
「つまりは、国境の城塞が酷く抵抗している。これを包囲殲滅して内外に対しての見せしめにするという話でまとまっている。そこは、君の趣向ともに通うのでは? 実は、苛烈な面の君に私は至極、興味津々でね。きっと私の代わりに...魂を貪るのではないか期待しているのだよ」
目の色が変わった雰囲気だ。
この騎士の本性は、残忍さではなく苛烈な刑を施行する者を視て楽しむというものらしい。
背筋に薄ら寒いものを感じる。
「悪魔め...」
「それは、褒め言葉として頂戴しよう」
気味の悪い声で笑っていた。
苛烈な刑を用いていたのは、随分と若い頃の話だ。
人間のサイドから訪れる、勇者とその一行を返り討ちにした。
その後、同パーティへ課した刑というのが、噂にもなった極刑だった訳だ。
アレは若気の至りだ。
お陰で、魔王討伐ではなく“赤い悪魔”の討伐とか、実に嬉しくない賞金首にされてしまた。
スライムにとっては過分な評価で、女性としては良くない噂だ。
――癇癪が過ぎると、夫さえも串刺しよ――
なんて泣く子を黙らせるような、たとえ話にもなった。
マルは、小さい頃に母から“お祖母ちゃん”の武勇伝にそういう諫言も聞かされた。
子供の時分では『お祖母ちゃんって、かっこいいんだね!!』って、素直に賞賛していたが。
物心つくと引いてしまっていた。
「ディンヘイム城?」
周辺偵察で使用された地図と、攻略地域図を比較しながらベストの女が問う。
地域図を見る限りは、攻略に時間が掛かりそうな外堀を持つ城のようだ。
「これは、川では無いか...」
「ご明察。それは、現地の者が言うにはロアーアイセルの旧河川だ。まだ、いくらかの水量と流れを持っていて、このまま船で圧しかけられる」
彼は、苦笑していた。
「折角、こうやって船旅をしているのだから。なるべくは、兵にも休息をとらせたいと思っていてな」
「それは構わないが、なるほど。ディンヘイムは、要塞のもっとも要である水路から入城する気なのか! それで甲板の緑黄野菜がカモフラージュで...」
ベストの女へ拍手が送られた。
「いや、これはあくまでも後付けの作戦案だ。最初から狙ってはいない。それだけは明言しておくが、私が人参やトマトを食べたいだけで、野菜を載せていると思われていたとなると...いや、そういう目で見ていてもらった方がやり易いか」
「では、――まさか」
「だから、後付けだと。彼らを見失うように整えちゃあいないさ」
やや、鼻息荒く言い返す黒甲冑。
そして、再び静かにトーンダウンするように、引き攣ったような笑いをたてる。
「ま、ディンヘイムは足掛かりだ。北上して、ルーラーロクスの都市を焼き尽くし...ベーゼルメルロー城に橋頭保を造る。そしていよいよ、先行している本隊と合流する訳だ...スラブアメルロー要塞攻略作戦に加わって...」
その構想に何日という制限はないが、ディンヘイムの方は何日も掛ける訳にはいかない。
黒甲冑が考えている作戦に時間の概念がない。
いや、基本は“なるべく早く”なのだろう。攻略をする側にとっては、そこがアバウトだと読み難い状態だ。指揮官の寝所を襲い、降伏してくれるのならば簡単な話だが。そういう状況というのは職業軍人を相手にした場合、かなりの確率で死兵覚悟で仇討に動くきらいがあった。
「ま、対処する」
「うむ、反対されると思ったが、いい返事だ」
「...」
◆
マル一行は、デュセルフで下船すると、その足で馬屋へ赴いた。
軍事施設の攻略に注力している魔王軍の指向があって、マルたちは敢えて、近くの村や町で馬を調達した。戦える最低限の武器を携帯し、兵士と分かる装備もその場で棄てた。
この状況で、脱走兵だとして追われるのも面倒な話だからだ。
マルや少女は、人狼の懐に抱え込まれるように、ふたり乗りで東進する。
目指す最初の街は、ディンヘイム。
くしくも、黒甲冑と同じ場所を目指していた。
恐らくは、1日あるいは2日あたり、マル一行が早く到着するだろう。
「ディンヘイムで馬を買い直します」
「何で?」
「ま、匂いですかね...獣を相手にしていますから、念の為という事で勘弁してください」
一行は、昼夜を問わず走り通しでディンヘイムへ向かった。




